おばさんらしく

 ある大手新聞社の千葉支局から『おばさん! 辺境を行く』の著者を取材したいとの連絡があった。著者も喜ぶだろうし、出版社としてもありがたいのだが、いきなり新聞社から電話が行って驚かせてもいけないと思い、記者の方にちょっと待ってもらうことにして、わたしが先に電話をすることにした。
 ある大手新聞社の千葉支局から、たった今連絡があり、『おばさん! 辺境を行く』の著者に直接会っていろいろお話をうかがいたいそうですと告げるや、実におばさんらしく、「あら、どしましょ」と仰った。声に驚きと喜びが満ちている。こっちまでうきうきしてくる。よかったですねえよかったですねえと共に喜び合い、電話を切った。『おばさん! 辺境を行く』には「あら、どしましょ」のセンスが溢れている。

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 中国禅密気功の朱剛先生の外気功を初めて受けたとき、わたしに向かい手をかざしたあと、先生の第一声が「ムチ打ちをやりましたか?」だった。その言葉がずっと引っ掛かっていた。気の滞りがムチ打ちのそれと共通していたのだろうか。
 一昨年の四月に鎖骨を骨折して以来、気も心もいっしょに折れたみたいになり、医者にかかり、クスリを飲み、鍼灸、マッサージ、整体とあれこれ試し、あわせて関連書も集中的に読んできた。また、西式体操をはじめ、乾布摩擦、爪揉みマッサージなど、体にいいとされることはいろいろやってもみた。このごろは中国禅密気功ということになっているわけだが、何がどう作用したのか、何と何の相乗効果かは分からないけれど、調子が日に日に良くなっている。周りからもそう言われる。ありがたいことだ。ところが、からだ全体が向上しているのに、刺さったトゲみたいにどうも不調の根みたいなものがまだ残っている感じがする。それで、ふと、朱剛先生に指摘された「ムチ打ちをやりましたか?」を思い出したのだ。
 ムチ打ちをネットで調べてみた。出てくるは出てくるは。自律神経失調の症状が、わたしがこれまで体験してきたことと実によく似ている。驚いた。そうか、と思った。
 鎖骨を折ったとき、その衝撃はおそらく、というか、当然、首をも襲ったことだろう。レントゲン写真には現われなくても、アンバランスな状態が痛みの信号をともない今に残っている。朱剛先生は、微妙な気の流れでもって、そのことを鋭く感じ取ったのだろう。

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千成のかっちゃん

 白い手だねー。仕事をしない手だな。おれの手を見てみろよ。
 どれ。わたしにも見せてよ。あら、ほんとだ。それに、なんて柔らかい手。わたしより柔らかいじゃない。
 あっ、あっ、いま、ママの手にさわったな。さわっただろ。いーや、さわった。ゆるしちゃおけねー。えっと、伝票に付けておかなくちゃ。1万円、と。
 仕事によって手も変わるということかしらね。
 そうだな。その柔らかい手は寿司屋にゃ向かねえ。シャリを握ったときにグッと中にめり込んじまうもの。餅は餅屋ってことだな。

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春を告げる香り

 この季節を目で見るより先に香りで気付かせてくれるものがある。沈丁花。名前を知っている数少ない花の一つ。時間に少し余裕があって裏通りなどを歩いているときに不意にその香りがやってきて驚かせられる。立ち止まり香りの主を探す。十分に咲ききってはいないのに香りは濃厚で、強く存在を主張してくるようだ。大学生の頃、仙台で初めてこの香りに驚き立ち止まった記憶がある。秋田では沈丁花にまつわる思い出はなく、雪解けの濡れた土が乾いてくると、春だなあと心が沸き立った。

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真の字

 中国人は、ゆっくりした呼吸の理想的な状態を「胎息」という。胎児のように、ヘソの緒から酸素をうけるわけだ。母体回帰願望ともいえるが、長生きの秘密が無限に死者に近づくこと、呼吸を長くしていってついにはしなくていいまでになるというのは面白い逆説だ。『荘子』にはとくにそうしたニュアンスが濃い。「凡人は鼻で呼吸し、真人はカカトで呼吸する」とあるのも、「気」を吸収してカカトにまでめぐらす術を言っているのだが、「真」とは人の首が逆さにかけられている文字で、荘子がはじめて使った真人というのは「死をわがものとした人」というような意味があったらしい。(津村喬『新編 しなやかな心とからだ』)

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教育の新しい風

 発達の遅れのある子供たちのための自学自習の画期的システムを研究開発し、すばらしい実績を上げているよこはま児童文化研究所の2冊目の本『母の愛が奇跡を生む 発達の遅れに挑むラーニング・ボックス学習法』が好評だ。
 研究所所長の原ふみさんと編著者の立川勲さんが先日、弘前で講演し、ラーニングボックス学習法の実践もプレゼンテーションしたところ、大きな反響があり、事前に『母の愛〜』を読んだ方々から「読んでいて涙が出ました」「障害児をもつ親だけでなく、すべての親に読んでほしい」「学校の先生たち、特に養護学校の先生たちに読んでもらいたい」「お母さんたちの気持ちをしっかりと受け止めて教育してほしい」「前の『ラーニング・ボックス学習法』とつながる内容でした」と、ありがたい感想が寄せられた。
 講演会場に持参した数十冊完売の知らせもうれしく、新しい教育の風が横浜から吹き始めた。

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山と谷

 「仙」とは「俗」の反対語である。谷に人が住むと書いて「俗」になる。山に人がいてそれが「仙」である。谷に住む者は視野も限られ、活動領域もせまくて自分の生命をはてしなく充実させひろげていくということができない。山人とは脱領域の人であり、カルマ(業、突如インド哲学をもちだしたりしてズサンで申しわけないが)を解脱した人である。飛行術というのがあって、飛んでいる仙人が川で洗濯する娘の白いすねを見て術がやぶれ墜落したなどという話もあるが、これなども「仙人ぶり」への民衆の皮肉な批評であるとともに、「自分の場所」を脱出してどこかへとんでいきたいという熱烈な想いが生みだしたイメージにはちがいない。(津村喬『新編 しなやかな心とからだ』)

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