質問の難しさ

 きまげればあんぽんたんの案山子かな
 昨日、全日本仏教徒会議がパシフィコ横浜であって、記念に来日したダライ・ラマ法王の講演を聞いてきた。
 なんだか子供みたいな人で、照明がまぶしいからと言って、坊主頭にサンバイザイーを被り、終始その格好で話をされた。同時通訳がついて2時間ほど。
 途中眠くなったりもして、中身はあまり頭に入らなかった。後部座席のおじいさんがポツリと、「なかなかいいこと言うねぇ」と言った。
 講演が長引き、質問は一人のみ受け付けるということになった。誰もいないだろうと高をくくっていたら、はい! と大きな声で手を上げるものがいた。中年の、スーツのボタンが窮屈そうな、少し太りぎみの、女性だった。
 質問の内容は、前日に駅の構内で中年男性が駅員にいちゃもんをつけている場面に遭遇したのだけれど、自分はそれを見て何もせずに通り過ぎてしまった。ほかの人たちも見て見ぬふりをしていた。ダライ・ラマ法王がもしその場におられたら、どのように対処されますか、というものだった。
 ダライ・ラマは、欧米人がよくやる両肩をちょっと上げる仕草をして、「さあ、どうしますかね。わかりません。自分でこうだと思うことをすればいいのじゃないですか」みたいなことを言った。そんなこと訊かれても…、という表情が印象に残った。質問は難しい。ポカ〜ン。戸惑うダライ・ラマは子供そのもの。にこにこにこにこ、オランウータンのように手を上げ会場を去った。
 淡雪や湧いてここまで届きけり
 薄氷(うすらひ)や暖簾にあらず我がこころ

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