ちょっとしたこと

 昨日、社の若い女性たちが本棚を片付けていた。本棚といっても最初から本棚として作られたものではないので、本を置くにはもともと適していない。
 読まない本をただ整理して重ねて置くだけならそんなに工夫は要らないが、師匠の安原顯さんからいただいたものを始め、装丁や本文組の参考にもと置いてあるものだから、なるべくどこに何があるか分かるようにしておきたい。
 事の発端は、高村薫の『レディ・ジョーカー』を見つけることにあったが、そして、それは間もなく積まれた本の後ろから見つかったのだが、本が機能的に積まれていないと考えた愛ちゃんは、リーダーシップを発揮し、みんなで知恵を出し合いながら工夫を凝らして試行錯誤の上、見やすく美しく重ねていった。
 ほんのちょっとしたことだが、見ていて清清しく、いいなぁと思った。自発的であろうとすればなんだって自発的だし、自発の芽はいつか必ず出るものだ。

仕事の縁

 秋田の有力紙『秋田魁新報』の取材を受け、首都圏で働く人を紹介する「秋田人」というコーナーに取り上げられたことがきっかけで、記事を読んだ大学の先生から本を出したいとの連絡が会社にあったという。ちょうど出掛けていた時で、営業の奥山が電話を取った。どこで縁が結ばれるか分からない。来月原稿を持って来社する予定。ありがたい話だ。
 午後、『刺青墨譜』に収録する写真を撮らせてもらったNさんが妹さんと一緒に来社。本の出来具合をとても喜んでいただき、仕事場近くの掲示板に本のポスターを貼ってくださるというので、数枚出力して差し上げた。ありがたい。
 ありがたいありがたいで仕事をするのが一番。きのうは一日ありがたいに満たされていた。夕刻、椅子を回転させたら空が夕陽で真っ赤に染まっていたから「すげーすげー、みんな見てみろよ!」と叫びベランダに飛び出した。富士山の右肩にかかった夕陽が刻一刻と滑り始め、とちょうどそのとき、鴉が2羽、西の空を渡って行った。社員一同、ベランダに並んで「ほう」と溜め息。こうやって仕事が終わるのもありがたい。

写真展会場

 紀伊国屋新宿南口店の写真集コーナーに、写真集『北上川』のポスターを貼らせてもらえることになり、橋本さんも交え担当者と打ち合わせ。型通りの話し合いでなく親身にいろいろ相談に乗ってくれ、気持ちのいい打ち合わせができた。ビジネス上の短い会話でもこころの通い合いというのはあるものだ。
 東京駅丸の内口丸善3階へ。来月、その一角を借り、「だ」と「の」の違いが売り(!)の『ただしいジャズ入門』と『たのしいジャズ入門』をずら〜っと展示することになっており、その下見に。『ただしい』は学習院大学の中条省平氏。『たのしい』はジャズ喫茶メグの店主にしてジャズ評論家の寺島靖国氏。丸善3階の目指すコーナーには現在東山魁夷の画集が飾られている。ここにウチの本が並ぶのか。ん〜、愉快愉快!!
 次。今月25日から銀座泰明小学校近くのギャラリー悠玄にて「橋本照嵩 北上川写真展」が開催されることになっている。そのための下見に。素敵なお洒落なスペースに一同感嘆の声。マネージャーとの事前の打ち合わせにも力が入る。橋本さんといえば「リヤカーの旅」というぐらいだから、リヤカーを会場に持ち込んでみてはの提案もあったそうだが、予算の関係で断念。地方の個展ではリヤカー持ち込みに消極的なのに、逆に東京のど真ん中、銀座の画廊のほうが積極的なことに橋本さん感慨深げ。
 忙しかった一日の最後は、石巻ゆかりの寿司屋で一献。銀座で寿司かよと思ったが、リーズナブルかつ美味! 写真集にも出てくる墨廼江(すみのえ)酒造の、その名も「墨廼江」を飲む。旨い! 橋本さんが地元石巻の酒や料理を誇らしげに語る姿が微笑ましい。写真展、ぜひ成功させたい。

CDを洗う?

 昨日、一体型のオーディオのピックアップが故障したのをそれと知らずに、CDの真ん中の穴が小さいせいかと思って包丁で穴をグリグリ広げた話をここに書いた。それは作り話でもなんでもなく全くの事実で、その犠牲になったCDには、ジャズの大御所、かのマイルス・デイビスのものもあった。さらに我が間抜けぶりをご披露すると、穴を広げても音が出ず、なんだかスルスルッ、スルスルッ、スルスルッと、いかにも滑るような音がする。滑りを食い止めねばってんで、ピックアップとCDを両面テープでくっ付けた(!)こともある(意味ね〜し!)。馬鹿だ!
 そのオーディオというのが、ソニーが海外向けに開発したものだそうで、どこにもSONYの文字はなかったけれど、それをくれた知人にそう教わっていたから、心をこめたていねいな手紙をソニーの技術部宛てに書いて修理を頼んだ。そうしたら、ピックアップの部品を交換しただけで、ちゃんと元通り音が出るように直してくれた。さすが世界のソニー! と喜んだ。
 ことの顛末を記すと以上のようなことなのだが、それはともかく、上には上がいるもので、昨日の「よもやま」を読んだ知人からメールがあり、おいらの行為に仰天したかと思いきや、そうではなく、極めて淡々と「わたしはCDを洗いました…洗剤をつけて」とあったので、笑ってしまった。CDを洗うなんて聞いたことがない。しかもご丁寧に洗剤まで付けてとは…。さすがB型、似た者同士。発想に共通したところがある。ほかの血液型の人はこういうことはしないのではなかろうか。

設定は大事

 ウォーキングが趣味になって、出歩くことがあまり苦でならなくなった。専務イシバシや武家屋敷をつかまえては「万歩計買いなよ。歩数だけでなく、歩いた距離、消費カロリー、時計まで付いてんだぜ」と薦めている。
 さっそくイシバシがとても立派なのを買ってきた。おいらのが2千円ちょいぐらいなのに、4千円以上するやつを。見るからに高そう。身に着けなくても、ハンドバッグの中に入れて歩いてもいいそうだ。便利。なのにイシバシ浮かぬ顔をしている。訊けば、高価なだけに、歩数、歩行距離、消費カロリーどころか、体内脂肪がどうだとかコレステロールがどうだとかBMI値がどうだとか、やたらと設定が面倒らしい。分かる分かる。よ〜っく分かる。便利な機械というのはそれが面倒臭いのよ。簡単ケータイ電話が売れる所以がここにある。
 実はわたしの万歩計も、ついこの間まで設定が違っていた。というか、買ったまま、ただ電池を入れて腰につけ、ときどき開けてみて、なんだまだ千歩かよ、なんてやっていた(猿みたい)のだが、感覚的にどうも歩行距離が短いような気がしてならない。人間らしく取扱説明書をていねいに見てみたら、初期設定が一歩50センチと書いてある。男の一歩が50センチであるわけがない。「使う前に設定してください」とちゃんと書いてあるではないか。読まずに使ったわたしが馬鹿だった。
 設定し直して我が家から会社まで歩いたら、3.3キロあった。納得。感覚的にだいたいそれぐらいだろうとの予測とぴたり一致。ことほど左様に、わたしは機械音痴、原始的感覚人間なんである。
 いま会社で使っている一体型のオーディオのピックアップが故障したのをそれと知らずに、CDの真ん中の穴が小さいせいかと思って包丁で穴をグリグリ広げ、若頭ナイトウに呆れられたことが懐かしい。「CDの穴を包丁で広げた人をわたしは初めて見ました。というか、穴を広げたら音が出るのではという発想自体がとても珍しいと思います」と、違う生き物を見るような目でおいらを見ていたっけ。

ほどほどに

 夜、知人の車に乗せてもらい、箱根駅伝で有名な権太坂にある蕎麦屋に行った。店の名前を覚えてこなかったが、「名古屋そば」という文字が店内にあったから、ひょっとしたら「名古屋そば」が店の名前かもしれない。
 メニューを見、わたしは何種類か小鉢に小分けされて楽しそうな将軍蕎麦を、知人は肉が食べたいというのでヒレカツ定食を頼んだ。間もなく運ばれてきた将軍蕎麦、上に乗っているのがナメコだったり、鶉の卵だったり、エビの天ぷらだったり、それはそれは楽しい。蕎麦そのものの味も悪くない。これから何度か足を運ぶことになるだろう。
 店を出たのが8時25分。家まで送って行くという知人のありがたい申し出を断り、歩くことに。最近ウォーキングが趣味なのだ。そのために万歩計まで持参した。
 知人と別れ普段よりも速く、というのは、朝、紅葉坂にある会社に向かう時のおそらく2倍くらいのスピードで歩く。なぜって、暗くて景色を楽しむ風でもないから。そのうち、食べてすぐに速足で歩いたせいか、お腹が痛くなってきた。かと言って、途中用を足すような場所もなく、痛さを堪えて、お腹に振動を与えぬように気を配りながら、忍者が摺り足で地面を伝うように先を急いだ。2度ほど「ああ、もうだめ!!」と挫けそうな痛みに襲われたが、奥歯を食いしばり、爪が手のひらに食い込むほどの力でゲンコツを握り締め、顔はと言えば赤鬼青鬼、背中を甲羅のように固めお腹を抱えるようにして歩く。こんな時に限って、歩道橋を渡らざるを得ない場所があったり、道路工事中でかなりな距離を迂回させられたり、人生はほんとにままならないと思った。「クレヨン」というスナックの灯りが見えたときは、よっぽど「すみません。怪しい者ではありません。ちょいとトイレを貸してください」と飛び込もうと思ったが、それはどう考えても怪しいので、やっぱり止した。
 結局、我が家のある坂道を這いずるようにして登り、玄関を開けトイレに駆け込んだ。時計を見たら9時01分。万歩計を開けたら3.1キロと表示されている。なんと、3キロの道を26分で歩いたことになる。やっと筋肉を緩めた安心感と競歩の疲れでドッと汗が吹き出した。何事もほどほどのところでやめるのが大人ということらしい。痛感した。

鎌倉

 『神の箱』の著者・磯部先生と横浜で待ち合わせ鎌倉へ。専務イシバシ同行。横須賀線の電車を北鎌倉で下り、そこからぶらぶらと歩いて鎌倉へ抜けた。
 歩きながら最近出した本のことや、わたしの大学時代のことなどを話した。先生には弟さんがいらっしゃるそうで、その弟とわたしが重なるのだと以前イシバシに語ったことがあったそうだ。そういうことを聞いていたからかも分からないが、先生と話していると、発語することに気合を込めたり、特別な意識をしなくても、ぽんぽんとリラックスして話ができる。元気なときは元気に、そうでないときはそれなりに。たとえ話をしなくても、失礼なことをしているという感じがしない。素のままの自分でいられる。
 小町通りを散策しながら、帽子屋や古本屋を冷やかして歩くのも楽しい。日が傾いてきたので、適当な路地に入り奥の居酒屋の扉を開けた。角のカウンターに腰掛け、鰯の南蛮漬け、鶏手羽焼き、甘ラッキョウ漬け、冷やっこなどを頼み、三人揃って焼酎のお湯割りを飲む。メニューに「エレベーター」というのがあった。はて、エレベーターとは、三人頭をひねる。エレベーター…上がったり下がったり、か。うーん。分からない。女将さんに尋ねたら、油揚げの上に大根おろしを添えたものだという。「あげ」の上に「おろし」で、あげおろし。エレベーターか。
 先生は、明恵上人の依頼で絵師が描いたという絵図の本をお持ちで、それをバッグから出し見せてくれ解説してくれた。説明を聞きながら先生の心のひだに親しく触れていくように感じられた。一枚の絵を見るにも見る側の陰影が大事なのだなと知った。陰影といえば比喩としても使うけれど、けして清清しいものではないだろう。が、絵の鑑賞も仕事も人との付き合いも、陰影を抜きには成り立たないのかもしれない。かといって、それを欲しがっても仕方がない。与えられる時があって、それを謙虚にありがたく受けとめ次へ生かすことが大事と教えられた。
 すっかり先生にご馳走になり店を出た。人通りもまばらで、秋の風が頬に気持ちよく感じられた。