桜さん

 自分の内ばかり覗いて歩いているうちに季節はめぐり、梅が咲き、桜はまだだが、横浜あたりでは24日頃に開花するらしい。
 桜さんの木と話す方から手紙をいただいた。昨年の二月から大学構内にある桜さんの木のそばで煙草を喫いながらお話をするようになったそうだ。いろいろいろいろ、いろいろ。最近の世相についても話す。ところが、桜の花が満開になると、賑やかな学生たちにその場を奪われ、桜さんとの間に溝ができて、お話はしばらく中断。それでも、やがて日はめぐり、夕刻の淡い光のなかに桜の花びらが舞うようになると、学生たちはいなくなり、また二人の、いや、ひとりと一木の会話が戻ってくる。夏も秋もそうして過ごしたという。冬はデクノボウ。
 わたしも、その方の真似をして、優しく厳しい桜さんを見つけ話しかけてみたい。

木のテーブル

 小社の象徴的存在。きのうは、大学の先生二人がお見えになり、木のテーブルに向かいゲラの最終校正を。足柄山の仏師さんに頼んで作ってもらい運び入れた時は、その大きさに驚かされたものだが、いまは、この大きさでつくづくよかったと思う。下版前の最終校正はもとより、膨大な資料を整理するにはもってこいだ。仕事の打ち合わせ。来客の応対。腕相撲大会(ウソ)。とにかく八方役に立つ。昼のお弁当持参の者はテーブルを囲み家族のようにして食事を楽しんでいるようだ。さっぱり何も置かれていないときもあるが、それはそれで部屋全体が広々したものに感じられて好ましいし、だれかが花を買ってきて小粋に生けてあるのを見るのも楽しい。

新品交換

 愛用しているドコモの白いオモチャみたいなケータイは、やっぱり壊れていた。出社前、横浜駅前シャルの5階、ドコモショップに寄った。結論。本社に戻して中のデータが救えるかどうかの確率は、10台に1台の割合だというから、あきらめて、新品と交換してもらうことにした。ショップのおねーさんも、交換なら今すぐにできますと、むしろそのことのほうを奨めるふうだったから。ま、中のデータといっても、アドレス帳ぐらいのもので、何百も登録しているわけではないから、そんなに落ちこむ必要はない。電話の着信音をスターダストにしてほぼ完了。電話番号とメールアドレスは元のと変更なかったから、アドレス帳は、電話がかかってくるか、メールが届くかしたら、その都度しこしこ登録していくことにする。ふ〜

ケータイ

 ドコモの白いオモチャみたいなケータイを愛用しているのだが、壊れた。たぶん。前からおかしいとは思っていた。メールを書いている途中で電源が切れたり、通話している最中に電源が切れたり。途中最中に電源がぷつんと切れるというのは非常に困る。機械音痴なので、はたと困ってしまったわけだが、「ああ、それはね…」と、いとも単純で簡単なことなのかもしれない。ドコモショップに寄って訊いてみるしかないか。

3分10円

 いまインドにいる多聞君からメールがあって、インターネットを介した電話の番号を取得したとのこと。それだと、これまで日本-インド間で通常3分260円かかっていた通話料が10円で済むらしい。仕事の催促(笑)等にお使いくださいとの連絡があった。3分10円だったら、国内並みどころか、国内より安いぐらいのものだ。凄いねぇ〜。
 というわけで、さっそく(笑)で仕事のお願いを電話する。小社ホームページの何度目かのグランド・リニューアルを多聞君に依頼しているのだが、「よもやま日記」の文字を大きくして欲しい、と。現在のものより一つ前のバージョンが読みやすかったとの指摘を何人かからいただいたからだ。全体のバランスもあるだろうから「よもやま」だけ字をでかく、ともいかないかもしれないが、そこんとこよろしく。
 ところで、日に日にあたたかくなってきましたねぇ。気分も変る。

きのうの夜は

 家に帰り、夜、床に就く前にその日の気分でCDを1枚取りだし、それをかけながら体操をするのがこの頃の習慣で、きのうは、オルダラの『ネイバーフッズ』にしてみた。
 ピーター・バラカンさんが以前、新聞で取り上げているのを読み、さっそく買って聴いたのだが、その時はあまりピンと来なかった。が、57歳にしてデビューしたという彼の歌は、昼下がり、日溜りの中でゆっくりと寝転びながら(CDジャケットの写真も寝転んでいる)鼻歌でも歌う風情で好ましい。ドクター・ジョンやカサンドラ・ウィルソンも参加していることからしても、彼の交友の広さがうかがえる。こんな音楽が今は好きだ。CDはこちら

ドキュメンタリー映画のよう

 Iさんが編集を担当している本の装丁をたがおが任され、作ったラフを見せにきた。ひとめ見て、なかなかいいなと思いながら、たがおの説明を聞いた。外部に頼むのと違い、社内で作る場合、お互いに勉強なのだから、編集者と装丁担当者との間でどんな会話がなされ、どんな思いをこめて作ったか、わたしも知りたいからだ。
 たがおはたがおで、装丁を任された人間として原稿を読みイメージを作ったが、Iさんから事前に「ドキュメンタリー映画を見るような感じ」のことを言われたという。たがおがそれを口にしたということは、大事なポイントとして自分の中にインプットし、それと、みずから原稿を読んでのイメージとをオーバーラップさせ、または、響き合わせることで装丁の形にまで具体化させたのだろう。Iさんは編集者=第一の読者として「ドキュメンタリー映画のよう」という言葉を見つけた。簡単なことのようだけれど、見つけようとしなければ見つからない。