怪我の功名

 ヤンキースの秀喜マツーイが右足首の捻挫をして、休場するかと思いきや、そうはせず、それどころか、ホームランをばんばん打っている。
 秀喜マツーイは左打ちで、スウィングする瞬間に踏み出す右足が力強く前にガシッと踏み出され、大地をつかみ、鋭い腰の回転によりホームランを生み出す。ところで今回の右足首の捻挫により上記「右足が力強く前にガシッと踏み出され、大地をつかみ」の部分が弱くなった。踏ん張りが少〜しゆるんだおかげで腰の回転がさらに鋭さを増しホームランの増産につながっているという。なるほど。これを怪我の功名と呼ばずしてなんと呼ぶ。
 なんでもそうだが、新しいことというのは、昨日までのバランスを一つ欠くことによってしか生じない。たとえば歩くこと。二本足でバランスをとって立っているかぎりは一歩も踏み出せない。重心をどちらかの足に移動させ、意識的に不安定な状態を作り出し、反対の足を宙に浮かせ前に振り出すことによって輝かしい第一歩が生まれる。昨日までのバランスの温存に汲々となっていてはいけない。
 秀喜マツーイはもちろん意識して怪我をしたわけではないだろう。が、怪我を天からの授かりものとして更なる第一歩とした。さすが秀喜マツーイだ!

詩と飛行機

 小社から『鮎川信夫と「新領土」』(?)(?)の刊行を予定している中井晨さんと装丁家の山本美智代さん来社。つぎつぎと繰り出されるお話、いまこの瞬間に立ち昇ってくるような趣で、おもしろかったぁ。時間を忘れてお話をうかがい、聞き上手のお二人に促されるようにして、わたしもなんだか色々おしゃべりをしてしまいました。お二人は高校の同窓生。昨年『磁力と重力の発見』で大仏次郎賞を受賞し時の人となった山本義隆氏と美智代さんはご夫婦。
 紀要に発表された中井さんの文章を読んで以来、一読、わたしは先生のファンになり、しっかりした歴史書を読む醍醐味を味わわせてもらっている。先生のお人柄もあるのだろう、うがった見方で歴史をバッサリ切るようなものとは対極の、資料そのものに語らせる体の文章で、言うに安く行うに困難な記述のあり方だ。注が充実している。それを丹念に読むことがまたこの本のおもしろさをいっそう引き立たせてくれる。歴史と社会の重層性を感じ考えずにはいられない。
 山本さんは渡された紀要を読み「詩と飛行機」という言葉に思い至ったという。飛行機は二十世紀を象徴するもの。最近再読されたサン・テグジュペリの『星の王子さま』についての感想をお話しされた。若いときに読んだのとはまた違った印象で、物語と言葉の一つ一つが胸に染みたという。今の時代における言葉の持つ意味、詩の重要性を改めて感得されたようだ。
 仕事の打ち合わせも済み、保土ヶ谷の小料理千成へ。お二人ともお酒を嗜まれる。リラックスした雰囲気でさらに取っておきたくなるような面白い逸話が次から次、わたしもイシバシも大満足。縁の不思議に打たれた夜だった。

悲母観音

 『刺青墨譜 ―なぜ刺青と生きるか』に収録する写真撮影のため、著者の斎藤先生はじめ、モデルになってくれる方々が来社。息をのむ撮影に立ち会った。
 まず男性。本物の刺青を、見る気でこれほどじっくり見るのは初めて。人体に絵が描いてある。知識としては知っているし、著者の原稿も読んでいる。だが実際のところはといえば、スゲーとは思うものの、「人体」に描かれた「絵」以上のものであるとまでは最初なかなか思えない。ところが、時間が経過するほどに、モデルになってくれた人の肌に汗が滲んでくる。ポーズをとらされ、筋肉が動き、骨がきしみ、感情がうごき、おそらく血圧も上がっている。そのときだ。胸に彫られた蛇の赤い舌がササーッと音を立てて真横へ伸びたのは。背中の鳳凰の眼がらんらんと輝きを増す。シャッターを切る橋本は、わからん、わからん、頭が白くなる… とつぶやいてウロウロウロウロ。
 女性の背中に悲母観音が彫られている。わたしはヌードの体を見ているのか悲母観音を見ているのか。ストレッチでもするようにポーズを変えるたびに悲母観音も姿を変え、遮蔽幕で柔らかくなった光線に悲母観音が息を吹き返す。ほー、と溜め息が出る。脚を伸ばす。あぐらをかく。腹をねじる。悲母観音は、これまで見たこともない表情をつぎつぎと見せてくれる。体が正面を向く。悲母観音は後ろに隠れ、上気した女性の顔がわたしの眼に映る。眼と眼が合ったとき彼女がニコーッ。え。恐ろしいような痒いような安堵するような変な気がした。
 五時間に及ぶ撮影が終り、お寿司を取って社内で慰労の席をもうけた。だれかが質問をする。「刺青をしている人にとって刺青と自分とは一心同体とでもいうものでしょうか」。悲母観音の女性が答える。「一心同体といったのでは、まだ薄い膜で隔てられているような気がします。二つのものが一つになるというものではなく、わたしそのものです」
 ふむ。それを聞いてまた不思議な感覚に捕われた。この人にとって刺青が比喩でなく「わたしそのもの」だとすれば、目の前のジーパンにピンクのシャツ姿のこの女性はだれなのか。さっきの悲母観音の女性と同じ人なのか。悲母観音はジーパンを穿くまい。
 九時を過ぎ、悲母観音は付き添ってきてくれていた妹さんと一緒に帰っていった。悲母観音も夜は眠るだろうかと、変なことを考えた。頭がおかしくなりそう。わからないことは、わからないままにしておくのがいいのかもしれない。おやすみ悲母観音。ク〜ッ!(臭)

転回点

 先日テレビを見ていたら、中小企業を紹介する番組をやっていて、コメンテイターが花王の元社長常盤文克氏だった。取り上げられる会社はどれもユニークなものばかり。常盤氏が番組の最後に、
 ものいわぬ 物がものいう 物づくり
という自作の句を紹介。納得。
 この本をこんな人がつくっていますという意味で、良くも悪しくも人肌が感じられることをコンセプトにやってきたが、そろそろ品揃えも増えたことだし、ここらで本をつくる人間は後ろに引っ込んだほうがよさそうだ。
 新しい八百屋が家の近くの交差店にできていた。きのうがオープンだったらしく、夜の八時を回っているのに、若い男女(夫婦であろう)が並んで立ち、品揃えやレイアウトをチェックしている様子。二人の真剣な眼差しが印象的だった。

広告の効果

 『NHK大河ドラマ・ストーリー義経 後編』の巻末に1頁フルカラーで広告を打ったところ、一旦止まりかけていた『大河ドラマ「義経」が出来るまで』の売れ行きがまた盛り返し、電話鳴りっぱなしというほどではないけれど、毎日かなりの数の注文が入るようになった。広告の効果大!
 前にここに書いたことがあるが、小社創業間もない頃、清水の舞台から飛び降りるぐらいのつもりで全国紙(先立つものがなく1紙だけに2回)に広告を打ったものの、反応はといえば、プスリとも音がしない感じであった。プス。以来、基本的に広告は出さないことを社是としてきた。(とは言っても全く出さなかったわけではない。適宜ということで…)専務イシバシから今回の広告の提案があったとき、しばし迷ったものの、本を積極的に売らんがための真摯なこころに聞くべきとの判断から、ゴーサインを出した。蓋を開けてみれば上記のとおり。
 鳴り物入りではじまった大河ドラマ「義経」だが、賛否両論かまびすしい。それも多くの人が注目していることの証しではあろう。今度の日曜日はいよいよ一の谷。最初と違ってこの頃はだんだんと今回の「義経」物語のうねりが出てきているように思える。一年の半ばを過ぎ、役者を含めスタッフ一同のドラマにかける意気込みが意匠を超えて画面にあふれてきたのではないか。「義経」を通して今の時代にうったえたいことや願いがようやく見えてきた、というか、テレビを見ているこちらに伝わってくる。
 営業の新人がドラマと関連する地域の書店に電話をし、営業トークを工夫しながら注文を取る姿に感動。「ありがとうございます」は値千金。注文用紙に必要事項をうれしそうに記入する上気した顔を見るのはうれしい。よしがんばろう! という気にこっちもなる。

小泉さんの発言

 なんの問題のどういう文脈だったか忘れてしまったが、記者の「それはポーズだったということでしょうか」の質問に対し、記憶違いでなければ「前もってそのことを言うわけにはいかないでしょう」とかなんとか小泉さんは答えた。小泉首相だ。そういうことを記者の前で公然と言うか普通? 前言を翻すことをこの人(に限らないけれども)はなんとも思っていないどころか、話し言葉というものが儚いものだということを憎らしいぐらいに知悉しているように見える。
 ウィリアム・サロイヤンの「哀れ、燃える熱情秘めしアラビア人」という短篇小説のなかで少年の「私」が言葉について母に尋ねる場面がある。(ホースローヴおじさんと、おじさんが連れてきたアラビア人がなんにも話をしなかったことについて)「なんにもものを言わないで、どうして話をすることができるの」。母は答える「言葉に出さないで話をするんだよ。わたしたちはいつも言葉に出さないで話をしているんだよ」。「では、言葉はなんの役にたつの」と「私」。「たいていの場合には、たいして役にたたないんだよ。たいていの場合は、ほんとに言いたいことや、知られたくないことをかくすのに役にたつだけなんだよ」
 ここに庶民の知恵と歴史と孤独が秘められている。言葉の欺瞞をあばいている。政治家が言葉の儚さを悪用してものを言うようなら民主主義も何もあったものではない。学校なんかやめちまえってことになる。即解散!!

涙三連発

 昼、テレビを付けたら愛知県にあるユニークな自然分娩の産科医・吉村正さんが出ていた。本の企画で以前お目にかかったことがある。現代医療を廃するわけではないが、必要のないかぎり極力使わないようにし、妊婦さんたちには粗食と運動をすすめる。産院裏には妊婦さんたちの共同生活のための民家まである。番組では第二子を吉村医院で産むことにした女性を取り上げていた。お産をする六畳の和室には旦那さんと三歳ぐらいだろうか娘さんが立ち会った。産声が上がるや家族そろって感動の涙に暮れたものだが、これまで二万数千件のお産に立ち会ったという吉村先生も泣いていた。何万件立ち会っても感動するのだという。自然のお産には感動があると。
 もらい泣きの涙が乾いた頃、今度は長嶋さんテレビに登場でまた涙。488日ぶりだそうだ。元気になってよかったよかった。脳梗塞(こうそく)で倒れ、つらいリハビリを一日五時間も続けたのはさすが「ミスター」というほかないが、それもファンあったればこそだろう。清原、高橋らジャイアンツの選手が守備につくとき、帽子を取って長嶋さんのいるほうへ向かい挨拶をする姿もよかった。一茂さんがずっとそばに付き添っていた。
 夜は「義経」。演出が女性名で目をみはる。静とうつぼのけなげさにまたまた涙。昼、池波正太郎が描くところの女性像に深くうなずいたはずのに、それとはまた違う女性を見せられ、こっちが本当だろうじゃないかと思わされ、グイと涙を拭った。