萩原朔太郎の場合

   憂鬱の川辺
  川辺で鳴つてゐる
  蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい。
  しぜんに生えてる
  するどい ちひさな植物 草本の茎の類はさびしい。
  私は眼を閉ぢて
  なにかの草の根を噛まうとする
  なにかの草の汁をすふために 憂鬱の苦い汁をすふ
  ために。
  げにそこにはなにごとの希望もない。
  生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ
  梅雨だ
  じめじめとした雨の点滴のやうなものだ
  しかし ああ また雨! 雨! 雨!
  そこには生える不思議の草本
  あまたの悲しい羽虫の類
  それは憂鬱に這ひまはる 岸辺にそうて這ひまはる。
  じめじめとした川の岸辺を行くものは
  ああこの光るいのちの葬列か
  光る精神の病霊か
  物みなしぜんに腐れゆく岸辺の草むら
  雨に光る木材質のはげしき匂ひ。
                       (『青猫』の一篇)