アメリカ

 

 情報を手繰れば萎える五月かな

9.11後のアメリカ、
ウサマ・ビンラディンを殺害したアメリカについて知るためにも、
また、
3.11後における日本、
とりわけ「危機」下のジャーナリズムを知るためにも、
この本は読まれなければと思います。
水野剛也(みずの たけや)著
敵国語ジャーナリズム 日米開戦とアメリカの日本語新聞
この本の書評が、あさって(22日)の朝日新聞に、
掲載されることになりました。

 萎えたれどばっと行こうぜ初夏の風

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視力

 

 八十の父植ゑし苗米となれ

ブルーベリー・アイも飲んでいますが、
目を酷使する仕事ですから、
視力の低下は如何ともしがたいものがありまして、
それにこのごろは、
老眼もひどくなってきましたので、
仕事場でも家に居ても拡大鏡が離せません。
醤油とか薔薇とか髣髴とか鬱とか藪みたいな字は、
どれもほとんど小さい蜘蛛にしか見えません。
昨日、
ゲラ読みにそろそろ疲れてきて、
ヤフーのページを開いたら、
ぼくの好きな韓国の女優、
キム・テヒの写真が目に飛び込んできました。
目薬みたいな韓国ドラマ「アイリス」に出ていた女優さんです。
冗談はさておき、
そのキム・テヒさんの写真に付いていたリードを読み、
なぬっ!! と、目をひんむきました。
「新しい尿が開く今、キム・テヒに密着」
とあったからです。そんなはずはない!
さっそく、
机上左横のボックスに挿してある拡大鏡をパソコン画面にあて、
(焦っていたためか、
オカピーに教えてもらった画面拡大のことを失念しておりました)
文字をなぞると、
「尿」と見えた文字は「尿」ではなく「扉」。
ほ。それはそうです。
文脈から考えても、尿のはずはなく、
どう考えたって扉です。
そりゃそうです。
でも、たしかに尿と扉は形が似ています。
昼間、団鬼六先生がよくいらっしゃっていたという、
わたしもよく行く福家さんで、
女将さんとひとしきり先生のことを話しましたから、
「尿」的な想念が心を支配し、
扉を尿と見間違えるという愚挙に及んだのかと思われます。

 疲れ果て尿と見紛ふ春の宵

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龍のいた場所

 

 黒雲を裂きて火を吹く龍となる

大嶋拓氏の『龍の星霜 異端の劇作家 青江舜二郎』が、
五月十五日付秋田魁新報「秋田ゆかりの本」
のコーナーで紹介されました。
書いてくださったのは、文化部長の小川浩義氏です。
ドラマティックな人生と、
客観性を旨とする筆致のせめぎあいから、
青江の人物像が魅力的に浮上してくることを
的確に分かりやすく伝えてくださいました。
ありがとうございます。
大嶋氏はご自身のブログに本書を取り上げ、
「「個人の行動は純粋にその人間の自由意志に基づく」
なんていうのは大いなる幻想で、
実際はその時代その時代の波をモロにかぶって、
その中でもがきながら、どうにか、
最良と思われる選択をしているに過ぎないということが、
彼の人生を追ってみるとよくわかります。」とお書きになっています。
その通りだとわたしも思います。
そして、そのことがこの本に静謐な哀しさと、
この世は生きるに値する意味を添えることになったのだと感じます。
イギリスの理論物理学者ホーキング博士に言わせると、
宇宙の誕生に神は必要なく、天国もないことになりますが、
一人ひとりの人生は、
理論の網の目にかからない精妙な導きによって生かされていると、
考えないわけにはいきません。
本書はそのことを静かに感動的に語りかけています。

 春の雨植ゑし苗を育てよ育てよ

銀行

 

 Tシャツを愉しむ頃となりにけり

会社のことでなく、家のことで、
久しぶりに銀行へ行ってきました。
機械音痴のわたしでも、
今は、ほとんど、
ATMとインターネット・バンキングを使いますから、
実際に銀行へ足を運ぶことはめったにありません。
用がなければ渋谷に行かないのと同じです。
みずから番号札を取るまでもなく、
制服を着たおねえさんが用向きを聞いてくれ、
札を取って渡してくれます。
親切この上ない。
ソファーに座って待つ間、
キョロキョロと辺りを眺めては手持ち無沙汰を紛らし、
側に来たマスクのおばさんを避け、
一つ置いて隣のソファーに移動したり。
奥のあの曇りガラスの部屋は、
金持ちが来たとき相談する場所だろうか?
こちとらには一生関係ないね。
また、突然ここに三人組みの強盗が押し入ったら、
なんてことを想像して遊んでいるうちに、
とうとう名前が呼ばれました。

 布団減らし目覚めた夜半過ぎ

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お釈迦様のお導き

 

 ひかりなを連れて華やぐ五月かな

日本語版『釈譜詳節(上)』を上梓している河瀬幸夫先生が、
昨日の神奈川新聞「団塊びと」のコーナーで、
大きく紹介されました。
よく編集された素晴らしい記事です。
難しい内容の「釈譜詳節」が、
分かりやすく解説されているだけでなく、
先生の半生とも相まって、
味わい深い文章に仕立てられています。
写真も、先生の優しさだけでなく、
厳しさと鋭さの現れた、いい写真だと思いました。
記事の中に、先生の言葉として、
「他国の古典を勉強すると、その国への敬意が生まれます。
その国の最良のものを知ることになるからです」
の言葉が紹介されています。
先生はまた、日本の古典もよく読まれています。
日本の最良のものを知り、
自国の先人たちへの敬意をもって、
今は、海を隔てた隣の国の古典の翻訳に勤しんでおられます。
今月末に下巻が刊行され、
「法華経」を含む中巻が最終となります。
記事の文章は、北川原美乃さん、
写真は、山田信次さん。

 不覚にもコナン映画にうるうるす

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東西

 

 夜行バス疲れ取るのに四昼夜

二月から読み始めた『南総里見八犬伝』ですが、
ただいま十一巻目。
馬琴先生の文章にも相当慣れた気がします。
作者としての先生の肉声がときどき記されており、
十八世紀後半から十九世紀半ばにかけての人なのに、
とても近しく感じられます。
この世にいない人の文を読み共感すると、
なぜだか寂しさが静まります。
さて、その本文中に「東西」と書いて、
「もの」とルビが振られている箇所がいくつかあります。
なんで東西がモノなのだろうと、
いぶかしく思っていたのですが、
昨日、
民俗学の原稿を読んでいたら、
中国語で手紙がトイレット・ペーパーを表すように、
東西は品物を表すとの記載があり、
アッと目をみはりました。
きのうからまた十回コースの気功教室が始まったので、
休憩時間にさっそく朱剛先生に確認したところ、
たしかに中国語で東西は、
方角を示す言葉であるとともに、
モノを表す言葉でもあるとのことでした。
また「東西」は「人」を表す言葉でもあるらしく、
「不是東西」と書いて、
悪者を指すと教えていただきました。

写真は、ひかりちゃん提供。

 あぢさゐのつぼみふくらむ五月かな

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細野さん

 

 ゲラ読みの疲れほとほと雨模様

細野さんの新譜「HoSoNoVa」を聴きました。
肩の力が抜けたような雰囲気の曲が多く、
疲れた頭と体には心地よい。
坂本さんの音は一聴かっこよく、
ドビュッシーと見紛うばかりなわけですが、
細野さんのは、
はじめチョロチョロ、中パッパなのに、
必ず忘れることができなくて、
後から後から効いてきます。

写真(白根葵)は、なるちゃん提供。

 梅雨近し疲れの虫の這い登り

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