ポカポカ

 気持ちいいねえ。きのうは、日中気温が上がるという予報に反し、それほどでもなかったが、今日は朝からポカポカ陽気。さっそく布団を干している人も見える。ポカポカポカポカ。公園でも散歩しようか。仕事があるから、そんなわけにはいかないが、そんな気分。フェリーニの『道』という映画で、薄幸の少女・ジェルソミーナが、大道芸人のザンパノから渡されたラッパを手に、おどけて見せるシーンがあるが、あれを思い出した。
 さて今日は、ずっと西洋医学で医療に携わってこられたお医者さんで、その後、漢方も研究するようになったという方と面談することになっている。娘さんが幼かった頃、皮膚病に罹り、西洋医学の専門医に診てもらっても一向に治らなかったのに、漢方のクスリで2週間ほどで治ったとか。そのことがきっかけで興味を持ち、真剣に勉強しようと思ったそうだ。漢方というか、東洋医学には東洋医学の優れたところがあるのだろう。
 そうそう。きのう刷り上がってきた『春風倶楽部』12号の特集は「こころと体」。これまで以上に、すごい内容充実でっせ。お読みになりたい方はご一報ください。無料で進呈いたします。

黒糖梅飴 2

 母にもらった黒糖梅飴については、すでにここに記したが、興味を持たれている方もあるらしく、続編ということで、今回は、黒糖梅飴 part?。
 まず読み方。前回、不安げに「こくとううめあめ」とでも読むのだろうか、みたいな書き方をしたが、それで正しかった。なぜならば、飴一個一個の袋には書いてないが、100グラム単位の袋に「KOKUTO UMEAME」とローマ字でちゃんと書いてあった。であるから、これからは自信をもって「こくとううめあめ」と呼ぼう! で、問題の、どこで売っているかということだが、それがどうも分からない。製造者は、平野製菓株式会社というところで、住所は、愛知県海部郡七宝町大字沖の島字上折38。「郡」で「大字」で「字」だから、かなり田舎ではないかと想像される。ホームページが無いようなので、それ以上のことは分からない。愛知県の片田舎の小さな工場(だと思われる)で作られた美味しい飴が、これまた秋田の片田舎の町のスーパーで売っている。そういうことになる。
 きのうだ。前回、社員が美味しいと言ってくれたのに気をよくし、また皆に一個ずつお裾分けした。すると、営業の新人Oさんが、「あ! これですか。こくとううめあめ。よもやま日記に書いてあったので、どんな飴かと思っていました。あのときは、営業で外に出ていて食べられませんでしたから…。ありがとうございます」と。飴一個を、まるで宝石でも受け取るように両手で押しいただくOさんがいじらしかった。
 ふむ。それにしても、日に日にファンが多くなるわい。東京・神奈川近辺で、平野製菓の黒糖梅飴を見つけられた方は、ぜひご一報ください。
 ん!? 待てよ。製造元に電話を掛けて訊けばいいわけか。そうかそうか。でも、それだとちょいと安直過ぎやしないか。皆で探して、「ここにあったぞー!」となるほうが面白いんではなかろうか。ということで、探してみましょう。

電話

 正月、秋田からこっちに戻ってくる日、つまり、最終日の朝、家の電話が鳴った。父はクルマを用意しに外へ出ていた。母はトイレだったかもしれない。とにかくその時その場は、わたし一人だけだったので受話器を取った。「あ〜い。ひろちゃんだが〜。ゆぎつもってしまって、なんともかんともならにゃしてや〜。すぐでにゃくてもええがら、ゆぎかぎしてもらわいにゃべが〜」
 標準語に直すと、「ひろちゃんか? 雪が積もってどうにもならないから、すぐにでなくてかまわないから、雪かきに来てもらえないだろうか」ということになる。
 相手が誰かは分からないが、近所の人であることには間違いないから、わたしは最初、普通の声で普通に、「ひろちゃん」ではないこと、電話をかける相手を間違えているのではないかということ、わたしの名を名乗り、その日、横浜に帰らなければならず、間もなくクルマで秋田駅まで送ってもらわなければならないのだということなどを手短かに告げた。すると、「あ〜い。ひろちゃんだが〜。……」と、ほとんどさっきと同じ話の繰り返し。耳が遠いのかもしれないと思って、だんだん大声になる。それでもまだ頼みごとを繰り返している。わたしは、ほとんど叫んでいた。汗だくになった。申し訳なかったが、こっちの都合を最後にもう一度大声で伝えたところで電話を切った。
 父が玄関の戸を開け、「お〜い。そろそろ出かけるぞ〜」。三人クルマに乗って出発。こんな電話があったと両親に告げた。すると、父が言うことに、それはどこの誰で、ひろちゃんとはヒロユキ君のこと。雪かきが必要な場合、近くの家に住むヒロユキ君に頼むのだ。間違って電話をかけてきたのだろうと。話はできるが、耳がほとんど聞こえないのだという。時間が許せば、ヒロユキ君の家に連絡し、その旨を伝えるべきだったかもしれないが、こっちも急いでいた。
 電話のおばさんがヒロユキ君に雪かきを頼むのが初めてでないと分かって少しホッとした。もう一度、今度は番号を間違えずに電話をかけるか、あるいは、虫が良すぎるかもしれないけれど、ヒロユキ君のほうで、機転を利かして雪かきに出向いたかもしれないと思ったからだ。

おさわり次郎ショー?

 「みなさま、長らくお待ちかねのことと思いますが、それではこれから、おさわり次郎ショーの開幕とさせていただきます。どうも、ありがとうございます。ショーのルールはただ一つ、すでにお分かりのことと思いますが、実際の接触は禁止なのでございまして、接触せずに、いかにエロスを発散させ、エレガントに、時にユーモア、滑稽味を交えたおさわりならぬおさわり、空気間接触が可能かどうかであります。指の動き一つ、目の表情、オーラの発散、どれひとつとっても眼が離せません……。さて、それでは、各地区のおさわり次郎ショーを勝ち抜いて来られた全国の次郎さんたちにお集まりいただきましょう。このショーは初代の天才的おさわりダンサー、おさわり次郎にちなんで開催されるもので、間違っても太郎さん、三郎、四郎は参加資格がございません。アハハハハ… すみません。冗談はこれくらいにして、さっそく始めることにいたしましょう。ショーのために毎回生身の女性と見紛うばかりの人形をご提供くださっている○△工業さんに感謝いたします……」
 おさわり次郎ショー? はぁ?
 もちろん、そんなショーはないのである。が、先日、知人Aと電話で話していて、朝日賞・大佛次郎賞・大佛次郎論壇賞の授賞式とパーティーに参加してきたことを告げたら、わたしの滑舌が悪かったせいか、知人Aが、いかにもいぶかしそうに、「……なに、その、おさわりジロー、って?」と言うものだから、朝から大爆笑。ごめんねジロー、いまさらジロー♪ という歌の文句があったが、おさわりジローというのは聞いたことがない。でも、おさらぎじろう、と、おさわりじろう。似ている。滑舌の悪い発音に触れ、すぐに別の意味ある名前として聞き取った知人Aのすばやい機転、才能に驚かされた。ホント。
 『鞍馬天狗』の作者としても有名な大佛次郎。おさらぎじろう。記念館が横浜山手の「港の見える丘公園」展望台のすぐそばにある。

お天道さま

 晴れましたねぇ。気持ちいいなあ。朝起きて、カーテンを開けるとき、開ける前から、カーテンを通る光の具合で、今日が晴れか曇りか雨かは分かる。期待を込め、サッと開けたとき、晴れていれば、なんと気持ちいいのだろう。今朝なんて、春がもうそこまで来ているような感じさえする。フッ、と、人にもすこし優しくなれそうな気もしてくるさ。
 先日、久しぶりにいちばん歳の近い叔母さんと電話で話した。近いといっても、八歳離れている。子供の頃なら、はるか大人に見えたおばさんが、だんだん自分と歳が近づくように感じるから不思議だ。お互いの近況報告。叔母さんは、最近花壇づくりに凝っていて、雪が溶け、春の花が咲く様子を話してくれた。花にはそんなに興味がなかったのに、あることがきっかけで、兄妹中いちばん花が好き、みたいになっているとか。思えば、亡くなった祖母が花が好きな人だった。家の回りを小さな花々でいつも飾っていた。「リヱばあさんの血だね」「そうかな」。
 雪の下の土中では、種や球根が今や遅しと春を待ちわびている。おてんとさまのおてんとは、天の道と書くんだった。

出版ラッシュ

 きのう、谷川健一さんの『古代歌謡と南島歌謡 歌の源泉を求めて』ができてきた。素晴らしいでき映えに、社員それぞれが手に取り、おぉぉぉぉ!!
 バレンタイン・デーやクリスマスほどではないが、どうしても春と秋に出版が集中する。特に春。二月、三月、四月の半ばぐらいまで、このところ毎年十数点を刊行している。年に二十点から二十五点であることを思えば、集中の具合が分かろうというものだ。
 農家出身のわたしからすれば、さてこれからがいよいよ米の準備期ということになるけれど、出版の場合はちょうど反対。数年前、このラッシュ時をどう乗り切るかで社内が緊張と焦りでピリピリした時期があった。が、最近は連携プレーを各人が習得、力を合わせてクリエイティブ、かつ、ミスが起こらぬように細心の注意をはらっている。緊張しながらも静かな空気に包まれているのは、そのせいだろう。そういう空気の中で仕事をする、できることに感謝したい。