きっかけ

 嫌っていたわけではないが、なんとなくこれまで接する機会を逸してきたものの代表が、お能とモーツァルトと池波正太郎。
 お能については、先週、梅若猶彦さんが来社され、親しくお話をうかがうことができ、とても楽しかったから、これから積極的に観てみようと思う。
 モーツァルトはどうか。モツレクというぐらいで、レクイエムを聴けば、あとは、ま、いいことにしよう。そう思ってきた。思い当たる原因はある。小林がいけない。セレス小林ではない。小林秀雄だ。あんなふうに、天才、天才、曲を書いたのも天才なら聴く側も天才が求められるみたいに言われると、どうしたって怖気づいてしまう。ふーんだ。おら天才じゃないもーん。モーツァルトなんか知らなくたって生きていけるもーん。究極の開き直りでこれまできたのだ。が、ここに来て、ホグウッドの古楽器・小編成によるモーツァルトを聴き、ぶったまげはしないが、ん! と身を乗り出すぐらいには驚いた。ストリングスのなんと可憐なことよ!
 池波正太郎。『鬼平犯科帳』、文庫で全巻買ってはあった。『大菩薩峠』を読破し、天狗になったとでもいうのか、『鬼平犯科帳』ぐれぇすぐに読めるだろうと高をくくって読み始めた。まではいいが、全然すすまない。面白くない。てゆうか、テイストが『大菩薩峠』と『鬼平犯科帳』ではまったく違う。あたりまえだ。『大菩薩峠』の印象が強烈であったせいだろう、『鬼平』の面白さになかなか触れ得ない。ところが先日(かなり前)NHKで、作家の山本一力さんが池波正太郎を紹介する番組があり、また山本さんの語り口が淡々と味のあるものだったので、気をとり直し肩の力を抜いて再度読んでみることにした。と、面白い! おもしろいではないか。ふーん。そうか。そういうものか。なんの世界でも、きっかけ、モチベーションがないとなかなか入っていけないものと思った次第。