定義づけ

 街へ出かけてふらりと本屋へ寄り、適当にどのコーナーでも回って、へ〜、こんな本が出ていたのかと目の前の本に手を伸ばすとき、タイトルと装丁、帯の惹句が決め手になることが多い。
 新しい本を手にするとき、タイトルは、いわば世界を新しく定義し直すことの名称であると予感させ、数頁めくり、その予感がさらに高まるようなら買う。
 そうやって読んだ本により定義しなおされた言葉は、やがて自分のなかに仕舞い込まれ、次にその言葉を口にし目にするとき、以前とは違った新しいニュアンスと意味が加わっていることになる。
 「知覚」という言葉を聞くだけで、細胞のひとつひとつが生き生きと活性化してくるような気がするのは『知覚の現象学』を読んだからだし、「故郷」という言葉にまつわるある種のなつかしさと怖さは、記憶違いでなければ、旧家の庭にある開けてはいけないとされていた祠をつい開けてしまい、中から出てきた白い煙に引き寄せられ、見とれ、その時ひばりがピーと上空で鳴かなければ気がちがっていただろうという『故郷七十年』なしには考えられない。新しいところでは、「グロテスク」の定義は、わたしの中で、桐野夏生『グロテスク』によって書き換えられた。
 ひとつの言葉の公約数的定義は辞書をひけばわかるが、ひとりひとり異なる定義づけは、読書を含む体験によってなされ、そういうニュアンスの違いを聞き分けることは楽しく、生きてあることの喜びさえわいてくる。