百日練功

 慧中をひらき無限の宇宙を見て、空のような、雲のような、光のようなものが見えますかという先生の言葉に少しでも近づきたいと思っていたら、光が見え、喜んでいたところ、先生から「どうして光が見えるのか」「見えた光は何なのか」「見えた光にどう対処して練習すればいいか」と、公案のような質問を投げかけられ周章狼狽。
 答になるかどうか分からないけれど…、五感への刺激を極力遮断し体を動かし、いや、このごろやっと少し体が自然に動くようになったことがまず大事か。隣り合う細胞と細胞が気持ちよく連関し合い、「ああ、気持ちいいなぁ」「そうだねぇ」なんて会話をし合っているうちに、微量の熱と光を発したような気がする。なので、光は細胞同士がおしゃべりし合う喜びの声…。見えた光にどう対処していいのかは皆目見当がつかず。もったいないもったいないと見ていたのだが、収功に入ったら、いつの間にか消えてしまい、はいそれまで。
 また、光が見えているときと見えていないときでは、現実の目の位置が変わるはずはないのに、光が見えているときというのは、目が実際よりも後ろに引っ込む。たとえて言うなら、映画を最前列で観ていたのに、気が付いたら、後ろの席から観ていた、そんな感じ。とりあえず百日練功をめざして励むしかないようだ。

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次号「春風倶楽部」

 ご好評いただいている「春風倶楽部」の次号テーマが決定した。「旅の愉楽」。
 創業のときに始めた小冊子だが、回を重ね次号が第14号。特集のテーマについては毎号、頭を悩ませるところだ。パッと決まることもあれば、けっこう時間がかかることもある。
 テーマを考えるとき、自分に課していることはだいたい以下の三つ。?自分がいま一番興味があって、依頼する方たちに、ぜひとも書いてもらいたいテーマであること。?会社の現状、特長、進むべき方向性をさらに拡大し、深化させ、推し進めるテーマであること。?執筆をお願いする方たちにとって書きにくいテーマでないこと。この三つが一体となりバランスよく緊張状態にあればベストなのだが、実際は?に傾くことが多いかもしれない。注意しなければとは思っている。しかし、他のどこでもない自分たちの出版社なのだから、この人にこういうことを訊いてみたい、書いてほしいと切に望む気持ちは絶対になくしたくない。

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二匹の蛇

もし背骨で動いている感覚を蛇と例えるなら、この時身体の中には二つの蛇の感覚があります。背骨の蛇と気の蛇です。
動功を始める時は背骨の蛇が先に動き出します。それによって気の蛇の感覚が活発になり強く感じられて、背骨の蛇の感覚は薄くなっていきます。
気の蛇は背骨の蛇の中(骨髄)から出ますが、収功の時、再び背骨の蛇の中に戻します。気を整える段階の動功は背骨の蛇を通して気の蛇を活発にさせるための動作です。動作は柔軟に、活き活きと行ってください。築基功はこの二つの蛇を調和させる事を通して肉体の体と気の体を整える功法なのです。(朱剛「朱剛気功話」)

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書名

 本のタイトルを考えるのはたのしい。時の経つのを忘れてしまう。企画として上がっていない架空の本まで頭の中にでっち上げ、勝手にタイトルを考えては悦に入っている。
 本のタイトルを考える方法に二つある。第一。内容をぎゅっとしぼってしぼって、さらにしぼって、数滴こぼれるエキスを大事にすくい、それを並べるやり方。これ基本。第二は、しぼらずに、内容はそのままに、その中心に矢を射るやり方。照準が合った矢なら、内容から少々離れていても、矢の方向性とスピードが人のこころをとらえ、矢の向かう先を知りたくなる(はず)。これは難しい。また、上手くいくとは限らない。どちらも内容を的確につかんでいることは前提。

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旅する編集者

 記憶力が並みはずれて悪かったわたしは、どうしても記憶しなければならないことは、文章に就いて、頭にではなく手に覚えさせた。英単語も英文法も英作文もそうして覚えた。参考書をまるごと三度ノートに書き写せば、それなりにテストの点数は稼げた。
 今、編集者として原稿を読みながら校正の手を入れていると、当時を思い出すことがある。そして、あの頃よりも文章に密着し、手に覚えさせるよりも深く記憶し味わっているように思うのだ。
 テムズ川沿いを歩いて旅した人の文章を歩くスピードで校正していると、いつしか著者といっしょにわたしも歩いている。旧約聖書の研究書ならサムエルは眼の前の人だ。
 近視が進み、このごろは老眼も加わって、若いときのようにはいかないけれど、原稿を携えながら著者と旅する仕事はなかなか止められない。そのことで、著者に喜ばれ、読者にまで喜ばれるのだから、ありがたい。

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おみそれしました

 ある夜、小料理千成で食事をし、勘定を払って店を出ようとしたとき、他のお客が金目鯛の煮付を食べていたのを見、つい、「今度は金目鯛の煮付を食べよう」と、つぶやいていた。小声だったから誰にも気付かれないと思ったが、少し恥ずかしかった。
 次に店に行ったとき、いつもなら、わたしの顔を見るなり旬の魚を焼き始めるご主人のかっちゃんが、そうしない。おや? と思い、もしや、と思った。
 だまって見ていると、昨年結婚し、ときどき店を手伝いに来ている長男のお嫁さんに、「それ、三浦さんに」と指示した。やっぱり。おみそれしました。口から洩れたつぶやきの一言を耳にし憶えていてくれて、さっと出してくれるところなんかは、さすが、保土ヶ谷に小料理千成ありと謳われただけのことはある。美味しゅうございました。

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