チェット・ベイカー

 河出書房からチェット・ベイカーの伝記『終わりなき闇』が出たので、さっそくネットで注文し読み始める。A5判2段組500ページに及ぶ大作で、まだ数十ページ読んだに過ぎないから、感想を言える段階ではないけれど、波長が合わないものは、とっくに読むのを止めているはずなので、面白くなくはない(ややっこしい!)といったところか。本の帯に「ジャズ、女、麻薬、それがすべて。これがおれのトランペットから流れ出た悲哀の正体」とある。また、「異例のスピードでジャズ界のスターとなってから世界一有名なジャンキーへと成り下がった男」「ブルース・ウェーバーらが魅了された天才ジャズマンの人生を描ききった決定版」とも。
 といっても、チェット・ベイカーにそれほど思い入れがあるわけではない。彼の名前で出ているCDで、わたしが持っているのは、『チェット・ベイカー アンド クルー』と『チェット・ベイカー シングズ』だけ。特別な思い入れがあったら、こんな数ではないだろう。それなのに、彼の伝記を読んでみようと思ったのには、ちょっとした理由がある。
 彼のリーダーアルバムではないが、好きなジャズのCDにジム・ホールの『アランフェス協奏曲』がある。その中でトンランペットを吹いているのがチェット・ベイカーだ。
 大学に入り、何がきっかけでジャズを聴き始めたのか、はっきりと思い出せないが、聴き始めた数枚のジャズのレコード(当時CDはまだなかった)のうちの1枚がそれだった。すぐに、はまった。
 風呂上がり、寝る前に必ずといっていいほど聴いていた時期があった。クラシックの曲として知っていた『アランフェス』が、ジャズメンの手にかかると、こんなふうに身近に感じられるのか、と思った。おごれる者久しからず、といった文句を思い出したり、月並みだが、廃墟が目に浮かぶようでもあった。そのなんとも言えない、うらぶれて、物悲しい、それでいて懐かしいような澄んだ雰囲気を最もよく伝えているのがトランペットの音色だった。チェット・ベイカーという名前を、レコード盤に何度か何十度か針を落とした後にライナーノートで確認して覚えた。息の長い音が続いたあと、音がかすれ、かすれ、かすれ、そこで終わらずに、さらにまた続く。そこがなんとも印象深いのだった。チェット・ベイカーといえば、ぼくにとっては、あのワン・フレーズというか、長い1音というか、それがひっかかっていて、今回、伝記を読もうという気にさせられたのだろうと思う。