よく見る

 演出家の竹内敏晴さんと電話で話す。大阪の、あるグループでやった座談会の録音テープの感想を求められ、そのことについて話したのだが、話しながら、竹内さんのことばについての認識のひとつに「ことばというのは相手の側で成り立たなければ意味がない」があることを不意に思い出した。
 いくら一生懸命しゃべっても、自分が自分がと、相手を盾にして目が自分に向いているかぎり、ことばが相手に触れたり相手を突き動かすことはない。その意味で、ことばはやはりアクションなのだろう。問題は、相手をよく見、そこでなにが動いているかを知ることだ。その動きを感じわけ、同調したり、反発したりしながら、流れを加速させ、またゆるめ、別の方向へもっていったりと、ジャズの即興演奏に近いコミュニケーションが生まれてくる。よく見るためには、アメーバのように瞬時にかたちを変えるからだの柔らかさ、自在さが必要。そんな言い方でいいかどうか。
 わたしにはまだよく分からないけれど、ことばがそういうふうに成り立つとすれば素敵なことだとは思う。できるなら、そうなりたい…。話すことで自分が楽しい、気持ちいい、ふつふつとよろこびが湧いてくることももちろん大事、でも、向き合うひとにおいてことばが成り立つことは、それと次元を異にしているように思うのだ。対岸の火をこちらで見ているのと、しゃにむに川に入り泳ぎ出すことの違いといったらいいだろうか。ことばを話し、それが相手に届き、そこで成り立つとき、自分を見ている余裕など無いに違いない。
 向き合う相手とそういう関係になることは、とても魅力的だけれど、そんなふうにはなりたくない気持ちもある。ことばに隠れる安穏を願うこころがある。

3冊同時

 『神の箱』『カレワラ物語』『さなぎの時代の教育学』が同時にできあがる。ジャンルも厚さも内容も異なるが、社員一同手に取り、あ、これいいね、これいいね、と大盛り上がり。手前味噌な話です。
 原稿をいただいてから半年、一年の仕込み期間があってようやく日の目をみるわけだが、途中のことを思い出すにつけ感慨もひとしお。焼き物をしたことはないけれど、釜から出すときというのはこんな気持ちに近いだろうか。
 うれしいことと気の萎えることが同時に起こりボロボロな一日だった。寝て起きてもまだ晴れない。

第二の心臓

 知人からサポートハイソックスをいただいたので、さっそく試してみる。ゴムがきつく、足先から少しずつ足首のデコボコに沿わせながらゆるゆると引き上げていくと、膝の上までくる。そこで折り返しふくらはぎのところで二枚重ねにする。むかし陸上部だった頃、筋肉を保護し補強するためサポーターをしたものだったが、往時の感覚がにわかによみがえり、気持ちまでキュッと引き締まった感じだ。
 穿くのに他の靴下なら両足5秒とかからぬところ、かなりの時間と慎重さを要したが、靴を履き実際に数歩あるいただけで違いは歴然! 夢の中で走るとき妙に自分の脚が軽く感じられることがあるが、あれに近い。サポーターと同様、血行をよくしリンパをほどよく刺激してくれるのだろう。
 足は第二の心臓とか呼ぶそうで、健康にあまり気をつかわないわたしもヘルスボードという足裏マッサージ器ぐらいはたまに使っている。硬いゴムのボードに足の輪郭が書いてあり、ここは心臓、ここは肝臓などと、効くところを図示し、凸凸凸凸凸…と、小粒なもぐらたたきのような突起がついた例のものだ。
 それはともかく、サポートハイソックス。前日の寝不足で、昼食後いつものように眠くなるのかと思いきや、意外にもシャキッと夜まで仕事ができた。説明書に「脚のむくみや疲れを和らげ、キュッと引き締めます。デスクワークで脚のむくみが気になる方、立ち仕事の方、旅行などで歩く事が多い時などに最適です」とあるから、効能書きどおりの効果があったのだろう。熟睡できたし、目覚めもいい!
 いいとなったら、もはや手放せない。ちなみにこの性格、亡くなった祖父がやはりそうだった。毛布も枕もチャンチャンコも、破れるまで、破れたらツギを当ててまで、そこまでしなくてもと思うほど律儀に使っていた。また、気に入った酒となると、身内のものにも飲ませたがらなかった。血は争えない。

自分

 自分で自分を見たものは、いまだかつていない。思想家だって哲学者だって。鏡に映った自分や写真に写った自分を見ることはできても、他人を見るように自分を見ることはできない。視神経を傷つけぬように眼球を顔から引っ張り出し、くるりと回転させるとか、そういうSFじみたことでも考えないかぎり無理だ。ちょうど、眠りにつく瞬間を確かめたいと思った男が、ここから眠ると思っているかぎりはまだ眠っていないのと同じく、また、死後のことをだれも知らないのと同様に。
 鏡や写真にうつる「自分」を見ることはできても、自分で自分を見ることができないのは、もどかしいようだけれど、うれしくもある。なぜなら、自分に対しては目をつむっているようなものだから。
 そうなると、目によってでなく自分を見る別の目を意識せざるを得ない。「こころの目」という言い方がある。見ることのできない自分を内側から見る目、とでもいえようか。もうひとつは他人の目。比喩としての「こころの目」が内側なら、他人の目はいわば外側だ。双方ぶつかったところで、自分に亀裂がはしり、壊され、時に和解し、おののきつつも輝く祝祭になることもあろう。そうなると、着ている皮袋は問題でなくなる。変わり得る瞬間がおとずれ、岐路に立たされる。

横は浜

 小社情報誌「春風倶楽部」第11号の特集は「横浜」。土地の名は、地誌とは別に、人それぞれ特別の意味があるのだろう。それをお聞きしたい。昨日、原稿依頼文の発送を終えた。
 会社を起こすとき、横浜にしようかどうしようか少しは考えたが、いきなり事務所を借りるよりも、まだこの先どうなるのか分からないのだから、とりあえず、わたしの自宅でいいではないかということで仲間を説得、あまり深くも考えず、今日に至っている。が、5周年が過ぎ、6年目に入り、そうとばかりも言っていられなくなった。
 わたしが住んでいる山のふもとには、かつて遊郭があったそうで、なにやら因縁話もあるというから怖くなり、山の上もそうなのかと人に訊いたら、因縁話もなにも、あそこはつい先だってまでけもの道で、ひとが住んでいないのだから、そんなのあるわけございません、とのことで拍子抜けした。
 会社のある桜木町紅葉ヶ丘には奉行所跡がある。かつてはここから浜を訪れる船の帆が見えただろうか。絹に関係した歴史がこの街の構図をつくったのだろう。きょう行く船木歯科のすぐ近くにはシルクセンターがある。まだ入ったことはない。眼がだんだん足下を向くようになった。われながら喜ばしいことだと思う。小中学校時代、暗記するだけの地理が大の苦手、嫌いでもあったから。

竹内さん踊る

 演出家の竹内敏晴さん、来宅。前回いらっしゃった時、バド・パウエルの「テンパス・フュージット」を聴いて涙を浮かべ、わたしもナイトウも、どぎもを抜かれたことはすでにここに書いた。
 まずからだが生きている竹内さんに、ぜひ聴いてほしい人がいた。それは、ヌスラット・ファテ・アリ・カーン。惜しくも1997年に亡くなっているが、パキスタンにおけるカッワーリーの国民的歌手として世界に名を馳せた。今でもファンは多い。
 『究極のパリ・コンサート(1)』の4曲目「マンカバト」をかける。曲が終わるや、竹内さん、おもしろいね、おもしろいね、念仏踊りもかつてはこうだったんじゃないのかね、底抜けに明るいじゃないか、こうだもんな、と仰り、両腕を振りまわし躍りはじめた。映像でなく音だけ聴いているのに、竹内さんの躍りはカッワーリーを歌うものたちのそれ、特にヌスラットの上半身の動きそのものだった。からだの精密な感じ分けに、いつも驚かされる。
 シーフードカレーをお代わりしてくださったのはうれしかった。

定義づけ

 街へ出かけてふらりと本屋へ寄り、適当にどのコーナーでも回って、へ〜、こんな本が出ていたのかと目の前の本に手を伸ばすとき、タイトルと装丁、帯の惹句が決め手になることが多い。
 新しい本を手にするとき、タイトルは、いわば世界を新しく定義し直すことの名称であると予感させ、数頁めくり、その予感がさらに高まるようなら買う。
 そうやって読んだ本により定義しなおされた言葉は、やがて自分のなかに仕舞い込まれ、次にその言葉を口にし目にするとき、以前とは違った新しいニュアンスと意味が加わっていることになる。
 「知覚」という言葉を聞くだけで、細胞のひとつひとつが生き生きと活性化してくるような気がするのは『知覚の現象学』を読んだからだし、「故郷」という言葉にまつわるある種のなつかしさと怖さは、記憶違いでなければ、旧家の庭にある開けてはいけないとされていた祠をつい開けてしまい、中から出てきた白い煙に引き寄せられ、見とれ、その時ひばりがピーと上空で鳴かなければ気がちがっていただろうという『故郷七十年』なしには考えられない。新しいところでは、「グロテスク」の定義は、わたしの中で、桐野夏生『グロテスク』によって書き換えられた。
 ひとつの言葉の公約数的定義は辞書をひけばわかるが、ひとりひとり異なる定義づけは、読書を含む体験によってなされ、そういうニュアンスの違いを聞き分けることは楽しく、生きてあることの喜びさえわいてくる。