さくらららら…

 さくらの「さく」が「裂く」と語源的に同根であり、固いつぼみが「さか」れ、なかから歓喜の「らららら…」があふれだす、それが「さくら」なのだ、古代人の言語感覚の的確さにおどろく、という話を演出家の竹内敏晴から聞いたか本で読んだかして以来、この季節になり、パッと咲いた桜の木を目にするたび、立ち止まり見上げては、さくらららら… と、ひとりで口に出しては楽しんでいる。
 「さく」という清音の緊張感、透明感、清潔感、モノクロの世界に対し、パッと、今風になら♪♪♪♪…とでも表記したくなる総天然色の「ららら」がおどりでる。ららららららら……。
 「ら」は言いつづけると「ろ」に近くなったり「る」にちかくなったりしがちな音だ。つねにあたらしい「ら」が次からつぎへ生まれてこなければ、ほんとうの「らららら…」にはならない、とも竹内さんは言う。やってみるとたしかにそうだ。ららららららららろろろろろ…、となったり、ららららららららるるるるる… となる。油断しているわけではないのに、ふつうにしているだけなのに、閉じてしまう。油断も隙もない。新しく生まれることのイメージをこの季節、桜を見、「さくら」と声に出して発することで確認し体に刻みたい。