印象

 観世流能楽師の梅若猶彦さん来社。いっしょに食事をしながら面白い話をいろいろうかがう。ピーター・ブルックと土方巽についての感想は演者ならではのものと思わされ特に興味深く、「意味」という言葉が耳に残った。わたしは今までお能をまともに観たことがない。梅若さんの『能楽への招待』(岩波新書)で、ほんの少しだが蒙をひらかれた気がするから、今度機会をみつけてぜひ観てみたい。
 梅若さんの話が面白く、お酒が入っていたせいもあってか、わたしもついつい饒舌になってしまった。「梅若さんがドアを開け部屋に入ってこられた時に気づき、それからずっと続いているのですが、所作の一つ一つが残って見える。あるはずのない残像が見えるような気がします」と印象を正直に申し上げたら、そういうことを言われたのは初めてだけれど、とてもうれしいと。そうおっしゃったことの意味が今のところわたしにはわからない。勉強が要る。が、所作や動作に力があって、それが見る者にどう伝わるかという問題を考えるとき、「残像が見える」印象が何らかそのことに関与しているのかもしれないと思った。それと目の印象。梅若さんのは特別。
 世阿弥が「こころは目の後ろ」と言ったのは、演じ手にとっては分かりやすい、読者にとっては普通の意味の理解ではちょっと把握しづらい極意の一つなのだろう。