相関度

 書評と本の売れ行きに関することだ。相関関係にある、と言いたいところだが、必ずしもそうでもない。素晴らしい内容の書評が掲載され、こりゃ凄いぞ! と社内騒然と化しているにもかかわらず、その書評の効果と分かる注文が、学生服のボタンの数ほどしかないこともある。が、書評が掲載される媒体によっては、翌日から注文が殺到することもあり、この場合は確実に相関関係にあると言えるだろう。また、最近は、各書店が工夫して、書評された本の傍に店独自のポップ(丸や四角の厚紙に書評の切抜きを貼ったり、サインペンでかわゆく宣伝文句を書いたり、目立つように針金で留めたもの)を用意しているところもあり、こうなると、書評と本の売れ行きの相関度は自ずと増す。
 新聞の書評は、それが掲載される前の週にネットで分かるようになっており、たとえば○○という本の書店注文が今日はなんで多いんだ? と訝しく思っていると、書店員がネットでチェックして、注文してくるということが多いようだ。ってえことは、書評と本の売れ行きの相関度は、どれくらい以前からかはとりあえず置いといて、増加傾向にあると言っていいのかもしれない。総体として本は売れなくなっているわけだから、連携プレーが大事ということか。

アナログ人間

 帰省するための新幹線チケットを「駅ネット」で予約するという発想が端からないわたしは、FAXもなかなか信用できない。どこかでだれかもそんなことを書いておられたが、わたしも全く同様、本当に相手に届いたか心配で、なかなかFAXから離れられないのだ。機械の傍にじっと立っていると、若い社員が不審そうに見るので、しぶしぶ自分の席に戻る。が、心配でちらちらFAXのほうに目が行ってしまう。癖なんだなぁ。

天のこと

 飯島耕一さんの近著『漱石の<明>、漱石の<暗>』を四分の三ほど読んだ頃、BGMにかけていたアメリカ50、60年代のオールドポップスに誘われてか、うとうとし、読み掛けのページに栞をはさんで、昼の布団にもぐり込んだ。西式健康法の創始者・西勝造氏が提唱された平床寝台に興味を持ち、トーキューハンズに頼んでおいた厚さ三センチ、畳一畳分の板(重くて持ち上がらず、うんとこせっとこ引きずって寝床まで運んだ)が、午前中の配送すれすれの時刻に届き、それを敷いてあったのだ。そこに体を横たえた。二時間、いや、三時間、何のこれっぽっちの夢を見ることもなく、板なのに、それほど痛くもなく目が覚めたことがうれしくて、案外ぽかぽかと背中が温く、むっくりと起きだし、あとは、残り四分の一ほどを一気に読み切った。「明」は天、「暗」は人、と受けとってもらってもいい、と飯島さんは「あとがき」に書いてある。天はどこにある。表紙写真の漱石の顔は、これまでいろいろな場所で見知ってきた顔とは違う<暗>のそれ、人の顔だ。
 今年七月に刊行された同じく飯島さんの『白紵歌(はくちょか)』の最後にこんな文章があったことを不意に思い出した。
 翌朝、目覚めた時、西野鶴吉君は妙なことを考えた。「ひょっとして天は今寝ているベッドの下にあるのかも知れない。そのせいで背中のあたりが温いのかも知れない。ひょっとして天はおれの靴の中にさえあるかも知れん。天空は胎児にとっての子宮なのかも知れん」。そう思うと鶴吉君はもう一度こころよい眠りに落ちたのである。

指定席

 正月とお盆くらいは、ふるさとに帰っているのだが、面倒なのはチケットを取ること。
 以前はちゃんと自由席があって、ぶらっと乗った。座る席がなく4時間ずっと立ちっぱなしということもないわけではなかったが、それでも、この「ぶらっと」が良かったのだ。ところが、いつのころからか、秋田新幹線に自由席がなくなった。必然、1ヶ月前から予約を受け付けますというアレを意識して、チケットを取る必要に迫られる。これが厄介。面倒至極。まずは往きの切符。
 朝、第1希望から第3希望まで書いた紙を保土ヶ谷駅「緑の窓口」に書いて出したら、すでに20番目。果たして当たるかどうか。宝クジな気分。会社が退けてから、帰りがけ窓口に顔を出したら、窓口横のガラスにチケットが取れたかどうか赤丸までしてあって、なんとか第2希望のチケットが取れていた。良かった! 親切心でそうしているのだろうが、クジに当たったみてぇに、○だの△だの×だのって、おちょくってんのか、まったく。でも、まぁ、怒っても仕方がない。ふ〜。今度は、往復の復の切符かよ。

産卵期って

 知人Aの娘さんは小学3年生。最近家に帰ってきて、いろいろプリプリ突っかかった物言いをし、「わたし、いま反抗期なの」と言うそうだ。母親のAさん、慌てず騒がず、「へ〜、そうなの。おめでとう。そうやって○○ちゃん、だんだん大きくなっていくのよ」。娘、いたって真面目な面持ちで、「反抗期の次は産卵期、そして最後に老後を迎えるのよ!」反抗期―産卵期―老後、アハハハハ… 鮭じゃないんだから。にしても、子供っておもしれぇなぁ。ところで、○○ちゃんの絵の才能は大した物で、もう少し大きくなったら、春風社の本の装丁や挿絵に使いたいと思っている。てゆうか、産卵期を迎える頃の○○ちゃん、そんなことでは飽き足らず、才能いっぱいに次々作品を産み出して画集でも作っているかな。