十七年ぶり

 当時つき合っていた女性と二人でバリ島に行ったことがある。日本人客が多く訪れるのだろう、浜辺の近くの店を冷やかして歩いていると、日本語で話しかけられることが多い。見るだけ。安いよ。後で。あの青年も、そうやって声をかけてきたうちの一人だった。青年はあまりしつこくなく、買う気のないわたしたちは、じゃあと言って別れた。それが良かったのかもしれない。それからどれくらい、ぶらぶらと歩いたろう。食事もしたりして、街の散策をさらに続けた。と、別の場所で、またさっきの青年に会った。今度は、仲良くなるのに時間はかからなかった。
 青年は日本語がめっぽう上手く、わたしたちは気を許し、いろいろなことを語り合った。これは騙しのテクニックかもしれぬと一瞬頭をかすめたが、杞憂に終わった。青年はレンタカーのジープを借り出し(払いはもちろんわたしがした)、ここはという場所を次々案内してくれた。そのときずっと流れていた音楽がボブ・マーリーだった。
 青年のおかげで、感じたままを日本語で伝えられるし、行きたい場所へ行くのに交通手段を考える心配もなくなったわたしたちは、もはや旧知の仲のようになっていた。少しけだるい感じの、それでいて腹にずんとくるボブ・マーリーの曲が旅の想いをさらに掻き立てた。青年は学生で、店でアルバイトをしているのだった。最近恋人と別れたのだという。バリのサンセットをぜひ見せたいというのは、わたしたちにという気持ちもさることながら、彼のこころの表れだったかもしれない。
 わたしはそれよりもボブ・マーリーのことが気になっていた。何というアルバムか青年に尋ねると、カセットテープ屋に連れていってくれ、同じものを探してくれた。が、探し物は見つからなかった。日本に帰ってから見つければいいかと思った。あれから十七年がたつ。
 日本に帰ったわたしはさっそくCDショップに直行。ジャケットだけを頼りにあてずっぽうに何枚かCDを買った。家に帰り、ドキドキしながら買ったばかりのCDをかけてみる。すべてハズレ。以来、わたしのCDラックに占めるボブ・マーリーの面積は相当なものになった。しかしバリで聴いたボブ・マーリーに再会することはなかった。わたしは半ば、というか、ほとんど諦めていた。あれは、バリ島のあの景色、空と海、山、棚田、風、サンセットとともに聴いたから特別の印象をわたしに残したのだと。
 ところが、昨日のことだ。社内に流れるBGMに耳を奪われた。オーディオの傍に置かれたジャケットは赤い地にボブ・マーリーの写真が配されたもので、よく知っている、絵柄としては。しかし、わたしはなぜだか知らぬが、バリ島で聴いた音楽は、このCDではないと根拠もなくずっと思ってきた。こころに焼きついた印象とジャケットの雰囲気があまりに違っていたから。だから、日本に帰ってきても、そのCDだけは買わなかった。
 訊けば、内藤君がおととい買ったばかりだという。ベスト盤を好まない彼が、手に取ったまま戻すのを忘れレジに差し出したそうだ。数枚買った中の1枚がそれだった。これまでの経緯を内藤君に伝えたら、もう1度かけましょうかと言って、かけてくれた。やっぱり間違いない。十七年前の感情がバリ島の風景と一緒によみがえった。前置きが長くなった。そのCDというのはコレ