人マネ

 ガキの頃から人マネが好きで、だれかれかまわずマネしてきた。大げさに言えば、これってわたしなりの理解のし方なんだろうと思っている。
 たとえばAさんならAさんのマネをして、傍でそれを見ている人がウケたり笑ったり「似ている!」と叫んだりすると、マネしたわたしとしてはとてもうれしく、マネをした人への理解がすすんだのかなと勝手に思う。大概はマネされた人も喜んでくれ、前よりもっと仲良くなれる。
 最近凝っているのは会社の井戸川さんという女性が電話に出て自分の名を名乗るときのマネで、少々マニアックではあるが、やってみると結構たのしく、一日に何度となく繰り返している自分に気づく。
 「井戸川と申します」というごく一般的なフレーズなのだが、彼女はこれを「いい・どお・があ・わトモウシマス」(巧く表記できない)と発音する。フラットに「いどがわともうします」と発しないのだ。「い」も「ど」も「が」も「わ」も一音一音はっきりくっきり区切って発音し、その四つの音を発音するのに全精力を使い果たしたかのように最後の「わ」にくっつけて凄いスピードで「トモウシマス」が発せられる。サービスし過ぎでドアを開け放ち、こりゃしまったと急いでドアを閉める姿に比せられる。ドップラー効果にたとえることもできる。スキーのジャンパーがゆっくりとした助走からどばっと空に舞う勢いにたとえることもできるだろう。さらに最近では、わたしは首の振りを付けて歌舞伎の見栄を切るみたいにして楽しんで(?)いる。
 彼女がなぜ「いどがわともうします」と言わずに「いい・どお・があ・わトモウシマス」と言うようになったかといえば、「いどがわともうします」と普通に言ったのでは、ほとんどの場合「えどがわともうします」と聞き間違えられるからだそうだ。だが彼女にそのことを尋ねてみたところ、意識的にではなく無意識でそうしてきたものらしい。「えど」ではなく「いど」ですよと強調し、名前を相手に正確に伝えんがための苦肉の策として意識下で発案されたのだろう。また「トモウシマス」が一気に発せられるのは、そこで間違えられる可能性が少ないこともあろうが、前半の「いい・どお・があ・わ」の部分で時間をかけすぎたことを踏まえての相手への配慮がこめられているにちがいない。
 それはともかく、いい・どお・があ・わトモウシマス。ふむ。たのしい。

オリビアを聴きながら

 ひとり自分の部屋でパソコンに向かい今日の日記のタイトルを書いて赤面。だいたいうんうん唸って書けない時ってのは、なぜか昔のことを思い出すのよ。
 スティービー・ワンダーの新譜まだかなぁ〜。7月4日発売予定ってなってるけど、ほんとに出るのか。なんてつらつら考えていたら、スティービー・ワンダーの前にオリビア・ニュートン・ジョンがいたことに不意に思い当たった。
 恥ずかしながら、わたくしが初めて買ったレコードはオリビア・ニュートン・ジョンなわけで。ラジオで「ジョリーン」かなんかを聴いて感動し、それでレコードを買う気になったのだろう。だから「オリビアを聴きながら」。ずいぶん昔のことだから他人事のような気もする。
 レコード店で初めてオリビア・ニュートン・ジョンの顔を見て驚いた。かわいいではないか! 超かわいい!! あの頃はかわいかったんです、ほんと。今のように口が大きくなかったし(口が成長?)。わたしは何か犯罪でも犯すようなこころもちでオリビア・ニュートン・ジョンのレコードに手を伸ばした。自分のこづかいで買ったのに、とてもいけないことをしているような気がしたものだ。衣食住に関係のない必要ないものにおカネを使っている…
 当時わたしの家にはステレオがなく(秋田の家には今もない)、近所の叔父さんちにステレオがあった。叔父さんはそれで北島三郎を聴いていた(関係ないが、叔父さんちの居間には北島三郎の大判の写真が額入りで壁に飾ってある、今も)。さっそく叔父さんの家に行き、ステレオをつかわしてもらう許可を得、オリビア・ニュートン・ジョンのレコードに針を落とした。バリッと音がした。心臓がばくばく言った。気を落ちつけボリュームを下げ、正座してオリビア・ニュートン・ジョンを聴いた。ああ、堪らん!! どうしてこんな声を出せるのか。「そよ風の誘惑」なんて、あの声でしょ、あの顔でしょ。レコードジャケットを持つ手が震え、もうメロメロ。
 その後、高校の友達と好きな音楽の話になり、「三浦はだれが好きなの?」と訊かれ、間髪入れずオリビア・ニュートン・ジョンと即答したものの、長い片仮名の名前がスマートに言えなくて恥ずかしかった。ビートルズと答えれば良かったとすぐに反省したが、あとのまつり。オリビア・ニュートン・ジョンが秋田弁ではどうしても平仮名になり、さらに訛って、おりびわにゅうっと・ん・ぢょん、みたいになってしまうのをどうすることもできない。ヒロシです。いや、マモルです。(泣)

気流

 鎖骨を折って固定バンドで不如意な生活を送ってきて、そろそろ飽きてきたときのうは書いたけれど、この事故は意味のある事故であったと、強がりでなく思っている。てゆうか、わたしは、出会いも別れもアクシデントもトラブルも、大きい世界から見れば意味のあることで、自分にとって意味のないことなど一つもないという考えに共感し与する者だ。宗教は関係ない。そういう考えが割りと好きだし、今回のことで、ますますそう思えるようになった。
 固定バンドで暮らしたこの時間(まだ取れていないけど)いろいろなことを感じたり考えたりした。一番は自分という人間をいつもと違った視点で見られたことが大きかったと思う。飛行機が離陸したあと水平飛行に入るまでガタガタ揺れるように、激しい気流の中を飛んだ気がする。梅雨が明ける頃、固定バンドも外れる(だろう)。さてどんなパノラマが目の前に展開するか。こういう気分になれたことだってきっと意味がある。
 きのうはカメラマンの橋本照嵩さんと春風社十周年企画の夢を語り合った。