負けない体

 昨年末から今年にかけて風邪が大流行。わたしも長く引いていたが、ようやく治った。それからは、外出する時は必ずマスクをし、帰宅したらまず石鹸で手を洗い、イソジンでうがいをする。みかんや柿の葉茶でビタミンC の補給も怠らない。そんなことが功を奏してか、二度目の風邪はひいていない。聞くところによると、治ったと思って安心していると、また引き、二度三度引いている方も多いとか。手洗い、うがい励行、マスク着用で健康を維持しましょう。
 というわけなのだが、わが社にOさんという営業の新人がいる。日々、勉強勉強の連続だが、徐々に力をつけてきて、会社として仕事につながる話を持ってくるようになった。連日指導している石橋のおかげと、本人の努力の賜物だろう。ところで、このOさん、風邪を引かない。ほかの社員は順番にみんな引いているのに、彼女だけ引かない。背中が見えても引かない。アハハハハ…。
 営業の棚があり、パンフレット類など上から下まで綺麗にびっしり詰まっていて、一番下の棚から必要な書類を引き出そうとすると、どうしても着ているブラウスやシャツがズボンから引きずりあげられ、背中が出てしまう。寒くないのか。それがたまたまわたしの目に入る。よく注意して見ているわけではない。
 考えてみるに、Oさんの実家は伊勢神宮の近く。子供の頃(高校生まで)は、学校帰りに五十鈴川でよく遊んでいたという。Oさんが、この寒いのに、背中がいっとき露出しても、ほかの社員がぶるぶる震えていても、風邪を引かないのは、伊勢神宮のご加護かもしれない。そうじゃないの? とOさんに尋ねると、小首を傾げ、ちょっと間があってから、「そうでしょうか」。
 いずれにしても、継続は力。一昨日も埼玉まで行き、いい話を持ってきてくれた。頑張れ! Oさん。

サンバの国から

 長岡から、大学の留学生センターで教えている先生が来社され、日本にいる(来る)ブラジル人が日本で暮らすのに便利な、役に立つ本をイラスト入りで作ることになった。日本人によるブラジル人のブラジル人のための本。
 日本には、およそ三十万人のブラジル人がいる。けっこうな数だ。全員買ったら三十万部の大ベストセラー。十人に一人の割合で買ってくれても三万部。百人に一人の割合でも三千部(だんだん気弱)。ともかく、ブラジル人が見て、「ん! この本おもしろそう」と言って、手に取ってくれることが大事だ。
 先生の話によれば、日本で働くブラジル人の多くは、リオデジャネイロなど大都市ではなく、アマゾン川流域出身だという。北上川でなくアマゾン川を見ながら育った人々の目に、今の日本はどう映っているのだろう。深いところを知りたい。想像の羽を伸ばしながら、痒いところに手が届くような本に仕上げなければならない。

無名性

 写真集『北上川』が売れている。書評もつぎつぎ、今度は、『北海道新聞』に掲載された。おもしろいのは、書評のたびに、写真集の中から取り上げられる1枚が全部違うこと。もちろん、各新聞社とも、他社が何の写真を取り上げたかぐらいは知っているだろうから、差別化の意味でも別の写真を使う、ということはあるだろう。そういう憶測をはたらかせても、多くの新聞が紹介し、この地味な写真集が売れて、増刷までしたということには、何らか理由がなければならない。
 取次(問屋)を通して、全国の書店に卸さなかったにもかかわらず、各紙の書評のおかげ(ありがたい!)もあってこれだけ売れている一つの理由は、写真の無名性にあるような気がする。それがこの写真集の大きな力かもしれない。
 企画段階では、無名性ということが販売においては決してプラスにならないだろうと考えていた。ところが、蓋を開けてみればご覧のとおり。
 世の中は、当然のことながら、芸能人や政治家やプロのスポーツ選手のような有名人ばかりで構成されているわけではない。圧倒的多数が、無名のひとびとだ。無名のひとびとの悩みや喜びや日々の移ろい、一言でいって「暮らし」がこの写真集には活写されているから、どこのだれとも分からない人が、ゆっくりとページを繰りながら自分の時間と重ね、言葉ではない情報を得て遊び、楽しんでいるのではないだろうか。
 付き合いのある、ある大学の教授は、専門書と一緒に必ずこの写真集を鞄に詰め込んで持ち歩いているそうだ。

少年

 詩人・俳人の加藤郁乎さんから著者校正が戻ってきたので、さっそく電話。本文の直し無しとのこと。「それにしても、君のつけられた春風社という名はいい。春風というのはね」「はい。ありがとうございます」のやり取りから始まり、「春風」にまつわる句や感想を話された後で、「ところで、三浦さんの声を聞いていると、まだお若いようだが、おいくつかな」と仰るから、「四十八になりました」と申し上げたら、「五十まえ。ふむ。まだ少年だ」と。「これからますます頑張って、いい本を作ってくださいよ」。ありがたかった。
 加藤さんの文章も声も言葉も、まさに春風。伸びやかで広々とした時空に誘い出される。だって、次号『春風倶楽部』特集「こころと体」のエッセイのタイトルが「健康に大和魂」だもの。大和魂のない者は、背骨の入っていない人体のようなものだというのだから凄い! 大らかではないか!

こころと体 2

 好きな人の声はこころに染み、嫌いな人の声はこころが弾く。そういうことが実際にある。不思議。「染みる」も「弾く」も、もともとは化学(物理)現象で、化学的に、また物理的に説明可能なのだろうが、こころのほうはどうなのだろう。好きな人の声だからこころに染みるのか、こころに染みる声や言葉だからその人が好きなのか。分からない。
 次号『春風倶楽部』特集は「こころと体」。可笑しく、ためになる、おもしろい原稿が続々と集まっている。乞うご期待!

冨士さん

 冨士眞奈美さんである。「シャチョー。フジさんから電話です」「はい? どこの」「冨士眞奈美さんからです」
 え。あのあの冨士さん。藤原紀香、吉岡美穂と騒いではいるが、実はわたくし、ずっと前から冨士眞奈美さんの隠れ(ることもないが…)ファンでして、写真集『北上川』に書いたわたしの文章を冨士さんが褒めてくださり、いい気になっていたところ、写真展で本人にお目にかかり、ドギマギしながらあいさつをした。それぐらいファンなのです。
 橋本さんつながりのそういう縁で、次号『春風倶楽部』の原稿をお願いしたら、快く引き受けてくださった。その確認の電話。ふ〜。受話器を置き、しばし呆然。目の前でバラの花がパッパッパッと開いた、まさにそういった感じ。好きな人の声を聞いたり会って話をしたりするのは元気のもとと納得した次第。

おとぼけオーギュスタン

 ウチから『名刀中条スパパパパン!!!』を出し、最近『ただしいジャズ入門』も出している、学習院大学の仏文教授・中条省平氏が、わたし(三浦)のキャッチフレーズを考えてくださり、フランスからメールで送ってくださった。
 この男の坊主頭のなかではアバンギャルド魂とおとぼけオーギュスタンが激突している。
というもの。よく分からない。けど、なんだか凄い。だって激突、だもの。
 昨年七月に送ってくださったのだが、プリントアウトし、そのまま大事に仕舞っておいた。アバンギャルド魂はなんとなく分かる。中条氏にそう評されるなんて、ありがたい。さて「おとぼけオーギュスタン」。これが分からない。アバンギャルド魂に対抗する言葉として、しかも「激突」という並みでない単語を用いているので、どうしても知りたい。調べたら、あった。ありました。1995年度カンヌ国際映画祭[ある視点]部門公式上映(ジュネス賞)受賞作品の映画だった。さっそくDVDを取り寄せ、この度やっと観ることができた。うれしい言葉をこの欄で紹介するのに時間が掛かったのはそのせい。
 オーギュスタン・ドス・サントス、32歳、俳優志望。保険会社の訴訟課で1日3時間38分働き、日々俳優のオーディションを受けて暮らす独身男。キャスティング・ディレクターとの面接の日を間違えた上、「変な役やマイナーな役、それから三枚目役と肉体的接触(セックスシーン)は勘弁してください」と答え、オーディション用写真にスピード写真を持参するというオトボケぶり。(後略)
 DVDのライナーから引用すると、オーギュスタンとはそういう男。DVDを実見。相当抜けている、いや、その、オーギュスタンという男がだ。何を考えているのか? といった感じ。せっかくオーディションに合格したというのに…。
 そこで、はたと気がついた。はは〜、中条氏は、わたしのことを「何を考えているのか?」と思ってくださっているのか。それも、ありがたくもうれしい好意を持って。スパパパパン!!!の中条氏がそう評しているのだ。ふむ…。となれば、そのご好意になんとしても報いなければならぬ。
 ということで、これからますますアバンギャルド魂とおとぼけオーギュスタンを激突させながら、本づくりにいそしむことにする。