三十二年ぶり

 なだづげやでゃごんの白さ菊゛の色
 数えてみたら、なんと三十二年ぶりです。
 高校の同級生で、卒業後会ってなかった人から会社にメールをいただき、再会することができました。インターネットが普及したことで、ときどきこういうことが起きます。
 彼女は英語とスペイン語の通訳ガイドをしており、先年亡くなったフランス画壇の鬼才・バリュテュス夫人の節子さんにも会ったことがあるそうで…。話しながらころころと、さもくすぐったそうに笑う姿は変っていません。うれしくなりました。
 再会の場所にふさわしい鳥良鶴屋町店を紹介してくれたサムカワフードプランニングの坂本聡総務部長、心のこもったもてなしをしてくださった渡邉健彦店長、ありがとうございました。
 坂本君は、かつて小社でアルバイトをしていたことがあり、小社のホームページの第一号は、彼の手になるものです。
 冬の駅押し競饅頭喫煙所

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ウサギとネズミ

 帰省の日雪だびょんと父笑ふ
 この「よもやま日記」かつては土曜日、日曜日も書いていた。
 出張の折、宿に使えるパソコンがないときは手書きしたものをFAXで会社に送り、編集長ナイトウにアップしてもらっていた。
 秋田に帰省した折は、弟の家まで出かけ、パソコンを借り、そこからアップした。
 そういう姿を見かねたのか、あるとき田舎に帰ったら、父が、「お前にプレゼントだ」というから、何だと思ったら、パソコンが置いてあった。うれしかった。そのパソコンを使い、実家で「よもやま日記」を数回書いた。
 ところが、怪我と病気をした後、土、日は書かなくなったので、父からのプレゼントは寝たままになっていた。
 保土ヶ谷の自宅で使っているパソコンが、編集長ナイトウに言わせると、人間の寿命でいえば200歳を超えるそうだから、完全に壊れる前に換えようと思い、この正月帰った折、父にそのことを話したら、使ってもらったほうが機械もうれしいはずだから、横浜へ持っていけ、と言う。それで、父に頼んで、宅急便で送ってもらうことにした。マウスだけは取り外して鞄に入れて持ち帰った。
 さて、長くなったが、ここまでが前段。
 宅急便で秋田からパソコンが届いた翌朝、父から電話があった。父との会話を修飾することなく記すと、
「おはよう」
「おはよう」
「パソコン、とどいだが?」
「ああ、とどいだとどいだ。どうも、ありがどう」
「うむ。それはよがった。とごろで、ウサギの耳って言うのが、あれはどうした?」
「はあ? ウサギの耳?」
「ウサギの耳だよ、ほら」
「ウサギの耳ってなんだよ」
「ウサギの耳みだいなの、あっぺした」
(わたしはここで、はたと思った。これは、父が何か誤解をしているな。最初、ダンボールの持つところの楕円形の穴のことを指しているのかとも思ったが、どうもそうではないらしい…。ピーン!と来た)
「ウサギの耳でなぐ、ネズミだよ父さん。ウサギの耳に似でないごともないけれど、あれ、マウスっていうんだ」
「ああ、それそれ、マウスマウス」
「マウスなら、取り外して鞄に入れて持って来たよ」
「んだべ。なんぼ探してもながったがら、おがすぃーなぁと思っていだのさ。ああ、良がった良がった」
 というわけで、今日は、マウスをウサギの耳と言い間違えたかわいい父のお話でした。
 ブリッコや男鹿半島を包み込む

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十年ぶり

 ブリッコの一粒ごとの帰省かな
 福村出版の宮下基幸さん来社。仕事で横浜国大へ行った帰りに寄ってくれた。
 宮下さんは、以前わたしが勤めていた出版社の同僚。会社の倒産を機にフリーの編集者として仕事をし、縁あって明石書店に入社、さらに明石書店の傘下に入った福村出版をまかされ、現在は取締役。育ちが良く、責任感の強い人柄を見こまれての抜擢だったのだろう。
 横浜駅で、わたしは横須賀線下り、彼は湘南新宿ライン上りで同じホーム。
 わたしの乗る電車が数分早く到着したので、握手をして電車に乗りこんだ。なだれ込んで来る人でごった返し、宮下さんの姿は間もなく見えなくなったが、ドアが閉まり発車するとき、ひょいと見たら、彼は伸び上がって手を上げ、また頭を下げた。宮下さんだなーと、嬉しくなった。
 焼いで良し煮で良し鮨良し神の魚

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伊勢山皇大神宮

 びょうびょうの時を払ひし大晦日
 小社が入っている横浜市教育会館の隣りがホテル開洋亭で、昨年から取り壊し作業が続いている。その後ろが伊勢山皇大神宮。開洋亭と伊勢山皇大神宮は何らか繋がりがあると聞いたことがある。だとすれば、神様も自分のところは救えなかったということか。
 それはともかく。仕事始めには例年、伊勢山皇大神宮に社員総出でお参りし祝詞をあげてもらう。昨年はキルディーンのこともあったから、それのお礼参りも兼ね。
 いやはや驚いた。さもありなんとは思っていたが、予想をはるかに超える人でごった返し、破魔矢やお御籤を売るための臨時の販売所まで設えられていた。いま賑わっているのは、ハローワークと神社仏閣とヨドバシカメラぐらいか。こんなにみんな苦労しているというのに、税金の無駄づかいばかりしていながら政権抗争にうつつを抜かす政治家どものツラを思い浮かべると、腹の底から怒りがもたげてくる。政治家は、政治の一つもしたらどうなのだ。
 雀の子さえずり交わす大晦日

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索引

 ハダハダの腹を破りしブリコかな
? 秋田駅。上りエスカレーターが頂上付近に差し掛かったところで振り向くと、少し腰の曲がった母がこちらを見上げて手を振ったこと。
? 小学四年のときの担任の伊藤君枝先生が度の進んだ眼鏡をしていて、眼が大きく見えたこと。
? 町の後輩J君の家を訪ね、J君の記事の御礼を述べたとき。おふくろさんは板の間に正座し、しきりにお辞儀をし、おやじさんは愉快そうに体を反らせ大笑いしたが、二人の所作がJ君を髣髴とさせたこと。
? 小学一年のときの担任の伊藤陽子先生を訪ねたとき、先生の息子のお嫁さんがわたしにお茶を注いでくれたのだが、腕に水滴が着いていて、目を奪われたこと。
? 父と弟と三人で町一番のスーパーマーケットへ行き買い物をした。弟は、「ここのヤキトリ、美味いんだ」と言って、ヤキトリを籠に入れた。夕飯になり、弟は、わたしの皿にトリ皮の串を一本よこした。食べてみなよの合図だったろうか。
? 大晦日の日、父は、ハンチング帽を買ってきた。母に冷やかされたが、被った自分の姿を窓に映してみて、まんざらでもない様子であったこと。
? 今朝、柚木の夢をみたこと。
以上、順不同。
 ここ数日のあれこれをアトランダムに記憶していて、こんな風に書きでもしなければ、きっとすぐ忘れてしまいそうな儚いものだとは思うけれど、ノーベル賞をもらうような作家や科学者でも、歴史に名をのこすような詩人でも、世界にどれだけ触れられるのだろう。できるのはせいぜい索引作り。
 儚い瞬間は、結局どんな媒体によっても、とらえることができないのではないだろうか。そこには、人の手で触れられない何かがある。瞬間瞬間の緊密で再現不能の景と動作は見事というしかない。きっと、それでいいのだ。
 ハダハダを干して炙りし祖父の指

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