電話

 正月、秋田からこっちに戻ってくる日、つまり、最終日の朝、家の電話が鳴った。父はクルマを用意しに外へ出ていた。母はトイレだったかもしれない。とにかくその時その場は、わたし一人だけだったので受話器を取った。「あ〜い。ひろちゃんだが〜。ゆぎつもってしまって、なんともかんともならにゃしてや〜。すぐでにゃくてもええがら、ゆぎかぎしてもらわいにゃべが〜」
 標準語に直すと、「ひろちゃんか? 雪が積もってどうにもならないから、すぐにでなくてかまわないから、雪かきに来てもらえないだろうか」ということになる。
 相手が誰かは分からないが、近所の人であることには間違いないから、わたしは最初、普通の声で普通に、「ひろちゃん」ではないこと、電話をかける相手を間違えているのではないかということ、わたしの名を名乗り、その日、横浜に帰らなければならず、間もなくクルマで秋田駅まで送ってもらわなければならないのだということなどを手短かに告げた。すると、「あ〜い。ひろちゃんだが〜。……」と、ほとんどさっきと同じ話の繰り返し。耳が遠いのかもしれないと思って、だんだん大声になる。それでもまだ頼みごとを繰り返している。わたしは、ほとんど叫んでいた。汗だくになった。申し訳なかったが、こっちの都合を最後にもう一度大声で伝えたところで電話を切った。
 父が玄関の戸を開け、「お〜い。そろそろ出かけるぞ〜」。三人クルマに乗って出発。こんな電話があったと両親に告げた。すると、父が言うことに、それはどこの誰で、ひろちゃんとはヒロユキ君のこと。雪かきが必要な場合、近くの家に住むヒロユキ君に頼むのだ。間違って電話をかけてきたのだろうと。話はできるが、耳がほとんど聞こえないのだという。時間が許せば、ヒロユキ君の家に連絡し、その旨を伝えるべきだったかもしれないが、こっちも急いでいた。
 電話のおばさんがヒロユキ君に雪かきを頼むのが初めてでないと分かって少しホッとした。もう一度、今度は番号を間違えずに電話をかけるか、あるいは、虫が良すぎるかもしれないけれど、ヒロユキ君のほうで、機転を利かして雪かきに出向いたかもしれないと思ったからだ。