紙の味

 

 三猿を心に抱きし冬の空

拙著『父のふるさと 秋田往来』についての
インタビュー記事が秋田さきがけ新報に掲載されました。
さきがけの三浦美和子記者が、
活版印刷について分かりやすく綴ってくれています。
この記事を見たという秋田在住の男性から、
電話で本の注文がありました。
四十年ちかく働いた製版所はなくなってしまったけれど、
記事を読み、写真を見て懐かしくなった。
わたしもこういう仕事をしていた。
今は引退し、年金暮らしだが、
一冊どうしても分けて欲しい…。
涙が出るくらいうれしいことでした。
それにしても。
記事に掲載された内外文字印刷の職人さんの手つき、
顔の表情、姿かたちを見てください。
ほれぼれします。

 やりこめるお前そんなに偉いのか

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珍道中 in 北上川

 

 どっぷりと北の大河の冬が行く

おととい、きのうと、岩手県一関市川崎へ。
「東北の川ワークショップ 流域交流 in 北上川」
の講師として呼ばれ、
写真家の橋本照嵩さんと二人で行ってまいりました。
岩手、宮城の北上川、秋田の雄物川、
山形の最上川、福島の阿武隈川で
クリーンアップ作戦などを展開する12団体が活動を報告し合い、
交流を深めるというもので、
われわれ二人の話は、基調講演というにはかなり破調の、
いわば前座的弥次喜多対談。
でも、
会場の方々の反応がすこぶるよく、
主催者側もにこにこ喜んでいましたから、
好かったのかなと二人で自画自賛。
二日目のきのうは、
地元市役所の方のバスガイドつきで、
厳美渓、平泉町の柳之御所遺跡などを見せていただき、
いたれりつくせりの充実の二日間でありました。
さて、
一関といえば、
忘れられないお店があります。
知る人ぞ知る絶品!魚料理のお店・富澤です。
今年五月にも、
近所のひかりちゃん、りなちゃんご家族といっしょに訪ねことは
この日記で報告しました。
ガイドをしてくれた市役所の方に訊いたら、
通り道ですからと、
なんとバスを富澤の前で停めてくれました。
お店に入ってあいさつすると、
女将さんはわたしを覚えてくれていました。
さっそく注文。
橋本さんはウニ丼、わたしはキンキ焼き定食。
ウニを口にするたびに橋本さん、旨い! 旨い!
キンキの骨はお湯をもらって骨湯(こつゆ)に。
美味しい料理を平らげ満足し、
しばし呆けていたら、
ワークショップに参加していた面々が次つぎに来店。
朝、旅館の食事のときにわたしが話したことを覚えていて、
探し探してやっと辿り着いたとのことでした。
さて、
腹も落ち着き、ジャズ喫茶のベイシーへ。
と、お店は開いていましたが、
マスターが外出しているとかで、
オープンは一時間ほど後だとか。
やむなくあきらめ、
ぷらぷらと来た道を引き返し、
駅へ向かって歩いていると、
コーヒー店の看板が目に入り、そこで休むことにしました。
わたしはモカ。橋本さんアメリカン。
むむっと唸りました。旨い!
このお店で正解でした。
橋本さんも、きっとそう思ったでしょう。
お店のきれいなおねーさんに訊けば、
かつて造り酒屋だった屋敷を
テナントとして借り受けているとのことで、
店の外には、四季折々、
季節の花が絶えないようにあしらった素敵な庭があり、
眺めるだけでなく、
ドアを開け、庭へ踏み入れ可能となっています。
外にある厠で用を足し、店に戻ると、
橋本さんが新聞を広げ、
ここ、ここ、と指を差します。
ワークショップのことがでかでかと載っていました。
たまたま目にしたところに、
わたしの名前がフルネームで出ていました。
橋本さんは「橋本さん」とだけ。
橋本さん「なんで三浦さんはフルネームで、俺は橋本さんなんだ?」
「だって、おれ社長だもん」
「それでかな?」
「それでだよ」
「あはははは…」
「あはははは…」
改めて最初から読み直したら、
ちゃんと橋本さんの名前と経歴が紹介されていました。
二人でまた大笑い。
お店のきれいなおねーさんに新聞を売っている場所を尋ねると、
どうぞどうぞと、その新聞を譲ってくれました。
橋本さんとの道中はなんとも可笑しく、愉快です。
おっと忘れてはいけません。
お店の名前は、エイコン・カフェ。
エイコンは英語でどんぐりのこと。

 キンキ焼き蔵にたなびく一関

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書評ありがたし!

 

 新橋や冬の土竜の闊歩せり

名編集者として鳴らした安原顯さんは、
生前、こんなことを話してくれたことがあった。
書評で一番いいのは、
そこで取り上げられている本が読みたくなるようなもの。
追悼文で一番いいのは、
亡くなった人を心から讃え、
いかに優れた人であったかを告げ知らしめるもの。
ところが、書評も、追悼文も、
書評、追悼文に名を借りて、
己がどれだけ優秀であるかを自慢する文章があまりに多すぎる。
そんなのは、書評でも、追悼文でもない…。
安原さんの言葉を思い出したのは、
拙著『父のふるさと 秋田往来』について、
ありがたい書評を読んだからだ。
書いてくださったのは、
映画作家の大嶋拓さん。
文中「孝行息子」とあるけれど、
それはご褒美と受け取った。
これまでいろいろと親に心配のかけどおしだったから、
褒められるような息子でないことはわたしが一番よく知っている。
そこには、
大嶋さんの父上への尽きせぬ思いがあるのだろう。
大嶋さんは東京で生まれた方だけれど、
父上である「異端の劇作家」青江舜二郎の故郷・秋田への
熱い思いがひしひしと伝わってくる。
大嶋さんのブログにある文章を三度読み、
すぐに電話。
ご了解を得たので、以下に転載させていただく。

早いもので今年もあと1ヶ月。何かと気ぜわしくなってくる時分だが、そんな浮き足だった気持ちをひととき忘れさせてくれるずっしりとした本が、昨日手元に届けられた。タイトルは『父のふるさと 秋田往来』。今年の4月に刊行された亡父・青江舜二郎の戯曲集『法隆寺』の版元である春風社社長・三浦衛氏の二冊めの著書だ。

三浦氏とは昨年の今ごろ、秋田魁新報に青江の評伝を連載していた時に『法隆寺』の件でお近づきになった。秋田が取り持つ縁で、その後もずいぶん懇意にしていただいている。同梱された栞を読むと、かつて青江とも交流のあった武塙三山(三浦氏と同じ井川町出身の元秋田市長)の随筆集を読み、大いに心を奮わせられたことが、今回本を出すきっかけのひとつになったらしい。その武塙の『離村記』を三浦氏にお貸ししたのは私なので、私もほんの少しは刊行に貢献したといえるだろうか。

この本は、そこらの本とは大いに趣(おもむき)を異にしている。まず、現在日本ではほとんど行われていない活版印刷で刷られていること。活版とは、文字どおり活字を一字一字拾ってページを組んでいく昔ながらの(かのグーテンベルク以来の)由緒正しい方法だが、最近は手軽なオフセット印刷などに押されて、滅多に使われることがない。どこの業界もデジタル化が進み、アナログ的な職人技は絶滅寸前なのだ。三浦氏が今回あえてこの方法を採用したのは、「故郷についての本を作るにあたり、本のふるさと、文字のふるさとをイメージ」したかったからだという。もちろんひとりの出版人として、電子出版元年と騒がれているこの2010年に、あえて伝統的なスタイルの書籍を世に送り、紙の本のよさを再認識してもらいたいという意図もあったことだろう(もっとも、「その辺のことは後知恵で、単に面白そうだから…」と編集長の内藤氏は栞に書いているが)。

いずれにせよ、かつてのベストセラー『智恵子抄』を思わせる函や化粧扉など、実にぜいたくな本である。力強く紙に刻印され、凹凸がわかる活字の圧力からは、かつて本が持っていた「言葉を伝える秘められた力」のようなものが感じられる。しかし、何よりぜいたくだと私が思ったのは、三浦氏が父や故郷へのつきせぬ思いをまとめたこの本を、三浦氏のお父上が直接手に取って読むことができるという幸せである。「孝行のしたい時に親はなし」とは大昔から言われていることで、親について何がしかの顕彰作業をしても、肝心の当人はすでにこの世にいない場合が多い。私自身もこれまでいくつか、亡父に関して物を書いたり、その戯曲を世に出す作業をしてきたが、当人の喜ぶ顔を見ることが出来ないのは実のところ何とも寂しいものだ。だからそれが出来る三浦氏が心底うらやましいし、そんな孝行息子を持ったお父上も、実に幸福者だと思う。

『父のふるさと』は、父からの聞き書きという形で秋田のある時代の農村の姿を切り取ったルポルタージュであるとともに、軽妙なエッセーなども交えつつ、人間にとって故郷とは何であるのかを静かに教えてくれる本である。故郷とは、単に盆暮れに帰省するところではない。それは自分を育ててくれた父母の住む場所であり、とおい祖先の眠る場所であり、やがておのれの魂の還る場所でもあるのだ。このように、人間を包括的に受け容れてくれる場所としての故郷の喪失が、現代人の心に巣食う空虚さの原因だと言っても過言ではあるまい。かく言う私も東京で生まれ、帰るべき場所を持たない、寄る辺なき現代人のひとりだ。だから三浦氏がそうした故郷をしっかりと持っていることもまた、うらやましくて仕方がない。せめてこの活版本のページをめくりながら、遥かなる「ふるさと」の香りを感じたいと願う年の暮れである。

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活版印刷

 

 ゴトンゴトン冬の銀河を走りぬけ

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のなかに、
ジョバンニが活字を拾う(文選)
アルバイトをする場面がありますが、
あの行程を経て文字を印刷することを活版印刷といいます。
活字を並べた版を印刷するから活版印刷。
猫のキャラクターが登場する同名の映画のなかでは、
ジョバンニが活字を拾っているとき、
ゴトン、ゴトン、ゴトンと
印刷機の音が低く鳴っていますが、
この音は、
ジョバンニが列車に乗ったときに聞こえてくる
車輪の音でもありました。
賢治は印刷所でアルバイトをしたことがありますから、
耳に残っていた印刷機の音が
銀河鉄道への想像力を飛翔させたのではないでしょうか。
紙に印刷された文字は、
宇宙へとひとを運んでもくれます。
今回、
自著『父のふるさと秋田往来』をつくるにあたり、
現代では極めて珍しくなった活版印刷の方式を採用しました。
担当してくださったのは内外文字印刷(小林敬社長)さんです。
一年かけてつくった本がようやく出来上り、
小林社長に届けて参りました。
涙を流して喜んでくださいました。
小林社長の言葉には、
活字への愛があふれています。

 嬰児籠の父のまなこに雪の降る

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爪楊爺

 

 本届け夜のネオンの師走かな

昼に食べに行く店で必ず会う爺さんがいます。
わたしは不定期に、
週一ぐらいのペースで行きますが、
爺さんはどうも毎日行っているようです。
いつも同じカウンターの端っこに陣取り、
自分でグラスに水を入れて飲み、
手の届く距離にあるラックから
その日の新聞を取って読んでいます。
わたしはなるべく爺さんが視界に入らぬようにします。
なぜなら、
爺さんは恐るべき爪楊枝使いだからです。
歳をとって嫌なことのひとつに、
食事を終えた後で爪楊枝を使うことだと言った先輩がいました。
高校で教師をしていた時のことです。
その先輩は英語の教師でした。
白髪のきれいな、
紳士然とした大人しい人でした。
そんなものかなあと聞いていましたが、
わたしも、
いつの間にか爪楊枝を使う年齢になりました。
ところで、
くだんの爺さん、
食事を終えたとなると、
口を覆うことなく、
あからさまに、傍若無人に、
これでもかと言わんばかりに、
ぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐいぐい、
しーはーし-はー言いながら、
歯の間をほじくります。
ほじくり返すといっても過言ではありません。
避けようとしても目に入ります。
たまりません。
すっかり食欲が失せてしまいます。
爺さんと背中合わせに座ればよさそうなものですが、
正直に言うと、
怖いもの見たさからか、
つい見てしまう、
見たくなる自分もいます。
こんなところにも、
人間の業が隠れているのでしょうか。
それはともかく、
わたしはこの爺さんのことを爪楊枝使いの爺さん、
爪楊爺(つまようじい)と呼ぶことにしました。

 赤羽の尺八消えし冬の月

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