超絶マジック・サム!

 ガリガリ掻き鳴らすギターにセクシーな声、若い頃の尾藤イサオによく似た風貌。というか、年代からいって、尾藤イサオがマジック・サムに似ているというべきか。
 シカゴのアレックス・クラブでのもの(1963-64)とアン・アーバー・ブルース・フェスティバル(1969)のライブを収めた贅沢CD2枚組。その名も「Magic Sam Live
 旧友上田聡は、今年はアメリカのツアーに参加するそうだから、ブルースの本場でぜひ大和魂の雄叫びを上げて欲しいものだ。

街の小さな美術館

 横須賀時代の教え子の個展会場へ。東急東横線白楽駅西口下車1分と案内葉書にあったが、1分もかからぬほど。
 上り坂の途中、階段を数段下りたところに瀟洒な建物がある。墨をモチーフにした絵が静かに飾られ、ゆっくり二回見てまわる。「コーヒー豆」と「雪の日に」と題された絵は、バランスが幸福への回路とも感じられ、何か教えられる気になった。「雪の日に」に描かれた顔の表情は教え子によく似ていた。
 見終わった後、「先生、お茶飲んでって」と声をかけられる。見に来た客にそうしているのだろう。友人が作ってくれたという和菓子が口の中でとろけた。
 オクザキノリコ展は今日まで。お近くの方はぜひどうぞ。
 帰り、横浜駅で下り、タワレコへ。サニー・ランドレスのライブ盤(!)「Grant Street」が出ていたので買う。家に帰ってさっそく聴いた。上田聡ばりのスライドギターが唸る。とくに2曲目「Broken Hearted Road」4曲目「Port of Calling」11曲目「Congo Square」に痺れる。泣きのギター炸裂!

勝烈庵

 三人でてくてく歩いて馬車道の勝烈庵へ。老舗の落ちついた雰囲気がいつも気持ちいい。イシバシはひとくちカツ定食、武家屋敷は牡蠣フライ定食、わたしは海老フライ定食。海の老か。ひげがね。
 お店で働く女性たちの気持ちよいこと。マニュアルに頼らないきびきびした清清しさと自然な応対が心を和ましてくれる。
 「すみません。キャベツをください」と、武家屋敷。「わたしも…」とイシバシ。キャベツとご飯はお替りができる。わたしの皿のキャベツは三分の一ほど残っていて、どうしようか迷って声を発しなかった。イシバシと武家屋敷の皿にキャベツをのせたあと、給仕の女性が「キャベツ、いかがですか」とわたしに訊いた。「はい。少しください」「上から失礼します」。皿にまだ残っていたからそう言ったのだろう。気が晴れた。
 創業者が板画家の棟方志功さんと友人だったそうで、店内には棟方さんの板画がさりげなく飾られている。一階から二階へ上がる階段の踊り場に棟方さんのエピソードを綴った額が置かれている。「わだばゴッホになる。」の棟方さんが店を訪れると、あの津軽弁そのままに話をされたとか。
 帰りは来た時と別の道を通って紅葉坂へ。途中、大岡川。親分、チャカをぶっ放され飛びこんだのはここか?

緑の館

 多聞君、専務イシバシと一緒に『大河ドラマ「義経」が出来るまで』を持ってpatraさん宅へ。patraさんは、今回の本づくりのそもそものきっかけを作ってくださった方。黛さんに知り合えたのもpatraさんのおかげ。横浜駅で一旦降り、おみやげに紅いチューリップを買う。
 馬蹄形のカウンターが設えられた素敵な部屋で、美味しいワインと普段余り口にしない手料理に舌鼓を打ちながら、綺羅星のような言葉に耳を澄ます。ときどき思わず大笑いし楽しい時間を過ごした。静かにジャズが流れ。ディレクターの黛さんが本を慈しむように手に取っていたのが目に焼き付く。ドラマ収録のため先に帰られた。
 patraさんの話を聞いているうちに、なぜか、師匠の故・安原顯さんに校正校閲の直接指導を受けた時のことを、ふと思い出した。お二人の話に私心が感じられないからだろう。安原さんからは文章について、patraさんからは仕事について、具体的にこれをこうして(それももちろんあるけれど)というより、絶対忘れてはならない心構えのようなものを教わった気がする。こういう言葉をいただくことは極めて稀、意味がいますぐ解らなくても、自分の財産にして仕事に生かしたい。このところ、仕事疲れでぐでんぐでんだったが、なんだかシャキーン! で、熟睡できた。
 朝起きてパソコンを立ち上げpatraさんのHPを見て驚いた。すでに昨日のこと、本の内容、案内が出ているではないか。われわれが帰ったあとで片付けをし、本を読んでくださり、わたしがこれを書くよりも前にアップしてくださったとは。有難し!

黒澤明

 先日、カメラマンの橋本照嵩さんが来社した折、聞いた話。
 雑誌の仕事で黒澤明監督の映画(何の映画か訊くのを忘れた)のロケシーンを撮る機会があったとか。カメラを用意していたら、いつの間に来たのか、黒澤監督が橋本さんのすぐ傍にいて、じろじろ橋本さんを見た。「胴の長い男を捜していたのだろう」とは橋本さんの意見。
 びゅーびゅー風が吹くなかでのロケだったそうで、橋本さん曰く、「とてもシャッターを切れなかった」「カメラの仕事でシャッター切れないんじゃ意味ないじゃん」「そうなんだ…」とても立っていられなくてシャッターが切れなかった、ということではないだろう。
 黒澤映画で人を斬る時の音は、濡れたタオル(手拭?)を叩きつける音だそうだ。音だったら音、風だったら風、胴の長さだったら胴の長さ、即物的な要素を疎かにしていては、いいものはつくれない。

祝受賞!

 飯島耕一さんの『アメリカ』(思潮社)が詩歌俳句部門で第56回読売文学賞を受賞した。他に小説では松浦寿輝『半島』(文芸春秋)。評論・伝記では前田速夫『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(晶文社)。飯島さんと同じく詩歌俳句部門で、もう一人、岡井隆『馴鹿(トナカイ)時代今か来向(きむ)かふ』(砂子屋書房)。
 飯島さんに初めてお目にかかったのは、師匠の故・安原顯さんが始めた創作学校でだった。バルザックについて面白い話をしてくれ、最後に、私家版のバルザック論集が少し残っているから、欲しい人は連絡をくださいとおっしゃったので、授業が終わってからすぐに手紙を書いた。程なく白い上品な本が家に届いた。有難かった。
 出版社を始めてPR誌を出すことになり、まず、どうしてもヤスケンさんに書いてもらいたくて、電話で頼んだら、拍子抜けするほど明るい声で「いいよいいよ、いつまで」と引き受けてくださり、その原稿が「春風倶楽部」第1号を飾った。うれしかった。また、ヤスケンの本を2冊も出せた! その後、ヤスケンつながりで、飯島さんに「春風倶楽部」の原稿をお願いしたところ、快く引き受けてくださり、これまで数度原稿をお寄せいただいている。
 その飯島さんの読売文学賞受賞だ。うれしくないはずがない。社内ド真ん中に据えられた木の大テーブルに紙面をバサリと広げ、皆ですげー! すげー!と大はしゃぎ。飯島さんにすぐにFAX。ヤスケンさんもきっと喜んでいる。
 四月にはウチから飯島さんの本が出る! 傑作短篇小説集『ヨコハマ ヨコスカ 幕末 パリ』がそれ。

やばつぃ

 暴れ馬のごとき三船敏郎を見たくなり、アマゾンで「七人の侍」を注文。DVD。雨のなか泥を蹴散らし走ってくる馬の猥雑さに触れたくなった。
 あの映画を見ていると、首のあたりがゾクゾクッとする。着ている服が雨に濡れ、首筋から背中にかけてツーと水が走る。「やばつぃ」秋田弁でいうところのそういう感覚を表す言葉が標準語にあるかどうか知らない。自分の外に汚いものがある、というのではない、ぐじゃぐじゃと濡れて汚い臭いものに直接触れる気持ち悪さ「やばつぃ」を味わいたくなった。