Archives : 3月, 2005

死語

 ナウい! と、堂々と言うひとがいた。駄目押しのようにふたたび、ナウい! 死語であることをご存知ないようなのだ。ナウい! 齢六十過ぎだろうか。そのひとに比べたら、わたしは少し若いから、ナウい! とは言わない。が、同様のことはいくつもある。なんだっけなあ。すぐには思い出せないが、若い社員に指摘されたことがあった。え、使わないの? って本当に思ったから何人かに確認した。やっぱり使わないとのことだった。
 ためしにGoogleで「死語」をキーワードにして検索すると出てくるわ出てくるわ。「うっそピョーン!」なんていい気になって使ってきたが、ちゃんと死語リストに入っていた。「ってか」もよく使う。「な〜んちゃって」はほとんど使わないが、気がゆるんでいるとき使っているかもしれない。名詞は意識して使わないようにしているものの、語尾を今風(これもか?)にしようとして、死語であることを知らずに、つい使ってしまうことが多いようだ。
 この日記も、若いひとが見たら、恥ずかしくて読めないようなことばがガンガン(これも?)出てくるんだろうなあ。流行語(かつての)と知らずに使っている流行語、これが怖い!

特許

 太宗庵で鍋焼きうどんを食していたときのこと。女将さんが座敷に置いてあるテイッシュペーパーの箱を新しいのに替え、封を切り、最初のテイッシュを引き出した。そうしたら、二枚重ねのテイッシュが六枚ほどゾロゾロッと出てきた。女将さんはそれを捨て、見栄えのよい状態にして所定の場所に置いた。
 いつも思うのだ。テイッシュペーパーの箱を開け、最初のを引き出すとき、ゴソッと出ない方法はないものか。その方法をあみ出したら特許を取れるのではないだろうか。ゴソッと出てきたテイッシュがもったいなくて、鼻水も出ていないのに無理して鼻をかんでみたり。
 身に覚えがあったから、女将さんにそのことを話した。女将さんいわく、最初のを引き出す前に箱を前後左右に振るといいですよ。いま、そうするのを忘れてしまったわ…。へ〜! そうなんだ。知らなかった。今度からそうします。
 積年の疑い(?)が晴れ、ひとつ賢くなった気がしたが、箱を振るだけでは特許にはならぬな。

対峙

 来月刊行予定『神の箱 ダビデとその時代』の著者で、名古屋大学教授のI先生から声をかけていただき、この日曜日、春の清清しい江ノ島の海を堪能した。かつて禅僧が修行したとされる洞窟にも入った。
 岩場に突き出た茶屋で海の幸に舌鼓を打ちながら飲むビールや酒は格別。先生のほうがお客様なのに、前回もそうだが、わたしもイシバシもすっかりご馳走になり、帰りはお土産まで買ってくださり、恐縮至極。ありがとうございました。
 『神の箱』は、欧米における最新のサムエル記研究に基づき、一般の人でも興味をもってその時代に入っていけるようI先生が心血を注いだ小説だ。わたしは、小説だということでガンガン手を入れた。最前衛の研究を拠り所としていても、日本語の小説、日本語の文章ということであれば、わたしの仕事が成り立つ。また、そこでしかわたしの仕事は成り立たない。
 先生は、わたしが入れた朱を見ながら、なるほどと納得したり、ミウラ、そこはそうではないだろうよ、と、真剣勝負だったとおっしゃった。ありがたかった。わたしも原稿を前に真剣勝負だったから。こういう真剣勝負ならまたしてみたいとも先生。何度でも仕事を通じてことばを磨き自分自身を吟味したいと今度も思った。

ちがいはなに?

 病気やケガをしたとき保険会社から給付金が下りるかどうかは当人にとって切実な問題。
 あるとき知人Aのところに電話がかかってきた。Aは、20代の女性で大手保険会社に勤めており、電話の主はAが担当したお客さん。
 「あのう、ケガをしまして、手術のための給付金が下りるかどうかと思って電話したんですが…」
 「どこをケガされましたか」
 「それがそのう、変なところで急所のタマのほうなんですが…」
 「はい??」
 「インノウ、っていうんですか。裂けて中の白いものが見え、数針縫わなければならなくて…」
 若い女性への質問に窮していると感じたAは、しかし、当人にしてみれば切実だろうからというので冷静でありながら急所を射るように答えた。すなわち、キッパリと「陰茎裂傷縫合術に対しては給付金が下りますが、陰嚢裂傷縫合術に対しては下りないことになっています。失礼ですが、裂けたのはタマのほうでしょうか茎のほうでしょうか。そうですか。申し訳ありませんが、今回の場合、支給はできないことになります」
 話の内容からいって社内緊張した空気が流れたらしい。とは言い条、うら若き女性がタマだの茎だのの単語を耳だの指だのと同じレベル、同じテンションでさらりと言ってのける可笑しさを、他の社員は聞くともなく聞いて必死に笑いをこらえていたとか。Aにしてみれば、訊きづらい質問を勇気を出して口にしている客へのこれまた必死の冷静さ、演出だったのだろう。人知れず苦労があるものだ。

文字のない絵本

 学生の時に好きで読んだ(見た?)文字のない絵本‘The Changing City’がどうしても見たくなり、アマゾンで検索したら、あった! のはよかったが、値段が10倍に撥ね上がっていて買うのをしばらくためらっていた。
 ミュラーというひとの作で、観音びらきの大判の絵が8枚(だから絵本というのは正確ではない)。同じ場所を数年刻みに描いている。右手に剣、左手に天秤(だったと思う)を持っている目隠しされた女神と眼の見えない老人がどの絵にもでてくる。街の変化にともない女神と老人がどうなっていくのか、文字はないけれど短篇小説の趣があって好きな絵だった。どうしても欲しくなり、やっぱり注文することに。姉妹篇に‘The Changing Countryside’がある。モチーフは同じでも、こちらは白い猫が主人公。冬、雪景色のなかの猫を探すのは一苦労。ふたつとも最後が悲しい。『幻の鳥 ガーニーズ・ピッタ』の構成を考える時、その時は気づかなかったが、あとから思えば、あの二つの絵本が下敷きになっていた。

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。