無名性

 写真集『北上川』が売れている。書評もつぎつぎ、今度は、『北海道新聞』に掲載された。おもしろいのは、書評のたびに、写真集の中から取り上げられる1枚が全部違うこと。もちろん、各新聞社とも、他社が何の写真を取り上げたかぐらいは知っているだろうから、差別化の意味でも別の写真を使う、ということはあるだろう。そういう憶測をはたらかせても、多くの新聞が紹介し、この地味な写真集が売れて、増刷までしたということには、何らか理由がなければならない。
 取次(問屋)を通して、全国の書店に卸さなかったにもかかわらず、各紙の書評のおかげ(ありがたい!)もあってこれだけ売れている一つの理由は、写真の無名性にあるような気がする。それがこの写真集の大きな力かもしれない。
 企画段階では、無名性ということが販売においては決してプラスにならないだろうと考えていた。ところが、蓋を開けてみればご覧のとおり。
 世の中は、当然のことながら、芸能人や政治家やプロのスポーツ選手のような有名人ばかりで構成されているわけではない。圧倒的多数が、無名のひとびとだ。無名のひとびとの悩みや喜びや日々の移ろい、一言でいって「暮らし」がこの写真集には活写されているから、どこのだれとも分からない人が、ゆっくりとページを繰りながら自分の時間と重ね、言葉ではない情報を得て遊び、楽しんでいるのではないだろうか。
 付き合いのある、ある大学の教授は、専門書と一緒に必ずこの写真集を鞄に詰め込んで持ち歩いているそうだ。