コテイベーカリー

 昼、武家屋敷と一緒にとっとこ歩き、ボクサー畑山隆則がオーナーとかいう「尾道ラーメン 麺一筋 桜木町店」でラーメンを食った。頼んでから丼が出てくるまでの間、ひょいと窓の外を見たら「コテイベーカリー」と書いてある看板が目に付いた。コテイベーカリー? コテイ? 固定? アハハハハ… 大きな台風が来てもぜってぇ飛ばされないように金具できつく固定してあるパン屋さん、で、固定ベーカリー? まさか!
 ラーメンを食しつつも固定ベーカリー、いや、コテイベーカリーのことが気になり、武家屋敷が平らげるのを待って、そそくさと席を立った。
 コテイベーカリーにはなつかしい「シベリア」というお菓子が売っていた。大正五年の創業以来ずっと同じ製法で作ってきたと、ドアのところの張り紙に書いてある。昔はどこのパン屋さんでも作っていたのが、作るのに手間隙がかかるので、いまでは、ごく限られたお店でしか作っていないとか。水羊羹をカステラ生地でサンドしたお菓子で、水羊羹の厚さが5センチほどある。なぜ「シベリア」という名称になったかについては諸説あるらしく、お店でもらったパンフレットに、?シベリア鉄道の連想からだとか、?シベリアの凍土がどうしたとか、?シベリアからの亡命ロシア人が函館で最初に作ったからとか、七つ書いてある。要するに、はっきり分からないのだろう。
 「シベリア」の名前も怪しいが、もっと不思議なのは店の名前。訊けば教えてくれたろうが、うっかり訊くのを失念。もらった袋に「coty bakery」と記されている。「bakery」はパン屋だが、「coty」とは何か。語学に堪能な若頭ナイトウに訊いても分からない。わたしの好きな国語辞書『大辞林』によれば、コティ [Franois Coty] (1874-1934) フランスの実業家・政治家。香水製造で成功し、「香水王」と呼ばれる。日刊紙「フィガロ」を所有、反共運動を組織した。となっている。
 コテイベーカリーの創業が大正五年、西暦なら1916年。創業者がフランスの「香水王」コティと何か関係があったとでもいうのか。謎だ。ふむ〜
 ところで「シベリア」、4個買ってきて、みんなで半分ずつ食べたが、カステラと水羊羹、別々のほうが美味しいのじゃなかろうか、というのがおおかたの感想だった。

はるかネパール

 家に帰ってテレビをつけたら、「貧乏を競う」みたいな番組をやっていて、へ〜、いろんな人がいるもんやなぁとおもしろく見ていたら、ネパール人の「貧乏さん」(名前はババ)が登場し、彼は日本人の女性と結婚、子供を三人もうけたが、なんでもネパールに内縁の妻が居て、以前は日本人の妻もろともに暮らしていたという。その彼、いま失業中とかで「貧乏」を強いられているらしく、このごろは故郷ネパールに帰っていない。日本で生まれた子供たちをネパールの家族にも見せたいだろうとの配慮から、番組が応援し、ネパール人の顔に最も似ている(?)ネプチューンの名倉潤が付き添い役でネパール入り。
 故郷に帰ったババさん、日に焼けた顔に涙を浮かべ眼をキラキラさせていた。ひょうひょうとした名倉さんは前から好きなタレントだが、気張らず現地の人に溶け込む姿が見ていてすがすがしい。ババさんがぜひ見せたいものがあるといって名倉を案内した小高い丘から望むヒマラヤの山並みを見ていたら、わたしもかつて望んだ連山を思い出した。
 夜、テレビのない宿の広間に近所のひとびとや子供たちが集まり、歌ったり踊ったり太鼓を叩いたりしてもてなしてくれた。わたしも何か歌で返さなければと思い立ち、さて何がいいかと考えあぐね、結局「津軽海峡冬景色」を歌った。太鼓の人が合わせづらそうにしていたっけ。それでも歌い終わったら拍手喝采で、わたしの顔は喜びでぐしゃぐしゃだったろう。十六、七年も前の話。
 ネパールの首都はカトマンズ。日本語では「マ」にアクセントを置いて発音するが、本当はカトマンドゥー、「ドゥー」にアクセントがあるんだよね。

万歩計

 太り過ぎ解消のため、家から会社まで歩いてみた。いつものように保土ヶ谷橋の交差点まで下り、そこから国道1号線を東京方面へ向かいひたすら歩く。西平沼の交差点を右へ折れ、ゆるく長い坂道を上る。初日50分かかったのが昨日は45分で着いた。相当汗をかく。所要時間でいえば電車通勤とほぼ同じ。速歩は健康にいいそうだから、毎日とは言わなくても、天気のいい日は気持ちもいいし、心がけて歩くようにしたい。万歩計で距離を測ったら、案外近くて2.8キロメートルしかなかった。歩数は5000に満たない。
 夜はお客様と一緒に保土ヶ谷橋までタクシーに乗ったので、歩数はそれほど稼げて(?)いないと思ったが、家に着いて万歩計を開いてみたら1万歩を超えていた。ふむ〜。まさしく万歩。朝、会社に着くまでが約5000歩、のこり5000歩を社内と昼食時外出した折歩いたことになる。
 わが社でいちばん歩いているのはおそらく石橋だろう。千葉から通ってくるし、出張の折など2万歩ぐらい歩いているのじゃなかろうか。小刻みな歩きのため、距離は8掛けか7掛けかもわからない。にしても、大したものだ。

二日つづけて

 アジアンテイストな多聞君のお店に昨日も入り浸り、お茶とお菓子をご馳走になりながら、居合わせた方々とインドの印象について話したり聞いたりしながら楽しいひとときを過ごした。久しぶりにヒデさんにも会い、互いに近況報告、よもやま話に興じる。
 インドと往ったり来たりの多聞君一家のお店だからか、中に居るとそこだけインド、充溢した時間に身を任せるような心地好さにうっとり。ポカーンとしていても、カラーンとも音がせず、むしろ水が一滴一滴溜まって自分が次第に満たされていくような、とでも言えばいいだろうか。
 この頃「縁」について考え、ここにも書いているが、きのうはまた、三島の話から「水」と「富士山」につながる話が響き合い、おもしれぇ〜なぁ、で。沼津出身の方あり、山梨出身の方あり。さて、次の開店は十一月の満月の日を期してだそうだ。

アジアンテイストなお店

 久しぶりに多聞君のお店に行ってきた。多聞君はいまバンガロール。お店はお母様が切り盛りしている。一つ一つ可愛いグッズや変わったデザインのTシャツなど衣類も豊富で、見ていて飽きないし、居るだけで落ちつく。
 自宅で会社を始めた頃は毎日のようにお邪魔して、お茶をご馳走になっていた。多聞君ともその頃出会い、打ち解けて話しているうちに、本を作ってみない? 作ろう! ということで、『インド・まるごと多聞典』ができた。詩人の谷川俊太郎さんとの縁も、この本から。春風社は今月で六周年、来月から七期目。刊行点数がいつのまにか百六十点余りになっている。そのうち三十点ほどが多聞君のデザインによるもの。六年前、ショーウィンドウに飾られた木彫りのガネーシャに魅せられお店に入ったのがそもそもの縁。縁が少しずつ展開し、それを見定め、ゆっくりじっくり後から付いて行くのがなんとも楽しい。ジェットコースターみたいな激しい興奮でなく、霧が晴れ、森が静かに緑に色づいていくような勇気と元気が湧いてくる。
 四時ごろお邪魔して、さてそろそろ帰ろうかなと腰を上げたら、時計はすでに九時を回っていた。茶と黄色のTシャツを買った。1メートルだけ切ってもらった麻の布も。
 そうそう、『多聞典』を読んだことがキッカケでお店に来るようになったというお客さんがいて、話していたら、なんと県立図書館の方だった。県図と春風社は目と鼻の先。今度遊びに来てくださいとお誘いした。ほんと、おもしろいなぁ〜

泥、泥、泥

 また観たいと思ってDVDを買ってあったのだが、長いも長いし、そうそう気軽に観られる内容でもないから、つい先送りにしてきた。昨日ようやく観なおした。『七人の侍』3時間27分。ひょえ〜!
 本でもそうだが、二度目というのは最初と違うところに眼が行くものだ。三船敏郎演じる菊千代が百姓(実際はともかく、黒澤監督がそうと認識している、あるいは描こうと意図した)出身であることがきちんと描かれていると思った。
 村の代表が七人の侍を連れて村へ帰って来たとき、侍に恐れをなして家々に閉じ篭っているのをウソの「野武士襲来!」の合図で一気に村人のこころを援軍の侍たちに向かわせたのは菊千代だった。ほかにもポイントポイントで、百姓の気持ちを深いところで分かっていなければできないと思われる行動がいくつもある。なかでも眼を奪われたのは、村の洟垂れガキどもが、「あっち行ってろ!」といくら菊千代にどやしつけられても、追っ払われたニワトリが三歩あるけばまた元に戻るようにぞろぞろ菊千代に付いて歩くシーン。それが、ふっと何度か描かれる。ガキどもは、言葉でないところで、菊千代に父や母と同じものを感じて付いていくのだろう。菊千代の一挙手一投足から眼が離せないガキどものこころがよく分かる。そのことを言葉で説明するのでなく、ごく自然に描いているところが素晴らしい。
 それにしても合戦シーンの泥には圧倒される。びちゃびちゃと画面から飛び出してきそう。あんなに長くしつこくやられると、泥に身を投げ出すのも悪くないなと思えるから不思議だ。水田稲作、泥の映画だ。

坊主頭

 短くて一ヶ月、長くて一ヶ月半の間を置いて床屋に行くようにしている。てゆうか、枯野のような頭の毛が長くなってくると、痒い。毎日頭を(髪でなく)洗っているのに、それでも痒くなる。枯野のような頭のススキのような毛でも、伸びれば周辺に汗をかくということか。
 このごろ顔を剃ってもらうようにしている。電動バリカンで頭の毛を刈ってもらって1000円では、仕事に張り合いがなかろうと慮り、そろそろ床屋にでも行こうかと思い始めるや、わざと髭を伸ばして床屋に剃りがいを提供している。
 肌がやわらかいのに髭がけっこう濃いので、今までかかった床屋は少々だが大概皮膚を傷つけ、家に帰って鏡をよく見てみると、二、三箇所、必ずと言っていいほど血が出て小さく固まっていたものだ。ところが、いま行っている床屋は、もう何度か顔を剃ってもらっているのに、一度も血を出していない。蒸しタオルで髭をやわらかくするだけでなく、特殊なオイルもつけて剃ってくれるから、やられているほうとしては、剃刀を当てられているとはとても思えない。小さな紙片で顎を撫でられているような心地好さがある。つい眠くなる。なかなかの技だと思う。
 大学の陸上部の頃、肉離れを起こして太腿の毛を剃ったことがあった。剃った後の太腿に触り、我が身なれど妙な気がした。見事な技を持つ床屋に剃ってもらった後の顎に触れると、あの時の感触がよみがえる。我が顔なれど妙な感じ。が、家に帰って鏡を見ればやっぱり同じ顔だ。