鎌倉

 『神の箱』の著者・磯部先生と横浜で待ち合わせ鎌倉へ。専務イシバシ同行。横須賀線の電車を北鎌倉で下り、そこからぶらぶらと歩いて鎌倉へ抜けた。
 歩きながら最近出した本のことや、わたしの大学時代のことなどを話した。先生には弟さんがいらっしゃるそうで、その弟とわたしが重なるのだと以前イシバシに語ったことがあったそうだ。そういうことを聞いていたからかも分からないが、先生と話していると、発語することに気合を込めたり、特別な意識をしなくても、ぽんぽんとリラックスして話ができる。元気なときは元気に、そうでないときはそれなりに。たとえ話をしなくても、失礼なことをしているという感じがしない。素のままの自分でいられる。
 小町通りを散策しながら、帽子屋や古本屋を冷やかして歩くのも楽しい。日が傾いてきたので、適当な路地に入り奥の居酒屋の扉を開けた。角のカウンターに腰掛け、鰯の南蛮漬け、鶏手羽焼き、甘ラッキョウ漬け、冷やっこなどを頼み、三人揃って焼酎のお湯割りを飲む。メニューに「エレベーター」というのがあった。はて、エレベーターとは、三人頭をひねる。エレベーター…上がったり下がったり、か。うーん。分からない。女将さんに尋ねたら、油揚げの上に大根おろしを添えたものだという。「あげ」の上に「おろし」で、あげおろし。エレベーターか。
 先生は、明恵上人の依頼で絵師が描いたという絵図の本をお持ちで、それをバッグから出し見せてくれ解説してくれた。説明を聞きながら先生の心のひだに親しく触れていくように感じられた。一枚の絵を見るにも見る側の陰影が大事なのだなと知った。陰影といえば比喩としても使うけれど、けして清清しいものではないだろう。が、絵の鑑賞も仕事も人との付き合いも、陰影を抜きには成り立たないのかもしれない。かといって、それを欲しがっても仕方がない。与えられる時があって、それを謙虚にありがたく受けとめ次へ生かすことが大事と教えられた。
 すっかり先生にご馳走になり店を出た。人通りもまばらで、秋の風が頬に気持ちよく感じられた。