営業努力

 売上200万部を突破した本がある。すらすら読めておもしろく、はぁ、こういうのがベストセラーになるのかと思った。200万部。みんな買って読んだんだろうなあ。倉庫何個分のスペースを取るんだろう、なんて。そんな感想しか浮かばない。ハリー・ポッターの例もあるから、ウチからベストセラーが出ないとも限らないが、そんなことはあり得ないと思っていたほうがまず間違いない。本は売れません。横から聞こえてくる話はそのことばかり。どの版元も苦戦を強いられている。いい本を作ることが中長期的には営業の武器になるということもあるけれど、支払いが中長期というわけにはいかないから、編集のクオリティーを上げることで問題が解決するわけではない。いい本だと評価されても、それが骨董的価値を帯びてくるようでは困る。

不安と期待

 『新井奥邃著作集』別巻のデータと版下のすべてを印刷所に渡し、編集作業はとりあえず完了。あとは本の完成を待つのみ。来月二十日頃になる予定。
 九巻までP社のOさんが担当してくれていた。回を重ねるたびに、阿吽の呼吸とでもいうのか、つうと言えば、かあ、余計なことをしゃべる必要はなく、ちゃんと仕上がってきた。予定通りの刊行ならば最後までOさん担当でフィニッシュできたのに、新資料の発見やら編集作業の難易度がますます上がったことなどにより、最終巻がことのほか遅れ、その間にOさんは定年でP社を退職された。残念だったが仕方がない。その後をKさんが引き継ぐことになった。
 きのうもKさんから電話があった。Kさんにしてみれば初めてのことであり、全集の最終巻ということで相当プレッシャーがかかっているようなのだ。こう言っては失礼かも分からないが、そのことがありがたい。Oさんが残していったファイルを改めてつぶさに眺め、気になるところがあれば、すぐに電話で連絡をくださる。先輩であるOさんがしてきた仕事の最後を自分が汚すわけにはいかないというこころざしがひしひしと伝わってくる。ほかの本も同様だが、かかわる人の知恵と工夫と苦労、多くの思いが込められて一冊の本ができる。特に、最初の配本からかかわって陰の大きな力になってくれたオペレーターの米山さんにはいくら感謝しても感謝しきれない。漢文、漢文、漢文と、これでもかというぐらいに漢文ばかりが続く巻もあり、大げさでなく、彼女がいなければこの企画は完成することはなかったろう。できあがる前なのに少し気が早いかもしれないが、全集の最後の巻を待つというのはマラソンのゴールを待つようなもの。感慨もひとしおだ。

帽子

 昨年秋ぐらいから帽子を被るようになった。最初は恥ずかしく、街行く人が皆こっちを見ているような気がして過剰に意識したが、寒いときはシャツ1枚多く着ているようなものだし、日差しの強いときは日除けになる。手軽で便利。そうなってみると、被らないでは外へ出られなくなった。
 今年は帽子が流行りだそうで、トレンドに火を点けたのはCA4LAというブランだと聞いた。わたしは、わたしがトレンドに火を点けたとばっかり思っていた(笑)。CA4LAの帽子も持っている。
 ゴールデンウィークに秋田に帰ったとき、父が祖父の帽子を出してきた。パナマ帽。そういえば、百歳で亡くなった祖父は、周りが田んぼだらけの田舎に似合わずオシャレ好きな人で、シャツでもズボンでもこだわりをもっていた。パナマ帽まで持っていたとは。それも三個。被っている姿を見た記憶があるような、無いような。
 わたしが帽子を被るようになった直接のきっかけは、テレビの旅番組で帽子好きの米倉斉加年が、たまたま見つけた帽子店で好ましい帽子を二個見つけ被ったシーンを見、はぁ、帽子もいいかもな、と思ったことだったが、さらに分析してみれば、好きなダニー・ハサウェイがよく帽子を被っていて、とてもかっこよかったことがわたしの中に刷り込まれていたということに気付いた。そこ止まりだと思っていたのに、祖父の帽子好きが遺伝されていたとは思いもよらなかった。

630円

 銀座に本店があるという「すし栄」が横浜ルミネに入っていて、退社後久しぶりに足を運んだ。ここのところ本格的な寿司屋にほとんど行っていない。保土ヶ谷駅構内にあるネタのすべてが一個105円の寿司屋で済ますことが多い。値段がそもそも違うから比較するつもりなどなかったが、とは言い条「すし栄」の寿司は何を食べても美味かった。ホタテをちょいと炙り、塩で食するのもまた一興。美味い! ひととおり食べた後、さてどうしたものか。ウニだウニ。回転寿司屋や回転しなくても安い寿司屋でわたしはウニを食べない。美味しいウニを安く仕入れるのは土台無理なのだ。値段のことを言うのはどうかとも思うが、「すし栄」のウニは一個630円、二個で1260円。昼に食べた柳川鍋定食と同じ値段だ。久しぶりだから、ま、いっか、と自分に言い訳をし「ウニください!」。ほどなく出てきたウニの色、艶、香り、そして味。非の打ち所がない。安くて旨い寿司を食べさせてくれる店も探せばあるだろう。テレビでさかんに紹介している。が、寿司の場合、基本的に味と値段は比例するということを改めて思い知らされた夜だった。

就活

 就職活動のことを略して最近ではそう呼ぶらしい。知人の甥っ子が大学四年生で、先日、大手企業の面接を受けたことを知人から聞かされた。ひどく緊張し、グループ面接で面接官から質問されたことに対してトンチンカンなことを答えてしまったらしい。退室するとき面接官のノートを覗き見たら、一緒に面接を受けた二人の欄には結構な文字数でコメントされていたのに、自分については数文字で終わっていたとか。
 彼は一念発起し漢字検定三級の問題集を買った。それを見た知人は、いまさらそんな問題集を買って就職活動に役立つとでも思っているの、と聞いたそうだ。大学に入ったとはいうものの、遊んでばかりで、今まであまりに勉強してこなかったからというのが彼の言い分。
 知人は甥っ子に言った。「どこもダメだったらどうするつもり?」
「警察官にでもなろうかと…」
「なんで?」
「ヒマそうだから」
「アハハハハ…。そんなわけないじゃない。いろんな事件が起きて、てんてこ舞いしてるわよ」
「でも、ぼくの近くの派出所のおまわりはヒマそうだよ。自分、バイクでよく捕まるから分かる」
 彼はその付近では目をつけられているとのこと。まず人に憶えてもらうことが就職活動の始まりと考えれば、あながちへんてこな考えとばかりも言えないかもしれないが。

支払い

 三月から五月にかけては例年刊行ラッシュとなる。仕事があるってことはいいこと、素晴らしい、商売繁盛で何よりやないかということなわけだが、支払いがなければもっとうれしい。ところがそういうわけにはいかない。
 七月に印刷所へ支払わなければならない金額を見て驚いた。刊行点数からいって当然といえば当然。とは言い条、一気にくるから、おおおおおっと仰け反ってしまう。担当編集者が毎回値引き交渉をし、支払いも滞らせたことが一度もないから、かなり好意的にはしてもらっているものの、それでも相当な額になる。商売の鉄則を忘れず、締めるところは締め、ミスを起こさぬように細心の注意を払いながら大胆果敢に攻めていくしかなさそうだ。

新井先生のこととなれば

 『新井奥邃著作集』の監修者・工藤先生に会いに守谷まで。たがおと秋葉原で待ち合わせ、つくばエキスプレスに初めて乗った。駅には、先生と先生のお嬢さんが迎えに来てくださり、クルマの運転は筑波大学に通うお嬢さんの息子さん。
 『著作集』完結間近となり、労をねぎらうとすれば、われわれが先生に対してとなるべきはずのところ、逆になってしまい、山形の山菜やら納豆もち、さらに先生みずから作ったラーメンまでご馳走になった。食後、最終別巻のゲラについて直しの箇所を打ち合わせ、今週末には下版することにした。
 いつものことながら、新井先生のこととなれば話が盛り上がり、いろんなエピソードが工藤先生の口から飛び出す。ぼくもときどきは割って入って感想を言う。新井奥邃について話したり聞いたりすると、なぜだかすがすがしい気分になる。アメリカに二十八年もいた人なのに、文章から感じるすがすがしさの背景に日本の風土、景色が浮かんでくるのはなぜだろう。