実に代り鳥が木になる冬の空
編集者はまず、人一倍寂しがり屋でなければならないというのがわたしの持論ですが、もうひとつ大事なことは、助平でなければならないということ。
編集者寂しがり屋説は、ここの欄で以前書いたことがあるので省くとして、編集者助平説。
その根拠は、物を書くというのは、まず第一に恥ずかしいことだと思うからです。
学術論文など外の対象を分析し研究するものはそれほどでもないかもしれませんが、小説でもエッセイでも、自分の内面を裸にしなければなりません。読むほうも、暗黙のうちに、どこまで裸を見せてくれているかを期待します。なにも事実を書く必要はありません。事実がどうであれ、内面の真実を記述することは、恥ずかしいことだと思います。その恥ずかしい部分に触れ、撫で、もむのが編集者の仕事。
著者と編集者の関係というのは、エッチっぽいと言われたことがありました。
目の先の木になる鳥や寒の雨