話の筋道

 

  柿食へば柿の味する時節なり

これも加齢現象の一つであるとは思うのですが、
仕事でもプライベートでも、
話の筋道を一瞬、見失うことがあります。
増えました。
短い話をポソッと置くときはその限りではありません。
ジャズの即興よろしく、
ブババババーッと話し始めているときに、
それは起こります。
ジェットコースターの勢いが増し、
レールのない空中に
トロッコが飛び出してしまったような、
とでも申しましょうか。
あれれ、
いまオレ何しゃべってた?
そんなふうです。
話の筋道を思い出し、
ちゃんと元のレールに戻れることもあれば、
どうにも戻れずに、
そこから始めて
レールを新たに敷設しなければならなくなったり。
その一瞬くらくらするような空白は、
それはそれで一つの味があります。
嫌いではありません。

 秋深し言葉の多き心地して

データ修復

 

 新米をつぶして食す時節かな

先月二十一日、
会社のパソコンが、いきなり壊れました。
つきあいのある業者に相談してみましたが、
いかんともしがたく、
やむなく、
それ専門の業者に頼んだところ、
レベル4まである破壊の程度のレベル3で、
修復に要する期間は三週間、
料金はもろもろ含めて約三十万円(税込)也。
安いのか高いのか。
すべてのデータが階層構造もそのままに
修復されましたから、
良しとしなければならないのでしょう。
まずは一安心。
パソコン依存の日常と、
バックアップの大切さを身をもって知りました。

 稲刈りて米一俵の多さかな

0から

 

 そこだけはとろり微かの薄かな

PR誌を兼ねた「春風目録新聞」の第九号が出来ました。
特集は、「今、読みかえす本」
二年前に亡くなった師・竹内敏晴は、
春風社の十周年に際し、ことばをくださった。
「1から始まる巡りの時節は終った、ということだ。
これからは改めて0から始まる歴史を築いていく時節だということ。
0、だれも気づかなかった視点、
いわばアルキメデスの支点を発見しては
新しい世界の展望を開いていってほしい。」
竹内さんの遺言と受けとめ、
新しい歴史に参画できる仕事をしたいと願う。
願うだけでなく、
こころして頑張ります。
悲しみと喜び、苦渋とご縁、恩寵を核にし、
静かにこころ沸き立たせる本を作っていきたい。
紙とインクの本は、
それを盛り込めるだけのどっぷりと深い器なのですから。
電子書籍にまかせておくわけにはいかない。

 ゴキブリを追いかけ猛き猫となり

講演会

 

 講演を終へてうれしや秋の風

この十五日、
「読書のつどい2011 in 秋田、
ふるさとと本を語る~文学・出版・映像の響き合い~」
をテーマに、
映画監督の大嶋拓さん、
秋田県立大学教授の高橋秀晴さん、
わたしの三人で鼎談をし、
七十人ほどのお客さんが聴きにきてくれました。
コーデイネーター役である高橋さんの絶妙の司会進行により、
リラックスし、
楽しくしゃべることができました。
きのう十六日は、
秋田市の高校生二十人ほどの前で、
「本ができるまで」の講演とワークショップ。
講演は、
無い知恵を絞り、
聴きにきてくださる方に少しでも楽しんでもらえたらと、
それなり時間をかけて準備をしますが、
毎回わたしのほうが気づかされることがあり、
これもまたひとつの旅かなと思います。
わたしのふるさと井川町での講演後、
拙稿「ふるさとを見つめる」が秋田魁新報に掲載されました。
こちらです。
今週二十二日(土)は、
神奈川県立図書館主催の講演会で話すことになっています。
テーマは、
「活字文化の今後 春風社を事例として」
お近くで興味のある方はどうぞ。

写真は、ひかりちゃん提供「吾輩は猫である」

 大曲新幹線の眠さかな

けがぢ

 

 鐘聴けば柿の食ひたき心地して

引きつづき伊藤永之介。
伊藤は、秋田市出身の作家。1903年(明治36)生まれ。
凶作という単語に「けがち」というルビが振ってあり、
さっそく秋田の父に電話。
凶作のごどを秋田で「けがち」て言うが?
「けがち」でなぐ「けがぢ」なら言う。
ああ、やっぱり。
ところが、大辞林を引いてみても出ていません。
ひょっとしてと思い、
佐伯梅友・馬淵和夫編、講談社古語辞典を引いてみました。
すると、
けかつ【飢渇】〔「けかち」ともいう〕腹が減り、
のどがかわくこと。飢えとかわき。
「二年が間、世の中飢渇して、あさましき事侍りき」<方丈記>
とあるではありませんか。
凶作になれば、食い物がなくなり、腹が減ればのども渇く。
だから秋田では凶作のことを、
けがち、けがぢと呼んだのでしょう。
ていうか、
そういう使われ方をしていた言葉が、
秋田に残っているのでしょう。
方丈記の鴨長明といえば、京都の生まれ。
十二世紀半ばから十三世紀の初めにかけて生きた人。
当時にあった、しかも京の言葉が
秋田に残っているというのがおもしろい!
どうやって伝わったものか、
いろいろと想像が働きます。
明日行われる「読書のつどい2011 in 秋田、
ふるさとと本を語る~文学・出版・映像の響き合い~

では、そんなことも話題に上るかもしれません。
場所は、秋田県生涯学習センター(秋田県立図書館の隣)
午後1時から。
お近くで興味のある方は、どうぞ。

写真は、ひかりちゃん提供。
「けがぢ」とは特に関係ありまません。

 色付きて風を招きし薄かな

おなかの虫

 

 天高く枠いっぱいの食字かな

ご近所のひかりちゃんは中学二年生。
学校の勉強に、部活に、塾にと、
それはそれはいそがしく、
でも、めげずにはつらつと頑張っています。
きっとおなかも空くでしょう。
しかも、今はもう秋。
だれもいない海ですから。
おなかの虫が大声で叫ぶ季節です。
く、く、く、……。
いいなあこの字。
昔、
わたしが中学生の頃、
家に帰ると必ず冷蔵庫を開ける癖があり、
祖母によく笑われました。
笑われても、
しばらくすると、また、つい空けてしまいます。
冷蔵庫→なにか食べるもの→おなか満足
まあ、そういった条件反射なのでしょう。
ところが、
冷蔵庫を開けても、
なにも食べるものがない場合、
おなか不満足。
すると、
おなかの虫がふたたび叫び、
冷蔵庫→なにか食べるもの→おなか満足
の条件反射が起きます。
ひかりちゃんの字を見、元気になりました。
よし、食うぞ!

 こっちゃ来いゆらゆら招く薄かな

いろいろのおもしろい

 

 厚着して脱いで仕事にかかりけり

五十を過ぎた頃から、
詩がおもしろいと思うようになりました。
一番は、
『父のふるさと』の巻頭に、
佐々木幹郎さんから「そんだらごど言ったって」
を書いていただいたことでした。
わたしは、
こころがふるえ、
はじめて詩がわかった気がしました。
どんなふうにわかったかはわかりません。
それが大きな節目となり、
自分は言わずもがな、
拙い人生経験と読書体験から、
百パーセントの人間はいないと思い定めると、
ますます詩が、
詩の言葉がおもしろくなり、
吉増剛造さんが来社された折、
おもしろく読んだ吉増さんの本に、
サインまでお願いしたりもしました。
英語の不得意な生徒が、
中学一年の教科書から勉強しなおすように、
岩波ジュニア新書の詩の本を読んだり。
詩を、
言葉を本気で勉強し直したいと思います。
その意味で詩は、モーツァルトに似ています。
最後にとっておいてよかった、
と思います。

春風社の本が二冊、
朝日新聞と神奈川新聞に取り上げられました。
コレコレです。
どちらもおもしろいですよ。

 遥か来てぽっと染めゆく薄かな