出版依頼

 年が明け、今日が一月最終日。ジャネーの法則(このまえテレビを見ていたら『トリビアの泉』でやっていた)により、月日がとても短く感じられる。それだから余計にかも分からないが、このところ、出版依頼が立て続けにある(気がする)。うれしいことだ。ユニークな企画もあり、ウチらしくどんな提案ができるか、頭を悩ますのも仕事のうち。
 きのうも、横浜在住の方から事前に電話連絡があり、午後、来社された。堅い仕事をしながら、これまで何冊か本を出しておられる方で、そのなかの増刷までした上・中・下三冊本が絶版になったらしく、相談にみえられた。
 増刷といえば、写真集『北上川』が好評により三刷目に入った。ある意味では地味でマニアックな写真集が『朝日新聞』を始め、すでに十紙を超える新聞に取り上げられ、どれもそれぞれに写真集の特長をよく捉えていてくださり、写真家ともども学ばせられることが多い。
 たとえば、『北上川』の書評をいずれかの新聞で見て、あるインプレッションを抱き、こういう内容の原稿を用意しているのだが検討してもらえないだろうか、と問い合わせをしてくる方があるとする。その方にとっては、春風社=写真集『北上川』を出した出版社、ということになっているのだろう。このスピードを大事にしたい。
 ライブドア問題で、「価値」と「価格」の違いについて強調された論客がいたが、まったくその通りだと思う。
 激しく変動する「価格」は、やがて、その物が持つ「価値」に近づく。では、物の価値は何で決まるか。いろいろ意見が分かれるところだろうけれど、物にこめられた才能、ひらめき、日々の努力、費やされた労働、チームワークの質、願い、驚き、快、幸福感、などなど。「価格」はそれを時々刻々評価するだろうが、もともと評価の難しいものばかり。というか、評価できないもの、と言っていい。目に見えない価値を高めようとする努力、チームワークこそが大事なのだろう。出版依頼の増加傾向は、そのことの証しと素直に喜んでいいと思う。

外出せず

 27日(金)、朝日賞・大佛次郎賞・大佛次郎論壇賞に出席。28日(土)はリレートーク「歪(いびつ)な時空間への招待」に出席。二日つづけて東京へ出てみて思うのは、横浜はのんびりしているなぁ、と。
 きのうは、そういうわけで、外出せずに家でゆっくり、のんびり。秋田から送ってもらった玄米を炊き、シソチリメンをかけて食べた。玄米は始めてで、いかにも穀類を食っているぅ! という感じは否めないけれど、噛むほどに甘味が出てきて、白米とはまた違った美味さがある。テレビを見ながら昼寝をし、持ちかえった仕事をこなして夕飯。最近凝っている自家製野菜ジュースも忘れずに。始めた頃、水を加えていたのだが、水を加えると酸化するってぇから、先にレモンやみかんやりんごなど、水分を多く含むものをくだき、それから葉もの、根菜類を入れるようにしている。ゴマきな粉とハチミツも入れているから、これは文句なく美味い!

黒糖梅飴

 こくとううめあめ、とでも読むのだろうか。一個ずつ小さなかわいい袋に包装されてあり、それが100グラム単位で大き目の袋に入り商品として売られている。「甘酸っぱい梅と黒糖で仕上げた飴。」と袋に書いてある。
 年末から正月にかけて秋田に帰省した折、親はありがたいもので、みかん食べない? 煎餅食べない? お団子食べない? 牛乳飲む? チオビタ飲む? 食べない? 飲まない? と、次から次、持ちかけてくる。ぼくは、あまり間食をしないほうだから、「いらない」「いらない」の繰り返し。ちょっと、そっけなさ過ぎるかなと思いながら、やっぱり食べないし飲まない。
 秋田は、今年何十年ぶりかの豪雪で、新幹線「こまち」が正月5日は終日運休、父が運転し母が助手席に座るクルマで秋田駅まで送ってもらったのに、結局、横浜に戻るのを一日伸ばすしかなかった。「おかげで、一日ながく居られることになったから、よかったかな」「そうね」。たわいもない話をしながら、来た道をまた逆戻り。途中、豪雪にもめげず開いている回転寿司屋に入り、三人並んで寿司を食べた。わたしの左隣りが母、その隣りが父。三人とも寿司が好物で、秋田に帰る度、その店に寄っている。
 翌日、まるっきり前日と同じようにして父の運転するクルマで秋田駅に向かう。助手席に母が座り、わたしは後部座席。発車後間もなく、母が、「これ、おいしいから食べてごらん」と言って、かわいい袋に入った飴を渡してくれた。こばむのもどうかと思って、今回ばかりは、もらって食べた。母は、もう一つ小さな袋を破り、運転中の父の口中へも放りこんだ。
 飴が口の中でゆっくり溶けてゆく。まろやかな甘さとほんの少しの酸っぱさがうまくミックスされ、なかなか美味しい。ガリッと音を立てたのは父。「どうも最後まで舐めていられないんだ」と恐縮している。わたしは最後まで舐めて終わった。一個全部が溶けてしまったので、前に座っている母に、「もう一個ある?」。母は、小さなかわいい袋を黙って差し出した。
 横浜に着いて1週間が経った頃、父に頼んでおいた米が宅配便で届いた。ダンボールを開けると、一番上に、見覚えのある袋が三つも入っている。黒糖梅飴。間食をしないわたしが珍しくねだったものだから、息子の口に合ったと思って入れてくれたのだろう。
 米が届いたことを知らせる電話をかけた時、飴の袋が入っていたことを母に尋ねたら、近所の店には売っていないらしく、父に頼み、わざわざクルマを出してもらい、飴を売っているスーパーマーケットに行って3袋買い、米といっしょに送ってくれたものらしい。
 一人で食べたら2ヶ月は持ちそうだから、会社に持っていき社員にお裾分け。「美味しいですね」と言って皆、喜んでくれた。

ペトルチアーニ

 夜、床につく前に西式健康法による体操を4種類こなすのだが、無音でやるのもなんだかわびしいから、何かその日の気分でCDをかけることにしている。ジャズだったり、古いブルースだったり、サザン・ロックだったり。きのうはジャズ・ピアノのミシェル・ペトルチアーニ。
 4種類の体操のうち、一番長くやるのが10分。いつもなら、その10分がとても長く感じられるのだけれど、きのうは、気がついたら13分に及んでいた。体操をしながら、無意識で曲に聴き惚れていたのだろう。白いジャケットの2枚組のアルバムで、とても気に入っている。その1曲目が「メドレー・オブ・マイ・フェイバリト・ソングズ」40分26秒。力強さと繊細さを併せ持つペトルチアーニならではの名演奏だと思う。
 昼は会社でトム・ウェイツ。昨日この欄で紹介した野毛の喫茶店ではCDも売っていて、福家(ふくや)で泥鰌を食べた帰りに、石橋が、わたしも何かトム・ウェイツのCDが欲しいと言うから、喫茶店に寄り、1枚オススメを教えてあげた。午後の仕事をしながらBGMでそのCDをずっとかけていて、やっぱり、トム・ウェイツはいいよなあとしみじみ。そんなふうだったから、どういうバランスの取り方かは自分でも分からないけれど、帰宅して手が伸びたのがペトルチアーニ。たぶん。
 

野毛坂の喫茶店

 横浜市立図書館のある交差点で左へ折れ、坂道を下っていく途中に新しい喫茶店ができた。確か昨年の12月。ランチも出す。夫婦でやっているようなのだが、ぼくと同じか、少し年下ぐらいのご主人は、あまり愛想がない。美人の奥さん(だろう)は普通に話す。
 一度、社の者4人で入ったのだが、その時は、ほかに客が1人しかいなかった。雰囲気も悪くないし、店内に流れる曲も、ご主人の趣味なのか、たとえばオールマン・ブラザーズ・バンドなど、60年代70年代サザンロック調で、悪くない。どころか、いい! なのに、客が入らない。難しいものだと思った。
 きのうの昼、久しぶりに馬車道にある周さん(弟のほう)の生香園へ行ったが、野毛の坂道の途中に、メニューを書いた看板が出ていた。見れば、例の喫茶店のものだった。しばし立ち止まり、中を覗くと、客が5、6人は入っている。ふむ。看板を置いたせいかもしれないと思ったね。
 考えてみるに、坂道を(上りでも下りでも)わき見しながら歩く人はあまりいない。上りの場合は、よいしょよいしょと上っていくのだし、下りの場合は、歩くスピードがおのずと速くなって、坂の途中に何ができたか、などと注意して見る人は少ない。まずは、坂を上り下りする人々の脚を止めさせ、注意を喚起しなければならない。その意味で、看板の効果はあった。(と思う)
 さて、問題は味。これが可もなく不可もなくといった体で、研究の余地ありと見た。
 きのうの目的地、馬車道の生香園で食べた海鮮焼きソバは、いつもどおりの美味。ただし値段が50円上がって1310円也。

ヘソ出し

 小社の営業の新人Oさんが、たまに背中(「背中」という言い方がオジさん臭いと、この日記を読んでくれている知人に指摘された)を、そうと知らずに出していることを、先日ここに書いたけれど、背中(あるいは、腰)どころか、ヘソを含めた腰回り全部を出しつつ(見せつつ)歩く若い女性(無表情)と、会社の近くでしばしばすれ違う。きのうもそうだった。
 こっちは坂の上り。彼女は下り。こっちは黒のダウンジャケットを身にまとい、お〜さむさむ、などと口ずさみながら上って行く。彼女は赤いダウンで、寒さなど意に介さぬかのように、肉付きのいい少し色黒の肌をさらし、ずんずんずんずん近づいてくる。日本人ばなれした顔(カラーコンタクトのせいか)の彼女、よそ見をしない。ぼくはといえば、この寒いのにヒョエ〜、で、どうしても彼女のヘソの辺りに目が行ってしまう。ファッションとはいえ、あの根性は見上げたものだ。電車でも居酒屋でも、ドアがちょっとでも開いていると、そこからヒュ〜ヒュ〜風が入ってきて、寒さがよけいにこたえるものだが、ヘソ出しの彼女、寒くないのか。そんなはずはないだろう。あそこまでいけば、ほとんど修行者の荒行をみずからに課しているとしか思えない。

雪景色

 天気予報が当たって、関東全域が雪に覆われた。わが家が丘のてっぺんにある関係上、谷を挟んで反対側の丘に立ち並ぶ家々の屋根が白く見え、眼を楽しませてくれる。今日は一日天気が良さそうだから、ほとんど消えて失くなってしまうだろう。六本木ヒルズのビルの窓から見る東京の街はどんなだろう。それよりも、今日の校正・校閲が待っている。足を滑らせないようにして出社しなければ…。
 長岡にある政府系金融機関の支店長を務める大学時代の友人M君と電話で話したら、M君、毎日、スーツ姿に長靴で出社しているのだとか。いつも控え目な彼だが、地震後の復旧に当たって、仕事を通じ随分と彼の地のために働いたようだ。それが言葉の端々に感じられる。M君、今日も厚く積もった雪を見ながら長靴で歩いて出社するのだろう。

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