ご多用

 「ご多忙のところまことに恐縮ですが…」みたいな例文がある。
 だれかに教わったわけではない(記憶にないだけだろうか)けれど、いつの頃からかこの「ご多忙」を使わなくなった。
 よく言われることだが、忙の字は心を亡くすと書く。独楽のように人の三倍も四倍も働いても、いつも元気でにこにこ、はつらつとしている人もいれば、それほど動いていないのに萎びたようになっている人もいる。
 自分だったら忙しいと感じることでも、他の人ならそれほどでもないということだってあるだろう。「忙しい」は人それぞれの感じ方に負うところ大だから、「ご多忙のところ」は、意地悪い見方かもしれないが、ちょっと失礼な言い方ではないかと思うようになった。
「ご多用」なら、心のことは置いといて用事がたくさんあることだから、失礼には当たらないかと思い、これを多用するようになった。
 台風過ぽかんぽかんと体あり
 野分去り陸に上がりし鯉の池
 行き行きてまた坂来る鰯雲

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お金

 子供の頃、大きくなって仕事をしてお金を稼ぐようになっている自分を想像できなかった。今、仕事をしてお金を稼ぐようになっても、どうもその感覚が身に付いていない気がする時がある。
 例えば、土を耕し種を蒔く行為に対して、お金というのは仕事をしたことの代価だとしても、信用で成り立つものだから、具体的でないし隠れ蓑にもなり得る。
お金とやこの紙切れに秋の風

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例文

 9月に入りましたから残暑というのも当たらないのかもしれませんが、暑さは残っていますから、歳時記的にはともかく残暑です。
 ある国語辞書にこの「ともかく」の例文として、仕事ならともかく渋谷にはほとんど行かない、というのがあり、大笑いし、これは画期的な辞書に違いないと思った。小社から出ている『現代日本語モンゴル語辞典』の例文には、タイには象がいる、がある。
 人事ゆき笑ひも白む秋となり

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関係

 にょろにょろり主人(あるじ)無き間のサボテンは
 世話になっている鍼灸の先生のところでの話。
 予約制で、わたしはだいたい土曜日の午前十時半と決まっている。何度か通っているうちに、顔なじみの人もでき、挨拶を交わすようになった。「お先に」「あ、どうも。お疲れさまでした…」。お疲れさまはおかしいか、と思ったが、わたしと入れ替わりの中年の男性は靴を履き、そそくさと帰っていった。
 「どうぞ」。カーテンで仕切られただけのスペースに通され、ベッドに横になる。先生は脈を診、何箇所かに鍼を刺し、隣りの人を診に行く。しばらくするとまた先生がやって来る。診察しながら、いろいろよもやま話に興じたりもする。先週は、石から光が発するのを見た人の話をした。先生は、へー、とか、本当ですか、と驚いている。カーテンを開け、カーテンを閉め、隣りのカーテンを開けて、「今日も面白い話を聞けたね」「はい」。隣りは中学生の女子で、名前も顔も知らないが、カーテン越しにいつの間にか親近感が湧くようになっている。なんだか面白い関係。
 夏草や息まで青くなりにけり
 言葉もて塗り込めしのち今に触れ

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