物忘れ考

 われらが武家屋敷ノブコがみずからの物忘れの激しさに驚き、呆れ、そのことをコラムに書いているが、わたしに言わせれば、その程度の物忘れは物忘れとは呼ばぬ。たとえば傘なら、自慢ではないが、わたしがこれまでに忘れた数は二桁では済まぬはず。お盆と正月秋田へ帰れば、母からは今も、席を立ったらもう一度振り返り忘れ物がないか確かめてからその場を離れなさいと教えさとされる。変なところで三つ子の魂を堅持しているというわけなのだ。
 一番かなしかったのは、高校生の時に付き合っていた同級生が一年アメリカに留学し帰ってくるとなったとき。わたしのほうは彼女が不在の時間で勝手に気持ちが大もりあがり、対して彼女のほうはといえば、新天地で日本を脱ぐように日々の新しい体験に打ち震えていたのであろう。その落差は、手紙の返事のスピードと内容のそっけなさに歴然と現れていた。
 いよいよ帰ってくるとなった日に合わせ、わたしは服を新調した。ズボンの丈も合わせ、よしこれでバッチリだ、準備万端。彼女の家に電話したら母親が出て、まだ帰ってきていないという。日本には着いたはずだが、秋田にはまだだと。そうですか…と公衆電話の受話器を置いたものの、我ながら相当落胆していたのだろう。新調した服の入った紙袋をすっかり忘れてしまった。駅のホームに入ってから気付くという間抜けさ。息せき切って戻ったが、けむりがでるぐらいにそこには何もなかった。
 それからしばらくして、秋田の千秋(せんしゅう)公園で彼女に会った。服はもちろんありあわせのものを着ていくしかなかった。予兆どおり、彼女に会ったのはそれが最後だった。