五十年後

 

 修善寺は蕎麦の値段が高いよね

昨日、面接を行いました。
出版業はもうからない。よって、
おカネだけを考えたらやっていけない商売だよ、
ということを、社を受けに来た人に話しました。
おカネだけを考えてする商売でないとすれば、
何を考えてする商売なのか?
たとえば、それは、
生きがいであり、やりがいであり、夢です。
春風社の柱である『新井奥邃著作集』ですが、
新井奥邃について知っている人が今のところ、
ほとんどいません。
新井奥邃と書いて、あらいおうすいと読みます。
そこで、わたしの夢は、
今から五十年後、
日本史の教科書に新井奥邃の名前が載ることだ、
なんてことを、
受験者相手につい、口走ってしまいました。
五十年後といえば、
わたしは生きていないだろう、
でも、
生きていない時代のことを夢見てわたしは仕事をしているのだ、
と啖呵をきりました。く~っ!!
すると、
それをそばで聞いていた編集長ナイ2が、
五十年後だとシャチョーまだ生きていますよ、
なんておだてるものだから、
え!? そうかな、
だって、いま五十二歳だから、
五十年後というと一〇二歳になっているよ。
無理無理。無理でしょ。ぜったい無理!
いやあ、シャチョーのことだから、
それぐらいまでは大丈夫でしょ。
そうかな?
そうですよ。
教科書に載ったら、
ぼくがそれを持ってシャチョーに届けに行きますよ。
お。ありがとう!
うれしいことを言ってくれるねー!
いえ。それほどでも…。
ところで、おれが一〇二歳として、
そのとき君はいくつだ?
八十六歳。
八十六歳か?
君もずいぶん歳とっちゃうね…。
なんてことで、
話がだんだん、あらぬ方向へ逸れていくのでありました。
それはともかく。
新井奥邃のことでした。
教科書にその名前が載るのは、
はるか五十年後だとしても、
先月刊行された『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館)を開くと、
新井奥邃と田中正造の関係について、
一章設けられていました。
そこに、
「近年、田中正造と思想・信仰上の無二の友として
注目されるようになり、
奥邃研究者の工藤正三、コール・ダニエル両氏の絶大な努力で、
二〇〇〇年から二〇〇六年にかけて
『新井奥邃著作集』全一〇巻が刊行され、
研究の基礎資料がととのった」と、ありました。
著者は、哲学者の花崎皋平(はなざき こうへい)さんです。
来月は、東大出版会からも
新井奥邃に関する新刊が出ることになっています。
五十年後を夢見て、今日も頑張ります。

 漱石の修善寺清し山葵かな
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*あさって24日は、都合により「よもやま」をお休みします。