「かも」と「もん」

 若者ことばに侵食されている風の昨今の日本語だが、気になるふたつの言い方に「かも」と「もん」がある。
 「かも」は今や市民権を得て年齢にかかわらず多くの方がつかっているようだ。「かもしれない」の「かも」なのだろう。が、微妙に元の「かもしれない」とはニュアンスが異なり、あどけなさ、舌っ足らずさ、可愛らしさが醸し出され、つかいたくなる気持ちもわからないではない。
 だが「もん」となると、これは相当にやばいかもしれない。「かも」よりもっとあどけなく、ふたつみっつの子供がつかっている分には問題ないが、大の大人がつかうとなるとかなり危険だ。
 前にもここで紹介したことのあるモモさんという風俗嬢のサイトを見ていたら、接した客のなかにこのことばをつかう男がいたそうだ。その男、大事なある場面になって「○○○したいもん」と言ったらしい。「○○○したいもん」。
 ディズニーランドに行きたいもん、チョコレートパフェが食べたいもん、こんなのいらないもん、などと、子供が主に母親に甘え、ねだるときのことばを大人がつかっていいのは、かなり当事者同士が危険かつ親密であることを前提とする。男、なにを勘違いしたのか、モモさんに向かい一度ならず二度までも「○○○したいもん」。モモさん、そこは商売上うまくあしらったそうだが、こころのなかでは、テメーが言っても可愛くねえ! キモいだけなんだよおおおお!!! と叫んだそうだ。
 おおやけの場においてわたしは「かも」も「もん」もつかったことはない(と思う)。が、プライベートとなると、とたんに自信がなくなる。たぶんないとは思うが自意識が薄れ幼児化し、甘えて「かも」だとか「もん」だとかを発しなかったとは言いきれない。酒が入っているときがヤバイかも!