ママ〜ッ!

 朝、家を出てS字カーブの坂道をたらたらと下りて行くと、ときどき妙な声が聞こえてくることがある。鶏ではない。鳩でもない。雉(かよっていた秋田の高校の山にはけっこう雉がいて、あの空を切り裂くような独特の声を発しては生徒を驚かしたものだ)の鳴き声に似たところもあるが、雉でもない。
 悔しいから、不審者と思われかねないことをよそに立ち止まり、耳を澄ました。すると、一定の間隔を置いてママ〜ッ! ママ〜ッ!と、ねだるような、甘えるような、すがるような声を発する。ふむ〜。
 ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ! ママ〜ッ!
 わからん!! 不審者と思われようがそんなことはもうどうでもよくなり、声の主を確かめるべくブロック塀に近づいた。なんだ? なにものだ? ママ〜ッ! ママ〜ッ!と鳴く鳥をかつて見たことがない。どこだ?
 いた! いました。こ、こ、これは!! 日本にいる鳥ではない。舶来の鳥! アハハハハ… あまり勿体をつけては読んでくださる方に怒られそうだが、そう、オウムでした。漢字で書くと鸚鵡。駕籠が軒下にぶら下がっている。その中からママ〜ッ! ママ〜ッ! 本当は「ママ〜ッ!」と表記するだけではそのニュアンスを伝えることはできない。ねだるような、甘えるような、すがるような、なんとも切ない声音。
 疑問が氷解し、わたしはまたとぼとぼと湾曲した道を下りはじめた。と、ブロック塀が切れたあたり、門の中から男の子がウサギのように飛び出してきて、一瞬わたしと眼が合った。ははぁ、この子であったか鸚鵡に「ママ〜ッ!」を教えたのはと思った。少年は今おそらく「ママ〜ッ!」とは言わぬのだろう。「ママ」とは呼んでも「ママ〜ッ!」とは。恥ずかしい年頃なのだ。しかし、何年か前までの少年のこころを反映した「ママ〜ッ!」を少年よりも鋭く鸚鵡が写し取り、その日の記憶をこの世にとどめるべく、少年に成り代わって来る日も来る日もママ〜ッ! ママ〜ッ!と叫んでいるのに違いなかった。(ク、クサ!)