曲線の魅力

 きょうはどんより曇っているが、昨日はぽかぽかと日差しも穏やかでしのぎやすい一日だった。川崎の帽子専門店を訪ね、横浜の靴屋に寄り、洋服屋を冷やかして保土ヶ谷に戻ってきたのが4時過ぎ。ちょっと歩き過ぎたかな。
 いつものスーパーで赤魚の粕漬けなどを買い階段を上れば懐かしい我が家。最近気づいた(というか、そんなふうに見えないこともないというに過ぎないが…)ことがある。
 建物が山頂にあるため、基礎の部分が崖の曲線に沿ってコンクリートで固定されている。坂の途中から眺めると、ガウディ風に見えないこともない。サグラダ・ファミリアに代表されるあのガウディだ。天才建築家の構想というかアイディアというか、それが何十倍、何百倍に薄められ、遠い島国のこんな身近なところへも何らか反映される、なんてことだってあり得ない話ではない。

謙虚さ

 四月に入り、これまでアルバイトをしてきた二人は正社員に、また、過日募集をかけた編集要員もそろったので、小社の今後の方針について思うところを語り、説明した。要するに、編集主導型で来た社の体質を営業主導型にもっていくということ。会社を存続させていくためには、一にも二にも営業だ。いい本を作り並べておけば黙っていても売れる時代(そんなふうに見えるだけで、見えない苦労や工夫があったればこそなのかもしれないが)はとっくに過ぎた。だからと言って、粗悪な本を作りガンガン売るという意味ではない。いい本を作ることはあたりまえ、倦まず弛まずの木目細かい日々の営業が大事ということだ。そういうことでは、編集者も営業のセンスが問われるだろう。物を売ることの難しさ、仕事を取ってくることの難しさを誰もが謙虚に考え工夫を重ねなければならない。

ピンク

 とぼとぼと歩いていた。ふと見上げると、階段の上のほうをミニスカートに黒いストッキング姿の女の子がいる。女子中学生や高校生は、よくカバンで後ろを隠しながら階段を上っているが、隠さなくたってそうそうスカートの中まで見えるものではない。鏡を使うなどもってのほか、体力も気力も勇気もこちとら持ち合わせていない。
 話が逸れた。くだんのミニスカートの女の子(顔を見てないので「子」かどうかは分からない)だ。ストッキングは太腿ぐらいまでの長さで必然、ミニスカートとの間の裸の太腿が見える。それはそれでわたしの目を楽しませてくれたとしても、眼を剥くまでには至らなかったはず。
 わたしの目が奪われたのにはわけがある。ストッキングの端、太腿にきつく当たる部分が目にも鮮やかなピンクだったからだ。ミニスカート、黒のストッキング、端がピンク、裸の太腿。しかもピンクの部分はどうなっているのか、片脚が7、8センチほどの厚さと思われるのに、もう一方の脚は5センチほどで、あれは意識してバランスをくずしているものなのか。訊くわけにもいかず、へぇーと思って、その時は見遣っただけで終わった。
 ホームで電車を待ちながらきょろきょろしたが、ピンクの子はどこにも見当たらなかった。ほどなく桜木町止まりの電車が来て、ドアがわたしの前で止まり、降りる客がすべて降りた後からポンと乗った。一駅だから立ってたってかまわないのだが、日の当たるシートを選んで座った。体をねじって外の景色を見ようとしたとき、同じ車輛の端のほうにピンクの子を見つけた。特別な感懐は抱かなかったが、ただ、階段の下から見たときとは全体の印象が違っているように感じた。
 昨日。朝だ。桜木町の駅で電車を降り、芋洗い状態で階段に差しかかり、足下に気をつけて階段を下りた。数段下りた頃、芋洗い状態が少しずつ解消されていく中、階段の先に、若い(たぶん)カップルが身を寄り添わせているのが見えた。相手の男のことはどうでもよく、ぼくの目は黒とピンクのストッキングに釘づけになった。
 階段を下りきっても、ふたりは相変わらず身を寄り添わせている。その瞬間にわたしは気づいた。今の今まで、目にも鮮やかな黒とピンクのストッキングを穿いている子を同一視していたことが大きな誤謬であったことを。
 印象がそれぞれ違っていたのは当然。おそらく三人とも別人物だったろうから。
 最初に目に焼き付いてから、わたしは特定のその子だけのファッションと勝手に決め付けていたのだ。流行なのか知らないが、これから幾度も目にするだろう。愚かな自分をさらしてしまった。それはそれとして、アレの似合う子はそんなにはいないと思うがどうだろう。

大菩薩峠

 言わずと知れた中里介山の未完に終わった怪物のような長編小説。今なら筑摩文庫で全20巻か。なぜ怪物か。長さにおいてはもちろん、面白さにおいて、着想のユニークさにおいて、なんでもあり加減において。デンブデンブと白いものが浮いている沼に下りていったら、それは女の尻であった、などというのは、笑うべきところなのか怖がるべきところなのかよくわからないが、とにかく、介山恐るべしなのである。
 賢治は『大菩薩峠』オマージュの詩を書いているし、島尾敏雄は新聞に発表されていた時代から切り抜いてそれようのファイルを何十冊も作っていたというではないか。とにかく、ものすんごく面白いから、わたしはある時から会社で皆に読め読めとさかんに薦めるようになった。文章のノリ、テンポのよさ、スピーディーな物語の展開、講談調の名調子を味わうだけでも意味があると思ったからだ。それに答えて、さすが春風社、みな読み始めた。そして皆、おもしろいおもしろいという。ところがいかんせん長い。長過ぎ。怪物のような小説であって『失われた時を求めて』よりも長い(たぶん)。であるから、なかなか完食ならぬ完読、読了までには至らない。結局わが社で読み終えたのは、今のところ、たがおのみ。あとはみな途中まで。きのう尋ねたら、営業のOさんが14巻まで読んだそうだ。えらいっ! 「どうだ」「はい! おもしろいです!」「そか。えらいっ!」
 というわけで、わたしの最大の愛読書なんだす。編集者募集も終わったことなので明かすと、「好きな本は何ですか」と質問し、「介山の『大菩薩峠』です。全巻一気に読みました」なんていうつわものが現れたら、一発採用かも知れない。いや、ほんとに。小社の募集は不定期なので、就職活動をされている皆さんにとっては、なんとも心もとない話とは思うが、就活は置いといて(無理か)だまされたと思って読んでみてくださいよ。ほんとにほんとおもしろいから。日本にこんなおもしろい小説があったかというぐらいにおもしろいから。それにしても長い。

1週間コース

 風邪です風邪。4月に入ったというのに、けっこう引いている人が多いみたいですよ。
 ぼくの場合、先週の月曜日、朝起きたら、ん!? ノドの調子が… という状態から始まり、日に日にだんだん痛くなり、こりゃダメだ、ってんで、かかりつけの医者へ行きノドを見せたら「真っ赤ですねぇ」と言われた。薬を処方してもらい、処方通りまじめに飲むも一向に回復の兆し無し。金曜日、社屋を出たら、ダウンジャケット、マフラー、帽子と、完全防備の格好にもかかわらず寒くて体が震えた。タクシーで小料理千成へ行き夕飯を食すも、いつもならご飯をお替りするところ、1杯が限度。家に帰って暖房をつけても寒くてダウン脱げず、帽子取れず、マフラー外せず。それから熱が出て、計ったら37.7度。平熱が低めなので、37.7度は相当高く、自覚的にはかなり苦しい。薬を飲み早めに就寝。朝起きたら、ん!? 熱が下がっている。ところが胸のあたりがなんだか変。ゴロゴロする。体を起こしたら大きな咳が出て痰が出た。体の節々が痛いと来た。
 以上、今回のわたくしの風邪、1週間コースの内容報告でした。若い頃なら「ん。ノドいてぇな」と感じても3、4日で発熱もせず治ったものなのに、そういうわけにもいかなくなったということで。歳だねぇ、歳。
 ええ、けさは快調です。コースの締めくくり、体の節々の痛みもどうやら収まった感じ。ここで油断しちゃいけないんだな。きのうも、部屋のカーテンを開けたらドバッと日が差し、おおっ、こりゃ暖かそうだねぇと思い、いつもより薄手のものを着て出社。そうしたら、帰りは風がピューピューで寒かったし。この辺の塩梅がほんと難しい。

春眠

 今日は春らしい、いい天気ですねー。なんたって4月ですものね。エイプリル。ぼくがこれを書くためにパソコンに向かう前から、また近所の三毛猫がベランダのいつもの棚に陣取り、前足を伸ばして棚の縁にかけ、なんともだらしない格好で寝そべってますよ。気持ちいいんでしょう。正月1週間ほど部屋を空け、水遣りを心配した木々たちもそれぞれ新芽を吹いて眼を楽しませてくれています。ツルウメモドキもここ2、3日で黄緑の葉を広げ、ほほ、元気元気。さてと。今週はどんな1週間になるのやら。ちょっとひょっこりひょうたん島な気分の朝です。♪ぼくらを乗〜せて どこへ〜ゆ〜く〜〜〜〜、か。