「に」と「へ」

 出物でて行き場失ふ春気功
 新渡戸稲造のことではありません。格助詞の「に」と「へ」。
 授業の神様といわれ、かつて大江健三郎がルポルタージュも書いたことのある群馬県島小学校で校長を務めた斎藤喜博は、「に」と「へ」のちがいを小学校の国語の授業でおこなったことがあった。
 昨日のトップページの文章を読んでいて、そのことを思い出した。
 『大辞林』によれば、「に」は、上代から用いられている語で、動作・作用が行われ、また存在する、時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法、とある。
 一方の「へ」は、「あたり」の意の名詞「へ(辺)」から?動作・作用の向けられる方向を示す。?動作・作用の向けられる対象を示す、などとある。
 意味だけの説明では分かりにくいけれど、例えば、昨日のトップページの、
「昨日スーパーに行ったら、新玉ねぎが売っていました。」を仮に
「昨日スーパーへ行ったら、新玉ねぎが売っていました。」と比べ、
もう一度辞書の説明に戻ると、だんだんその違いがはっきりしてくるようだ。
 山の幸捨てる神あり拾ふ神あり

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猫のゴン

 ひかりなのピアノ春風潔し
 土曜の夕刻、ひかりちゃんとりなぴも出演するというピアノ発表会に出掛けました。会場は、歩いて十五分ほどのところ。
 酒に酔いかつて多聞君にもたれるようにして上った急階段を下りていくと、耳をピンと立て、瞑想でもしているような風情のゴンがいました。横に倒したプラスチック製の箱にふわりと。ありがたくなって、手を合わせました。
 ケータイで写真を二枚撮らせていただきましたが、あわてる風なく、むっくりと起き上がり、「それでは」。なので、わたしも「あ、どうも」
 春告げるセブン・イレブンいい気分!

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出物

 梅の香や十周年の宛名書き
 出物腫れ物ところ嫌わずというのは、本当です。
 きのうは木曜日。横浜気功教室の日でありまして、わたしは、この日をとても楽しみにしています。それは、教室の前に大好きなお寿司を食べれるからです。横浜駅の地下にある「魚敬」という回転寿司のお店。椅子に座って初めに食すのがズワイガニ。わたしはカニが大好物。なので、木曜日はわたしにとって祭りの日なのです。
 お寿司を食し、教室に向かいました。生徒はまだちらほら。前列に座って静功の構え。無念無想。静かにレッスンは開始されました。立ったり座ったりしながら築基功の基本の四動作を行います。と、なにやら、お腹がグルルルル。ん!? グル。こ、こ、これは! これは、もしかして!? でも、でも、放つわけにはいかぬ。我慢我慢。だって、すぐ後ろにも人がいるし。しかも女性。もう気が気ではありません。わたしの顔はだんだん赤黒くなっていたと思われます。CDの音声「漏れないように気を丹田に集めます」がわたしには「漏れないように屁を丹田に集めます」に聞こえます。
 もうだめ、無理無理! でちゃうでちゃう、と思った瞬間、朱剛先生の「はい。それでは少し休憩します」の声。漏れないように手で後ろを押さえながら、トイレに駆け込みました。ブファファファーーーーッ、ッ!!! 強烈な一発、そして余韻。うっすらと涙が浮かんだりして。
 トイレから出ようとすると、同じ教室の生徒が少しうつむき加減に入ってきて、黙って「大」の個室に入りました。
 天の気を酸っぱく染めし梅の花

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スギライト

 路地を来て辺りキョロキョロ沈丁花
 1977年、発見者・村上允英氏が、恩師である岩石学者・杉健一氏にちなんで名づけた日本に縁の深いパワーストーン… マダム・マーシの『パワーストーンBOOK』に、そうある。
 深い紫の色に惹かれ、左手首に着けていたのだが、昨年九月、知多半島を旅したとき、朝、浜辺で気功をしていたら、ぷつりとゴムが切れて砂地にぱらりと落ちた。すぐに拾えば拾えたかもしれないが、そのままにして気功をつづけた。
 あの石が人の目に留まり、採取され、加工されるまでどれだけの時間が必要だったのだろう。あの浜辺で地に落ち、波にさらわれ削られて、この世から消える日まであとどれぐらいの時間がかかるだろう。もともと、わたしの持ち物でもなんでもなかったのだ。
 底意地の肥溜め爆発! 春日かな

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眠気のトンネル

 丘のうへ春を誘ひしブーケトス
 番組収録のインタビューに答え、三時間半ほとんど喋りっぱなしで、自分ではそれほどと思わなかったが、かなり疲れていたようで、きのうは昼食後、眠くて眠くて仕方がなかった。
 だいたい午後一時間ほどは眠気がつづき、原稿を読み始めたら二分ともたず、ネットのニュースを目で追っても同じ行を二度三度、それならと、好きな夏川純のブログを開いてもやはりダメ…、となるともう諦めて目を瞑るしかないのだが、きのうは眠気のトンネルがいつもの倍。どう足掻いても抜けられなかった。
 三時を過ぎ柿茶と温泉饅頭をいただいて、やっと眼が覚めた。
 沈丁花かほりに宿す青葉城

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二十二年ぶり

 花嫁の父の足取り水ぬるむ
 テレビ取材のクルーの方が番組で使いたいというので、写真に写っている生徒に連絡を取るのに、まずは以前勤めていた高校に電話をしてみた。
 事務の方に事情を話したところ、二人のうちの一人の連絡先は知っているという。教えてもらった番号にさっそく電話。ケータイに出た声は独特の高音で、すぐに彼女とわかった。せんせー、ひさしぶりー、……。
 写真のもう一人とは高校時代からずっと、今も付き合いがあるとのこと。番号を教えてもらい、電話した。もしもし。はい(こちらは低音)。○○さんですか。みうらです。せんせ? せんせーなの? 声は二十二年前とちっとも変っていない。
 目の前に写真を置いて話していると、二十二年前のそのときの二人に話しているような錯覚に囚われる。取材のことがなければ、この二人と話すこともなかっただろうと思ったら、不思議な気がした。
 夜、テレビをつけたら、日本経済大学の先生が「偶然ベタの若者」という題で話をしていた。偶然と思えることの豊かさ、それに意味を見出すことの喜びと意義、大切さ…。
 一日一日のちょっとした出来事が、大いなる世界の影にまもられ、響き合っているのだと思った。
 風船を見上ぐ人らの顔透けり

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六時三〇分

 あと五分春眠あかつき五〇分
 普段の目覚まし時計の設定時刻です。とくべつの用事があるときは、六時だったり七時だったり。
 目覚まし時計といっても、鈴が二つ頭についたものではありません。ケータイはほんとうに便利ですね。
 目覚ましの音楽は、ジョージ・ベンソンのギブ・ミー・ザ・ナイト。朝なのに、夜をくれ(!?)
 三月に入っても、朝は室温十六度と、数字的にあまり変化が見られませんが、自然は刻一刻と春に向かっているようで、体も自然の一部なのですから、このごろなかなかパッと起きらせません。はい。言い訳です。
 バッキャ見てお前だれかとフキノトウ

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