へなちょこ

 熱も引き、風邪は概ね治ったようだ。が、立ち上がると、どうも心もとない。足元が少しふらつく。人間以外の動物は生まれるとすぐに立ち上がるが、気分としてはあんな感じで。それに、体と心の統一感というものがまるでない。エネルギーがみなぎってこない。へなちょこだ。風邪をひく前と後では皮が一枚剥がれたような気がする。皮膚が妙に生々しく、不精髭が藪のように生えてきた。髭。髭。髭。髭が生え、か。冗談言ってる場合じゃねえし…。やることは山ほどあれど、今日は慣らし運転のつもりで過ごそう。

増殖中

 風邪には休息が一番ということで、起きては休み起きては休みしていると、昨日のような変な夢は見るし、喉は乾くし、頭はボーとするしで、いつもと違う休日を過ごしているわけだが、ひとつ気になることが発生した。それは、ホコリ。寝ているあいだに増えている。絶対に!
 そんな馬鹿なと思われるだろうが、わたしもそうは思うのだが、たしかに気のせいだとは思うが、そうに違いないのだが、でも、普段に比べて布団を敷いている時間が長く、寝返りを打つ回数も多いはずだから、あながち気のせいとばかりも言えない気がして、とにかく絶対ホコリが増えている。
 そうすると、このホコリ、布団から発生したのかもしれないのに、じっと見ているうちに、わたしの体の中から発生したのではないかと思えてくるのだ。体の中の過剰がホコリとなって吐き出されたのではないかしらん…。
 それと、目が覚めて気になるのは、マットレスと敷布団が微妙にズレていること。そうすると、風邪で体を余り動かしたくないのに、どうも気になってピチリと合わせたくなる。ところが、この単純作業、結構手間がかかるのだ。ウワッ! 寒ッ寒ッ! と言いながら、それでもマットレスと敷布団だけ手早く合わせるというわけにもゆかず、まず、上の毛布や掛布団を外し、それからでないとなかなかピチリと合わせにくい。ま、そういうことを考えると、休んでいるのに結構忙しいし、それぐらい体が動くのだから、元気になっているのだろう。

ソフトクリーム

 風邪をひき熱にうなされ眠ったせいか、変な夢ばかり見た。
 あれは故郷秋田の駅か昨年社員旅行で訪れた函館の駅、あるいはそれが合成されたような雰囲気の駅で。喉が乾いていたわたしは「美味しいソフトクリームあります」の看板に目を奪われ、さっそく一つ買うことにする。
 間もなくビニールの筒状のものを渡され、訝っていると、「480円になります」と売店の娘は言った。ソフトクリーム1個480円は高過ぎやしないか。でも、わたしにだけ高く言うはずはないから、仕方がない。何か特別の材料と製法で作り高価なものになっているのだろう。財布から500円玉を出して娘に渡し、お釣りを貰う。
 さて、ソフトクリームだ。普通ならコーンに入っているところ、480円もするそのソフトクリームは、まるでジュンサイでも入っているようなビニールの筒に入っており、端を破ってチューチュー吸わなければならない。チューチュー、チューチュー、チューチュー。顔をひょっとこのようにし、いくら吸っても、泥水のような味がするばかりでちっとも美味くない。が、なんだこの味は! と怒鳴る気力もない。もう何もかも無意味なような気がしてきた。
 グジュグジュになったビニールの筒をゴミ箱に捨て、それから電車に乗った。
 ふと思った。あれは、そのまま食べるものではなかったのでは。あれを材料にし、自宅の台所でソフトクリームが作れるという代物ではなかったか…。とは言っても、戻って確かめる気力もなく、粗忽な自分がほとほと嫌になり、今にも雪が降ってきそうな鉛色の空を窓からぼんやり眺めていた。体の芯がますます熱くなってくるようだった。

悲観 楽観

 ある日、パソコンに向かって何やら検索していた専務イシバシが、いきなりこう言った。
 「このまま死んだら、わたしの人生なにもいいことがなかったということになるわ」
 悲観の虫が疼いたのだろう。まともに付き合っていると大変なので、黙って聞かぬ振りをしていた。
 翌日、またパソコンに向かっていた彼女、今度はこう言った。
 「わたし、お金が貯まったら、スイスに別荘買いたいわ」
 楽観の虫? 開いた口がふさがらぬ。
 「矛盾してねえか。きのう、あれほど悲観的、昭和枯れすすきみたいなことを言っといて、舌の根の乾かぬうちに、きょうはスイスに別荘かよ。それに、この前は葉山って言ったろう。とりあえず、どっちでもいいけどさ」
 「それもそうね。アハハハハ…」
 社内の空気が一気に和む。救いの神は無意識の不意の言葉にも潜んでいる。相田みつをよりもありがてえ。

将門観劇

 昼過ぎから体が火照って、風邪だ! と思ったので、とりあえずデカビタCを2本飲む。
 家に帰って休むべきだったかもしれないが、文化村シアターコクーンで演っている「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」をたがおと観に行った。清水邦夫原作、蜷川幸雄演出。
 蜷川さんらしく大スペクタクルな演出で綺麗かつ仕掛けたっぷり。中嶋朋子と木村佳乃は色っぽい。将門役の堤真一は、「狂おし」くない。コミカルな馬鹿の振りをしているだけで、「狂」とは違う。狂っている人というのはこういう感じでしょ、というのを演じているように見え、外からの見え方など気にせず充実した「狂」を生きている風ではない。韓国映画「風の丘を越えて」の音楽とパンソリは○。
 3時間近くの芝居を観終わり、腹が減ったので、前にカメラマン橋本照嵩に連れていってもらった回転寿司屋で数個摘まみ、腹を満たしてから帰った。

ピーンでなくピー

 飲み友達のK氏曰く、流星少年パピーが出動する時に発する言葉は、「ピーン、パピー」ではなく「ピー、パピー」である。野沢那智のような張りのある立派な声で何度もそう言った。あれはピーンでなく、ピーだ!
 K氏、このごろ相当この欄を読んでくれているらしく、昨年11月11日の記事中にある間違いを指摘してくれたのだ。有難し!
 単純なことのようだが、「ピーン、パピー」と「ピー、パピー」では随分印象が異なる。立ち幅跳びと走り幅跳びぐらいに違う!? それに「ピー、パピー」は「ピー、パピー」と表記するよりも「ピーッパピー」とした方が、よりリアルかもしれない。リアルだし、なんたって勢いがある。
 運動のからっきしダメだったA君がトイレで用を足した後「ピーッパピー」と叫び、脱兎のごとく走り去る、その時だけは万能のスーパーヒーローになっていたのだろう。
 いま急に思い出したことがある。父がまだ高等科(いまの中学校)一年生の時、ということは敗戦の年。高校受験を控えた生徒に対し(当時二年で卒業だったが、一年が終わった時点で受験できた)面接の模擬試験をしてくれた担任の先生が、ある男子生徒に向かい「君はなんの運動が好きか」と訊いたそうだ。すると、訊かれたその少年、まだ本番前の練習だというのに、よほど緊張していたのか、腹が減っていたのか、「は、はい。ぼ、ぼ、ぼくは煮たうどんが好きです」。先生「もう一度言ってみろ」。少年「煮たうどんであります」。先生「ぶあっかものーーーっ!!」
 先生がいくら馬鹿者と叫んでも、敗戦の年のこととてろくな食い物がない。運動のことを訊かれ、うどんと答えてもいた仕方なかったろう。また、先生も生徒も秋田のド田舎のひと、質問中の「運動」だって(わたしも秋田弁で育った人間だからわかる)限りなく「うどん」に近かったはずだ。父もよほどそのことが印象に残っていると見えて、いつも楽しそうに話す。
 「ピーン、パピー」からとんだ話になってしまった。

弔辞

 秋田の父から電話があった。父の幼馴染で、長男がわたしと同級、次男が弟と同級のK氏が突然亡くなったとのこと。
 K氏の長男がやって来て弔辞を頼まれ、父は強く断ったそうだが、どうしてもと言われ、引き受けたとか。「読んでみるから、おかしいところがあったら教えてくれ」
 父の言葉を聞きながら、頭は中学二年生の時に飛んだ。宿題を忘れると耳を引っ張る理科の先生で、生徒から恐れられていたおっかない教頭先生が病気で亡くなり、わたしは生まれてはじめて弔辞を読んだ。自分なりに教頭先生のことを思い文章を書いて、担任の先生に見せる前に父に見せた。直されたか、直されなかったか、もう憶えていない。
 あらぬ方に行っていた頭が父の嗚咽で現実に引き戻された。涙もろい父はK氏を思って泣いていた。電話口で泣いているようじゃ本番が思いやられるよ、とわたしは言った。今日がお葬式、ちゃんと読めればいいが。