ヒディンク・マジック

 いよいよ本日、サッカー・ワールドカップ日本対オーストラリア戦。
 現地での盛り上がりが連日報道され、スポーツキャスターやコメンテイターが得点を予想する。日本チームは練習を公開しているのに、ヒディンク監督率いるオーストラリアチームは報道管制を敷き、どんな練習をしているのか分からない。そこまでする必要があるのかとも思う。
 そのヒディンク監督が、対戦相手の日本チームに対するコメントを求められ、「ブラジルと同じように、クリエイティブなチーム」と評した。対戦チームの監督からクリエイティブなんて褒められたら、こんなに嬉しいことはないけれど、そこは歴戦の名将として知られるヒディンク、本心そう思っているのか、いくらかリップサービスもあるのか、定かではない。が、サッカーのチームを称してクリエイティブと言ったところが面白いと思ったのだ。
 それは、わたしがサッカーをよく知らないからだとは思う。しかし、これまで、たとえば前回のワールドカップでも、どこかのチームを評してクリエイティブという表現がされたことがあったろうか。だから、とても新鮮に響いた。
 ほかのスポーツ同様、サッカーも選手がやるもので監督がプレーするわけではない。しかし、監督が第一と考え身に染みていることは、いろいろな場面で選手たちに感染していくことは間違いないだろう。ヒディンク監督が日本チームを「ブラジルと同じようにクリエイティブ」と評したということは、実は、オーストラリアをクリエイティブなチームにすべく、これまで育ててきたということを逆に証しするものではないか。ヒディンク・マジックというようなことがあるとすれば、そのあたりに秘密が隠されているようだ。
 日本に勝ってほしいのはもちろんだけれど、どんな戦いぶりになるのか、楽しみだ。

配達記録

「瀬戸ヶ谷の三浦と申します。郵便物お預かりのお知らせというのをいただいたのですが…」
「そうですか。何日になっていますか。はい。はい。そうすると、保管期間は6月14日までですね。お問い合わせ番号をお願いします。5781*******ですね。差出人はどちら様ですか。はい。配達担当者は誰になっていますか。はい。分かりました。では、いつの配達をご希望ですか」
「日中、出掛けていますので、会社のほうへ回送していただけるとありがたのですが」
「はい。結構ですよ。住所を郵便番号からお願いします」。指示に従い、郵便番号、住所、電話番号、社名を告げた。すると、電話の最初から慣れた口調でてきぱきと話してきた、声の感じからしておそらく中年の女性が、社名を告げたとたん、ほんの一瞬だが間を置き、「いいお名前ですねぇ」と言った。わたしはとっさに「あ、ありがとうございます」
 女性は、その後、すぐに丁寧ながらもビジネスライクな口調に戻り、区が違うので配達が二、三日かかると言った。土、日は会社が休みだから月曜日に配達してもらいたい旨を告げると了解してくれ、最後に、「お問い合わせ、ありがとうございました」
 女性の話しぶりは、決していやな感じを与えず(むしろ好ましい。声質のせいか)、とても流暢で、一日何十件、何百件の問い合わせがあるだろうことを予想させた。必要な事項、同じことを同じように訊き返す。そういう中での、「いいお名前ですねぇ」だったから、ちょっとどぎまぎし、わたしの声は、ほんの少しだが震えたかもしれない。
 社名を褒められたことは、もちろんうれしかったが、それ以上に、極めてビジネスライクな会話の中に、たったひとことでも自分の感想を織り交ぜた彼女がとても素敵に思えた。電話の最初に、受け付け係の**ですと名乗られたのに、受話器を置いたとき、まさかそんな印象で終わるとは予想だにしなかったから、彼女の名前を覚えようともしなかった。それに、この先、会うこともないだろう。それでも朝から気分が良かったことには変わりない。

雨上がる

 昨日の昼のこと、専務イシバシが近頃刊行された書籍を取次に持ち込み登録する日で出掛けていたため、武家屋敷と二人で昼食を食べに会社を出た。この頃テレビのニュースを見ていないので、関東が梅雨に入ったのかどうか確認していない(おそらく入ったのだろう)けれど、梅雨らしい雨が降っていたから傘を差して野毛坂方面へ歩いていった。
 よく行く中華屋へ入り、D定食(税込600円)とF定食(税込800円)を頼み、仲良く分けていただいた。こうすると二種類の料理を楽しめることになる。三人四人で行く時も同じ方式を取ることにしている。それができるのは、この店の定食の種類がお手頃価格で種類が豊富なことによる。
 デザートの杏仁豆腐を食べ、さて腹も満タン、勘定を済ませ外へ出たら雨が上がっていた。それだけでなく、日差しまで差してポカポカと暖かい。というより暑いくらい。
 武家屋敷と二人、腹ごなしの会話を楽しみながら野毛坂をゆっくりと上っていった。ふと見ると、武家屋敷が傘を差している。おや、と思った。雨はとっくに上がっているのにどうして? ははぁ、日差しが強いから今度は日傘として差しているのか。そう思ったから武家屋敷に訊いてみた。「日傘として差しているの?」。すると、意外が答えが返ってきた。「いいえ。濡れた傘が少しは乾くかと思って」「……」
 なるほどねえ。社に戻りベランダに傘を広げて乾かさなくても、歩きながら傘をお日様に当てることで乾いてしまうか。それに、いつまた雨が降ってくるかも知れない。とてもいい考えに思えたから、わたしもさっそく真似して会社までの残りの道のりを傘を差して歩いた。行き交う人が少なかったから良かった。なぜなら、武家屋敷の傘は女性らしく、それなりにカラフルで、日傘として差しているのだなと立派に端から見える。それに対し、わたしのはいかにもこうもり傘だ。取っ手や柄まで黒い。この暑いのにこうもり傘とは…。
 ようやく会社にたどり着き、傘を閉じた。まだ完全に乾いてはいなかったが、すぼめた傘をそのまま傘立てに突っ込んだ。

ピーピング・マシン

 写真家の目はピーピング・マシンだ、と橋本さんは言う。ピープは覗き見る。
 橋本さんは宮城県石巻市出身。石巻はかつて(今も?)全国的に名の知れた港町であり、そこでは出逢いと別れのドラマが日々繰り返されていた。男と女。未だカメラを持たぬ橋本少年は、好奇のうずきをカメラとし、二人が寄り添い暗がりに入っていくのを追いかける。なにが起きるのか。なにをするのか。藪の中であちこち蚊に食われ痒みをこらえながらも一心に、そこで繰り広げられる一部始終を少年は見逃さなかった。今風に言うなら、橋本は見た!
 写真集『北上川』は、ローカルな写真群を収めたものなのに版を重ね三刷まで来ている。石巻と何らか縁のある人々が多く買ってくださった。しかし、それだけではこんなに反響を呼ぶことはなかっただろう。
 写真集の懐かしい光景に触れ、パッと明かりが灯る。薄暗い中でものも言わずに立っているのは子供の自分だと気付く。外だけではない諸々を思い出しながら、そこに好奇の少年の目を感じることで、読者もまた、いよいよ自分の中の幼い魂をよみがえらせ、生き生きと動き回る快感に酔い痴れているのではないかと想像する。世界は総天然色。音を立てて過ぎ去った。

港町

 午前中、今度ウチから『モアイに恋して』を上梓するつきようこさん来社。午後、『野麦峠に立つ経済学』(小社刊)の著者・島岡光一さんが次著『デザインする経済』の打ち合わせのため来社。今年埼玉大学を定年で退官されたが、インド・ケララ州にある美術館に招聘され、かの地の仕事が多くなりそうとのこと。インドといえば多聞君ということで、急遽多聞君も呼び出し、話に加わってもらう。
 写真家の橋本照嵩さん来社。はなれ瞽女(ごぜ)の写真を始め、次の企画のための写真百数十点を持ってきてくれた。ダンボール二箱をすでに預かっているから、選ぶのが大変だ。
 橋本さんはよく春風社は港町だから…、ということを口にする(『新宿港町』という歌があるが、橋本さん、その歌がめっぽう上手い!)。何らかの縁で人が集まり、出逢い、別れていく。そのことを喩えてのことだろう。
 いつだって出逢いはこころおどり、別れは寂しい。こうすればよかった、あの時ああすれば避けられたのにの後悔や反省も成り立つけれど、うがった言い方をすれば、さらにいろいろ目に見える要素、目に見えない要素が加わり、出逢いも別れも人知を超えている。だから手をこまねいて見ているというわけではなく、今日の出逢いと別れを真摯にとらえ、言葉にできることは言葉にしようと思うのだ。港町らしく、風の向きによって汽笛がハッキリと聞こえることだってある。

定期総会

 マンションの定期総会がきのう行なわれた。一番の議題は大規模修繕について。
 当マンションの管理会社が事前に数社に見積りを頼み、ニ社にしぼって(理事会での議論を経た上で)総会にかけた。二社とも修繕に必要な総額は一千万円を超えている。一般的には建ててから十年乃至十五年のあいだに大規模修繕をするところが多いから仕方がないのかなという意見あり、また、修繕積み立て金が二社の提示している額に満たないのにどうする、銀行からカネを借りてまでするのか等、侃侃諤諤。管理会社の話では、そうしているところもあるとか。
 議論が難しくなりそうかと思っていた矢先、住人の一人が、一昨日、知り合いの一級建築士に頼んで二社の見積りと照らし合わせながら建物全体を見てもらったそうだ。その結果、マンションの資産価値を上げるという目的なら別だが、今すぐにやらなければならない工事というのは限られているという意見だったらしい。わたしはその意見を聞きながらハッとした。
 マンションの修繕については昨年の総会から議題に上り、管理会社が数社に見積りを頼んだ。住人もまずそれが順当だと思ったし、管理会社も「はい、わかりました」と当然のごとくであった。管理会社は昨年の総会の意見に基づき数社から見積りを取って理事会を召集。理事会のメンバー(わたしも今年はその一人)は出された見積りを見比べて、これは高いだの、こっちが安いだのと言い合った。理事会といっても、要するにシロウトなのだ。ここに盲点があった。つまり、マンションの修繕をする業者に見積りを頼んだ場合、老朽化の診断も合わせてやってもらうことになる。これぐらい老朽化が進んでいるからこれぐらいの工事、金額としてはこうなります、ということになる。仕事を取りたい業者は、ビジネスとして当然、利益が出るための見積りを出してくる。勘ぐれば、必要のないところまで修繕項目に掲げ金額を計上してくるかもしれない。だから、業者に見積りを頼む前に第三者機関に老朽化の診断をしてもらう必要があったのだ。そんな機関があるのか。ある。建物診断士。国家資格としてちゃんと認定され、それを業とする人がいる。
 管理会社に確認したところ、取り扱っているマンションで、これまで事前に建物診断士を入れて診断してもらった例はないという。結局、総会の結論としては、前例がなくても、適切な建物診断士に依頼し客観的に見て判断してもらい、その資料を踏まえ改めて業者に見積りをお願いするということになった。

はんなり

 桜木町駅で電車を降りようと席を立ったとき、きれいな白髪の女性が立ちあがりざまにハンカチを落とした。女性は気付かず、いま開こうとするドアの前に進んだ。わたしはハンカチを拾って女性に近づき二の腕に少し触れ、「落としたようですよ」と言った。女性ははっきりと「どうもありがとうございます」と言い、照れくさそうに微笑んだ。ドアが開き、わたしのほうが先に電車を降りた。拉致問題でテレビでよく拝見する上品な女性にも似て、わたしはすっかりいい気分になった。関西地区で「はんなり」というのは、こうした場合の形容句でもあるかと思ったりしながら、いつもなら下りエスカレーターに乗るところ、そうはせずに階段を勢いよく下りたのだ。