テンパス・フュージット

 恩師のT氏が拙宅に一泊し、翌朝、飯島耕一さんの最新詩集『アメリカ』に話が及んだので、バド・パウエルの『ジャズ・ジャイアント』から「テンパス・フュージット」をかけた。
 ものすごいスピードで演奏されるこの曲の演奏時間はわずか2分26秒。CDをかけて間もなく電話が鳴った。T氏を部屋に残し隣りの部屋に行った。秋田の父からだった。しばらく話をし、受話器を置いてT氏のいる部屋に戻った。
 と、T氏の表情が変わっているのがはっきりとわかった。きけば、演奏を聴いているうちに目頭が熱くなったのだという。子供が遊んでいるような、そのまた奥にあるものがふわ〜っとでてくるような… うまく言えない…。その後、テンポが少しゆっくりとなり低い音になってまた感じが変わったが…。
 出社後、ジャズ好きの若頭ナイトウにその話を伝えた。若頭いわく、あのCDをいままで300回は聴いているけれど、そんなことはなかった、と、いたくショックを受けている。300回も聴くからだよ、と慰めたが、興奮冷めやらぬ様子で、だいたいアレを聴いて涙がにじむという話をはじめて聞いた、と、わたしの慰めは一向に功を奏さず、さかんに、ふむ、ふむと唸っている。からだが主体ということを考えさせられるできごとだった。あとからT氏がエド、エド…、とおっしゃるから、エドでなくバド、バド・パウエルです、と申し上げたが、なんの予備知識もなく感動しているT氏のやわらかさに今更ながらに驚かされた。T氏は80歳の誕生日を迎えたばかり。