今も昔も

 

 汚れ取るはずが汚れて春の雨

『南総里見八犬伝』もいよいよ第九輯、最後の輯です。
とは言っても、
第一輯から第八輯を合わせた分量と第九輯が同じくらいですから、
やっと後半に入ったような具合。
さて、その巻之十六に面白い文章がありました。
〔  〕の中に本文より小さめの文字が並んでいます。
どうも馬琴先生の繰り言のようです。
〔桑田郡を初輯第八回犬懸村の段に筆工謬て桑田村に作れり
只この謬のみならず第一輯には総目録にすら誤字あり脱字あり
本文にも毎巻誤字と、てにをはを誤れる者少からず二輯三輯にも亦多かり
当時の板元校合なほしの等閑なればなり〕
桑田郡が桑田村になっているだけじゃなく、
目次にも誤字脱字があり、
本文にも巻ごとに誤字はあるし、
「てにをは」を間違えている箇所が多い。
それは出版社が校正を怠ったからだ、というわけです。
馬琴先生のトホホの声が聞こえてくるようではありませんか。

 田を植ゑし母の背中のフの字かな

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沈まざる未来を

 

 ハッと覚め今日は休日朝寝かな

森清さんという方からメールをいただきました。
森さんは、弊社が刊行した『沈まざる未来を』(上田薫)
をアマゾンへ注文してくださり、
それが先月11日の朝に届き、
午後になって読み始めたそうです。
「まえがき」の
「人類はこれからも無事に生存を続けることができるだろうか。…」
を読み進めていたところ大きな揺れを感じて、
本を閉じ玄関の戸を開けたそうです。
「不思議な縁で本書を読んだものと思う」と、
アマゾンのコメント欄に書いてくださっています。
おなじく「まえがき」で上田先生は、
「科学の発達は人間に幸福をもたらすはずだったが、
そこに根強くひそんだ“ひとりよがり”が、
救いがたい矛盾をつくり出してしまったのだと思う」
と、今回の人災の根本をずばり言い当てています。

 用無くももったいなきは春日かな

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カフカの生涯

 

 ぽかぽかとせいろ天丼花見かな

そういうタイトルの本。
池内紀さんの本です。
そのなかに、
次のような言葉があります。
「第一次大戦中、カフカは奇妙な行動をとっている。
つまり彼は、いかなる奇妙な行動もとらなかった。」
トーマス・マンが「非政治人間の政治的考察」という
時局論文を発表し、
ヘルマン・ヘッセが反戦のペンを執り、
詩人リルケが戦時報道局に勤務しているのに、
カフカは、
「まるきり戦争がないかのようにふるまった」そうです。
「いかなるきわだった行動もとらなかった点で、
このプラハの小官吏兼無名の作家の日常はきわだっていた。」
そんなふうに生きたいとも思いますが、
この国の首長(だけではないですが)の顔を見るたび、
むかむかしてきて、
平常心で居られなくなります。

 見上げれば亡びとともの桜かな

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電車本

 

 ブランコを今年は一人漕いでゐる

電車の中で読む本を、まあ仮に。
JR保土ヶ谷駅から横浜駅まで一駅、
横浜駅から桜木町駅まで一駅ですから、
往復をあわせても数ページしか読めません。
キリが悪いときは、ホームに降り立ち、
キリのいいところまで読んでから階段に向かいます。
それはともかく。
今は、藤井貞和さんの『古文の読みかた』を読んでいます。
岩波ジュニア新書。
巻末にある「岩波ジュニア新書の発足に際して」に、
こう書かれています。
「きみたち若い世代は人生の出発点に立っています。
きみたちの未来は大きな可能性に満ち、
陽春の日のようにひかり輝いています。」
きみたちきみたちきみたちと、全部で六回出てきます。
五十代のわたしは、そのたび緊張します。
中高生対象を読者対象に作られたシリーズでしょうから、
仕方ありません。
でも、そういう方針ですから、
たいへん分かりやすく、勉強になります。
例えば、係り結び。
ぞ、なむ、や、か、こそ、
なんてお題目みたいに唱えて試験に臨んだあれですが、
これについて藤井先生いわく、
「係助詞は、強意をあらわすというより、
緊張をみちびくものといったほうがよろしい。
文を荷作りするものだ、と考えたらいいと思います。」
よろしい。なるほど。
よろしい、なんて言われると緊張します。
だから文が締まって感じられるんだ。
こういうのを啓蒙書っていうんでしょうね。

 葉桜は桜の種類じゃないんだよ

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符合

 

 掃部山辞書を引き引き花見かな

わたしと同郷の、
通信社勤務のIさんの夢を見ました。
昨日のことです。
Iさんが中学三年生のとき、
短い期間家庭教師をしたことがあり、
そのときの小柄でかわいい印象が今もあるせいか、
夢の中でIさんが的確に取材を進め、
必要なインタビューをする姿を見、
カッコいいなあ、と、ほれぼれしている、
そんな夢でした。
そうしたら、
なんと、
昨日の午後、
被災地の取材のために岩手県を訪れているIさんから、
電話がありました。
夢の話をIさんに言ったら笑っていましたが、
人生はこういうことが時々起きます。

写真は、ひかりちゃん提供。

 開国の春を湛へて掃部山

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朝型

 

 新学期立派に見えし四年生

ただいま朝の四時半。
池内先生、お目覚めかな。
池内先生とは、
ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんです。
昨日、
次号春風目録新聞の原稿をいただきました。
そうしたら、
朝型、コーヒー、モーツァルト、体操
(ここがわたしの場合、気功)まで同じであることが分かり、
驚き、かつ嬉しくなりました。
朝の時間を慈しむように、
ユーモアを交えて書いてくださっています。
ゆっくりしたリズムの文体で、
いわゆる“タメ”があり、
ある箇所で爆笑してしまいました。
面白いですよ。お楽しみに!

 赤赤と赤を集めてチューリップ

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八犬伝に源氏!

 

 朝まだき華やかなりし猫の恋

朝読している『南総里見八犬伝』は、
いよいよ第九輯に入りました。
最後の輯とはいうものの、
これが滅法長い。
新潮日本古典集成では十二巻のうち半分がこの輯です。
今読んでいるのは、こんなところ。
義成の娘・浜路姫が妖しい尼僧妙椿の幻術にかかり、
病の床に臥しています。
女房たちが付きっ切りで看病していますが、
仁の玉を持つ犬江親兵衛も義成に命じられ看病に当たり、
隣室で宿直することになりました。
仁の玉は甕に入れ、
浜路姫の部屋の下の土中に埋められました。
長引く看病で手持ち無沙汰になった女房たちは、
女房の一人に源氏物語を読ませ、
聞き入っています。
ここが馬琴先生、上手い!
だって源氏物語ですから、
何やら起こるのでは? と思うじゃないですか。
親兵衛が看病に当たって七日目の夜、
妙椿の幻術にやられた親兵衛は居眠りをしてしまいます。
ちょうどその夜、
なにやら胸騒ぎを覚えた(これも妙椿の幻術による)
義成が姫の部屋に近づいてみると、
居るはずの親兵衛の姿は見えず、
姫の部屋からは男女の睦言が聞こえてきます。
足元を見ると、手紙が落ちています。
拾い上げ文面を読んだ義成の驚きやいかに。
く~っ!
上手い! さすが馬琴先生!
というわけで、
テレビで知っている八犬伝とは大違い。
おもしれーおもしれーの八犬伝なのであります。

 選挙場出でて見上げる桜かな

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