福袋

 

 ひとり酒友が恋しき春の宵

営業の石橋と大木が大学を訪ねるときは、
大量の春風目録新聞を持って出ます。
わずか四ページの新聞でも、
部数が重なると自ずと重くなり、
大きな紙袋いっぱいに入れたとなると、
それは相当の重さです。
ところで、
石橋が大学回りの準備をしていて
目録新聞を袋に入れています。
ふと見ると、
正月にデパートなんかで販売される福袋に
目録新聞が入っています。
ん!! と、目を瞠りました。
石橋は会社にあった紙袋の一つとして
何気なく使ったのだと思いますが、
なんとも底抜けに可笑しい!
新聞が福袋に入っている。
紅白の色をあしらった大胆なデザイン。しかも、あの字体!
営業で大学の先生を訪ねるときの営業ツールが
福袋に入っている。うん。いい!! 傑作です。
デザイナーの多聞君にさっそく頼もうと思います。
春風社福袋。
なんだかパッと明るくなる。元気がでます。

 近眼が老眼伴ふ春日かな

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心意気

 

 マンホール耳を澄ませば亀の鳴く

ヨコハマ経済新聞に掲載された
春風社の記事を読んでくださり、
朝日新聞の佐藤善一さんから電話があったのが
十日ほど前。
朝日新聞の読者にも、
横浜にこういう出版社があるということを記事にし
ぜひ知らせたいとのありがたい電話で、
それから佐藤さんは、
伊勢佐木町の有隣堂本店に走り
拙著『出版は風まかせ』を買ってくださり、
それをていねいに読んだ上で、来社された。
佐藤さんの本には、付箋が何枚も貼られていた。
インタビューは二時間に及び、
写真も撮ってくださった。
どんな記事になるのかと楽しみにしていたところ、
一昨日、佐藤さんから連絡があり、
きのうの朝日新聞神奈川版に掲載された。
それがコレ
この記事を読ませていただき、驚いたのは、
たしかにインタビューに基づいてはいるが、
わたしの話したとおりの言葉は、一つもないことである。
すべて、自分で話を消化した上で、
後から言葉がつむぎ、そうして出来上がった文章だ。
わたしが話したことだから、それがよく分かる。
新聞は、今となってはむしろ
スローなメディアかもしれないが、
インターネットに代表される速報性のあるメディアとは
異なるメディアであることを、目の当たりにした。
佐藤さんは、インタビューを終えての帰りしな、
「春風倶楽部」創刊号に収録されている安原顯さんの
文章のコピーを希望された。
どこにどういうふうに使うのかなと思っていたのだが、
たった18文字、引用というのでなく、
実に見事に用いている。
わたしは今も、丸刈りに銀縁メガネがトレードマークなのだ。
佐藤さんに、メールと電話で御礼を伝えたところ、
へたくそな文章で…と恐縮しておられた。
十年間の春風社の歴史を短い文章でまとめるのは難しいとも。
その言葉がありがたかった。
新聞記者のこころざしと心意気を感じた。

 黙すれど訪ねてみたし春の山

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指が覚える

 

 パタパタと札裏返し春の風

会社でも家でもパソコンを使っているので、
キーボードに触らぬ日はありません。
自分のことなのに、
不思議だなーと思うことがありまして、
それは、キーボード上の各キーを
わたしが記憶していないことです。
記憶していないのに、こうやって打っています。
チラ見しながら打つのですが、
それも、右手だけで打つのですが、
自分で言うのもなんなんですが、けっこう速い。
モニター画面を見ながら打つと、
指が勝手に動いていくといったような、
そんな具合でもあります。
ですから、たとえば、
キーボードを写し取った紙を机上に置き、
何か文章を打ってみなさいとテストされたら、
まったくできないのではないでしょうか。
このあたりの体の仕組みがどうなっているのか、
とても興味があるところですが、
教えてくれる人もなく、
調べるのも面倒なので、
自分の指先を他人事のように眺めている今日この頃です。

 地震来て地表舞い飛ぶ花粉かな

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芸術の価値

 

 いずこより子ら弾ませて春の風

近所の小学六年生のひかりちゃんが
百人一首のサークルに所属しており、
昨日は、わたしが読み手となり、
ひかりちゃん対その他数名で百人一首の
散らし取りを行いました。
ひかりちゃんは、
上の句を読んだだけでパーンと
払い手で札を取っていきます。見事なものです。
わたしは読みながら、いくつか、
いいなあと思う歌に出くわしました。
ひかりちゃんが興味を持ち、サークルに入らなければ、
百人一首の歌をあらためて味わうことは
なかったかもしれません。
夜、布団に入ってテレビを点けたら、
(このごろ、これが癖になっています)
詩人・評論家の吉本隆明さんが出ており、
芸術の価値についての講演の模様が映し出されていました。
実は、わたしはこれを一度見ています。
吉本さんは、壇上で車椅子に座って話しているのですが、
会場に集まった人に話すというよりは、
ななめ上方に向かい、そこにいる誰かに語りかけるように、
あるいは、
そこにあるものを言葉で写しとるように話します。
吉本さんは、
千年、二千年で人間は変るかといえば、
変らないだろうとおっしゃった。
むしろ、いろいろなものにわずらわされない分、
ストレート(という言葉は使われなかったが)な表現が
可能なのではないか。
沈黙に近い自己表出としての言葉…。
そういうふうに芸術というものをとらえたい。
芸術というのは、本来、無価値なものである。
それが逆に芸術の価値であるとも言える、云々。
たまたま再見した番組であったけれど、
百人一首の歌を声に出して読み、
千年以上も前の人が作った歌を
いいなあと思ったすぐ後でしたから、
吉本さんの言葉が、なるほどと腑に落ちました。
ひかりちゃん、ありがとう。

 御殿山春を被りて午睡かな

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連想

 

 晴れ晴れとビルの谷間の余寒かな

テラチーが今編集している本で、
『インカ帝国の成立』という大部のものがあります。
内容がすばらしく、
仕事ではあっても、テラチーはワクワクしながら読み、
編集しています。苦しいだけの仕事は長続きしません。
書店に案内するチラシが、
テラチーのパソコン台の上にありました。
インカ帝国の成立、と横文字で記され、
その横にピラミッドのような建造物の絵があしらわれています。
それをジッと見ていたら、どういうわけか、
内容とは関係なく、ピラミッドの角がとれ、
ほんわかと渦を巻いた粘着質の物体に変貌し、
あ! まずい。まずい。この流れはまずい! と思いつつ、
インカの「イ」の字が「ウ」に、
インカの「カ」の字が「コ」に、
うにゅうにゅと形を変えていきます。
こういう不届きな子どもじみた連想がときどき起こります。
連想はさらに成田為三に飛び火しました。
成田為三は秋田県出身の有名な作曲家です。
「浜辺の歌」などを作りました。
わたしは成田為三という人を知って以来、
変な名前だなー、と思ってきました。
「為」と書いて「ため」と読みます。ためぞう。
ためぞう、ためぞう、と口で繰り返しているうちに、
不意に「成田ウンコ貯めぞう」が口を突いて出ました。
わたしは単にウンコが好きなだけかもしれません。
成田為三の名前を見ると、必ずウンコを連想し、
ウンコを思うと逆に成田為三に思考が及びます。
それからわたしは、小声で「あし~た~ は~ま~べ~を」
などと歌ったりもしました。
しているうちに、むらむらと童謡が聴きたくなり、
アマゾンで調べて、四枚セットのCDを買いました。

 乗り換えのホームを掃いて春の風

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卒業式

 

 十八点下版の夜の沈丁花

弊社が入っているビルの四階はホールになっていて、
例年、この時期になると、
そこでいろいろな学校の卒業式が行われます。
昨日も着飾った娘さんたちとお母さんたちで
入口付近がにぎわっていました。
きれいな花が生けられ、
かぐわしい香りが辺りを包んでいます。
卒業の喜びと切なさと、
友と別れる寂しさがこちらにも伝わってくるようです。
このごろわたしは、
もっぱらアマゾンで買い物をしていますが、
ちょうど昨日、
いきものがかりのCD『ハジマリノウタ』が届きました。
「YELL」も入っています。
近所の小学六年生のひかりちゃんが
カラオケで歌うのを聴いて知ってから、
好きになった曲です。
「YELL」には、
「サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL」
とあります。だらだらした叙情に走らず、
ぐっと涙をこらえている感じが好きです。
ひかりちゃんも四月から中学生。
今は百人一首にハマっていますが、
親にも友達にも言えない、
自分でも分からない思いや感情や願いをはぐくみながら、
ステキな大人になっていくのでしょう。
さて今日もまた、
どこかの卒業式が四階ホールで行われるかもしれません。

 春うらら仕事放って立ち小便

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 白浪を立てて舟行く賢島

きのうは、昼に印刷所の担当が
来社することになっていましたので、
その前に昼食をとっておこうというわけで、
早々に近くの交差点角にあるお店に入りました。
11時35分。
きょうは一番だろうと思いきや、
なんと、すでに五人もいるではありませんか。
カウンターにいつもの男性二人。
テーブル席に女性三人。
したがってわたしは六番目。
女性三人がいぶかしげにわたしを見ました。
驚きと不安の表情が顔に貼り付いていたかもしれません。
五人の前にはまだトレイが置かれていません。
担当者が来るまでに会社に戻れるだろうか。
だんだん心配になってきました。
やっとランチが出てきて、
わたしはもう、わき目も振らずに、
一心不乱に、ご飯と味噌汁とイシモチの塩焼きと
鶏カツとサラダとホウレン草とシラスのおひたしと
タクアンと菜っ葉の漬物とおまけにデザートのイチゴ三個を平らげ、
コーヒーは断り、
お代を払って威勢よくごちそう様でしたーと言い、
速歩から小走りに転じてビルまで戻り、
エレベーターなど文明の利器に頼ることをせず、
脇の階段を一段飛ばしでぐるりぐるりと三階まで。
は~。は~。は~。は~。は~。は~。
ケータイを開いてみたら、12時07分。
ドアを開ける。
静かに弁当を食べているイシバシの姿が眼に入る。
よし。担当はまだ来ていない。
ふ~。
こうして戦々恐々の昼食は終りを告げ、
わたしは万全の態勢で席に着き、
運慶の金剛力士像よろしく、口をへの字に曲げ、
鼻息も荒く今か今かと担当の来社を待っているのでありました。
終り。

 賢島おぼろに島の停泊す

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