からだは天才

 竹内敏晴さんの新刊『生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち』(トランスビュー)を読んだ。自身の聴覚障害の体験を踏まえ、独自のレッスンをかさねてきた竹内さんの今の到達点なのだろう。「いまは発見されるものであって、語れるものではない」と竹内さんは言う。語れるものならば、レッスンをする意味はないということか。
 客体としての身体でなく、主体としてのからだをレッスンを通して生きてきた竹内さんは、意味(さらに精神)をもとめてレッスンを続けてきたのだと思い知らされた。
 以前、竹内さんが小社を訪ねてこられた時、県立図書館のある丘の上に立ち、ほんの少しの時間そこでたたずみ、あたりの景色を見まわしていた(手をかざしなどしたかもしれない)ことがあった。遠い記憶を探っている(迷子になった子供)ようにも見えた。竹内さんにそのことを確認しなかったし、本当のところは分からない。今回、『生きることのレッスン』を読み、なぜか、あの時の竹内さんの姿が浮かんだ。(風景と時間を生きる意味に照準を合わせていたのかな)
 からだから精神にいたるドキュメンタリー、驚きの道程がこの本には記述されている。世間的な常識を超えるからだの精密さ、地平に驚かされる。不思議!! 語り得ないいまっていうのが、なんだか、気持ちいい。分けへだてなく、だれにとってもの宝(光り輝くとはかぎらない)みたいで。そして、それは語れないんだ。

466c873f74daf-070609_1117~01.jpg

だって、足があるじゃないの

 知り合いに齢八十を越す女性(仮にAさんとしましょう)がいて、昨日から、わたしが通っている気功教室に通い始めた。四十の手習いということがあるけれど、Aさんの場合、その倍。
 帰りがけ、すこし時間があったので、お茶を飲みながら、お話をうかがった。にこにこにこにこ、おだやかな笑いの気につつまれる。
 Aさんは二つの句会に所属し俳句を物し、また絵を描き、エッセイもつづる。なんでも一昨日はレオナルド・ダ・ヴィンチ展を観に上野へ、昨日はスケッチブック片手に湘南まで出かけたとか。Aさん、何が嫌いといって、井戸端会議ほど嫌いなものはないらしい。時間がもったいない、と。Aさんの娘さん(彼女も昨日から同じ気功教室に参加)が、「なんで1人でそんな遠くまで行くの?」と訊くと、「だって、足があるじゃないの」。Aさんの娘さん曰く、「おかあさんの1日は48時間だね」
 気功教室は1日だけいつでも無料で体験できる。Aさんは昨日から正式に通うことになったが、実は先週、1日無料体験コースに参加した。あいにくの雨で、夜7時から始まった教室は、レッスンの間中カミナリが鳴りつづいた。ビルの15階。光の枝が闇をつんざく。そのことを思い出したのはAさんの話がきっかけだった。Aさん曰く、「今日はブラインドが下りていたけど、あの日はブラインドが上がっていて、だから夜空に光るカミナリがよく見えた。あの光景をなんとか句にしたいと思ってね…」。そう言われてハッとした。ブラインドのことまで気が付かなかった。今日は下りていたのに、先週は上がっていた…。ブラインドが上がっていたから、カミナリがあんなによく見えたのだった。

46688490dd230-070607_1001~01.jpg

いまの発見

 私にも書いてきた本がいくらかあります。でも、それは自分が体験してきたことを、後になってから言語化したものに過ぎません。だから、私にとって、書いたものは常に過去でしかない。「すずしさや鐘を離るる鐘の声」だったかな、蕪村に確かそんな句があったと思います。これは「いま」を見事に表現している句だけれども、「いま」を語っているわけじゃない。そうではなくて、いまという時間が過ぎ去るのを感じている過去の自分を、後から気づいて言い留めている。だから、これもいまの自分にとっては過去です。いまの発見は語れない。ことば以前の体験だから。
 いまの自分がどこに行くかなんてことは、誰にもわかりません。いまの自分は、ただ見極めのつかない歴史の闇の中へ歩いていくだけです。先に出てはじめて、何かが動く。
(竹内敏晴『生きることのレッスン』)

46673f8c871e7-070605_1023~0001.jpg

出版人は趣味をもつな!

 岩田博さんが経営しておられる岩田書院という出版社がある。社員は岩田さん1人。4年前に無明舎から『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』という、出版人にとっては(おそらく、そうでない人にとっても)すこぶる面白く、ためになる本が出たとき、すぐに買って読み、その感想を岩田さんに送った。ホームページに掲載していただいたのが縁で、その後、目録や「新刊ニュース」を送っていただくようになった。
 きのう届いた「新刊ニュース」の「裏だより」(赤裸々な出版事情が克明に記された稀有な内容で、この第1号から第267号までまとめたものが『ひとり出版社〜』だ)には、かつて600部つくった本が6年かけて完売したことが報告されていた。その数字が、今の出版事情を如実に物語っていると思われた。
 また、こういう感想は、岩田さんに怒られるかもしれないけれど、岩田さんは本づくりが本当に(つらさも含め)好きなのだなと思った。総合商社みたいな巨大出版社のことは知らない。日本の出版は、多くは岩田さんに代表される出版人によってもっている。わたしも、その端くれでありたい。あなたの趣味はと訊かれ、臆せずに、出版ですと答えられる人(会社)しか生き残れない情況が、哀しくも今の出版界を支えている。

4665d7b55f332-070527_1130~01.jpg

気になるカーテン越しの会話

 ある日の鍼灸治療院にて
 「まだ、いたむ?」
 「だいぶよくなりましたけど…」
 「ここは?」
 「すこし…」
 「こっちは?」
 「あ」
 「いたい?」
 「いたいです」
 「あとは?」
 「こつばんのところが、ちょっと…」
 「ここ?」
 「いっ、い…」
 「ごめんごめん。いたかった? ちょっと、ぬいでみて」
 …………………………
 …………………………
 「ねむれる? きのうはなんじにねたの?」
 「じゅうにじまえにとこについたんですけど、たぶん、ねたのはいちじすぎだったとおもいます。それで、よじはんごろにめがさめて、あとは、ねむれませんでした」
 …………………………
 …………………………
 「ねむれるようにしたからね。きょうは、はやめにとこについて、ゆっくりやすんでください」
 「はい。ありがとうございます」
 右から来た音を、ぼくは、ただ左へ受け流すこともできず、ベッドに身を横たえたまま全身耳怪獣と化していた。

466495510ed07-070531_1613~01.jpg

9歳ルナ君の発言

 だから、逆に、指導者って、他から学ぶの、ヘタくそネ。謙虚を忘れてしまうのだナ。私もそんなに謙虚じゃないけどサ(笑)。でも、私子供だから、まだまだ貪欲に学ぶことをするの。きっと一生だネ。
 段階も、ないものにするのとは違う。
 でも、人の気づきなんて、一瞬にしてまっさかさまよ。「ここまで気づいた」とか言ってても、すぐに奈落の底よ。でも、それを恐れることはないの。そういった揺れがあるから、人は再び気づくんだから。
 私も言いたいこと言うけど、全部私の心地よさが指針なの。
(日木流奈『伝わるのは愛しかないから』)

466334ed52377-070602_1326~01.jpg

120日

 2月から始めた気功がきのうでちょうど120日。1日も欠かさず、朝40分、夜40分の計80分。これにより、どんな効果が現れたか。
 ?耳鳴りが消えた。
 ?ときどき左肘から手先にかけて痺れることがあったが、それが無くなった。
 ?鎖骨骨折の後遺症か、首筋が異様に凝っていたが、痛みを忘れているときがある。痛みの程度が軽くなったせいだろうと思う。
 ?寝つきがよくなった。 
 ?歩く姿勢がよくなったと、よく人からほめられる。自分では分からない。
 ?お腹が適度にすくようになった。
 ?それにつれ、食事が以前にくらべ美味しく感じられるようになった。
 ?目の疲れ、かすみ目が少なくなった。ひょっとしたら、これは気功のおかげというよりも、わかさ生活のブルーベリーアイのおかげかもしれない。相乗効果ということで。
 というような具合。
 気功は、ゆっくり柔らかい運動なので、からだを痛める心配がなく、内臓にも効く。気持ちが落ち着く。難点を敢えてあげれば、つづけてやっていると気持ちがいいためか、やめられなくなる。健康に効く麻薬のようなもの?
 とにかく、いいことずくめなので、わたしの体験も踏まえ、酒豪、もとい、朱剛先生(わたしが通っている教室の先生で、中国禅密気功のただ1人の伝承者である故・劉漢文師に師事、禅密気功「気功師」の認定を受ける。師の信頼が厚く、日本における禅密気功の普及を託された)の2冊目の本を小社から刊行することになりました。
 仮の題は『背骨をゆらす 背骨がゆれる ―気功で健康になる』。9月刊行の予定。

465f3f8dd4fa2-122831052007.jpg