味噌ラーメン

 いつもの床屋で頭を刈ってもらった後、腹が減ったので、すぐ近くの中華飯店で味噌ラーメンと餃子を頼んだ。
 餃子は、中の具がとにかく細かく砕かれすぎていてベチャッとなり、皮も箸で丁寧に扱っている割にはすぐに破れる代物。
 味噌ラーメンはといえば、麺の上に、もやし+若干の挽肉+キャベツがミニ古墳のような形で乗っていた。かき氷をくずす要領でならして食べ始めたのだが、バランスを計りながら食ったはずなのに、麺もスープもなくなる頃になっても、まだもやしが丼の底3分の1ほどを占めていた。残すの悪いなあと思って頑張ってみたものの、最後はとうとう諦めた。ふと見ると、メニューに「もやしラーメン」があった。味噌ラーメンのもやしが食い切れぬほどなのに、もやしラーメンとなったら一体どれほどのもやしが乗っているのか、空恐ろしくなった。

エアコン

 昨年夏に買ったエアコンが、動作中、あるタイミングでカタカタカタと音を発するようになり、そろそろ前面パネルを外して掃除をせよとの合図であるかと思い立ち、マニュアル片手に丁寧に外枠から外していったら、中の空気清浄フィルターのツメがきちんと合っていなかった。ただそれだけだった。
 きちんとツメを合わせたら、今までのあの音は何だったのかと思うぐらいに静かになった。買ったときから外れていたのかもしれない。狐につままれたような感じとは、こういうことを言うのか。

音楽的には

 埼玉大学の島岡教授来社。小社から『野麦峠に立つ経済学』を出している。
 新しい本の打ち合わせをした後、外で一緒に食事。いろいろお話を伺ったが、なかでも特に面白かったのは、先生が三年前からチェロの個人教授を受けているというお話。
 島岡先生から見れば息子ぐらいの年齢の師匠、島岡先生をつかまえて、まるで子供を叱るように頭ごなしに叱るそうなのだ。誉められたことはないという。あるとき、島岡先生、レッスンの復習をしていて、ははあ、師匠が以前教えてくれたのはこういうことだったのかと合点が行くことがあり、喜び勇んで次のレッスンの時にそのことを息子ぐらいの年齢の師匠に報告したそうだ。するとその息子ぐらいの若造が、もとい、師匠が、「あなたがわかったというそのことは、音楽的にはまったく無意味なことです。あなたは大学では先生かもしれないが、ことチェロに関しては赤子も同然。いい気にならないように!」島岡先生、ぐうの音も出なかったとか。
 それでも島岡先生、週一回のレッスンを欠かしたことがない。来年定年で大学を辞めるとき、最終講義で学生たちを前にピアノ伴奏付きでチェロを弾くご計画とか。がんばれ島岡先生!
 恐るべき師匠のことは島岡先生の日記にも登場する。

友人

 小社HPにてコラム「裸足のキャンベラ」を書いてくれている恵子さんから会社に電話。どこから? と訊いたら、キャンベラからだった。
 四年間のオーストラリア暮しに終止符を打ち、ご家族で日本に帰ってくることになったそうだ。感慨もひとしおだろう。かつて、わたしの家に遊びに来た時、ラーメンの丼に顔を突っ込み、汁を最後まで飲むべく丼をきつく掴んで放さなかった子供らも大きくなったろう。小学校五年生と二年生とか。日本の学校に入り直してとなると、子供にとっても大変だ。
 友人と呼べるひとのことを考えると、人生の時間は短いとこの頃よく思う。ある時期に知り合って、それから長く付き合うようになる者同士には、五年十年なんてあっという間だ。恵子さんも侍ミュージシャンの上田さんも秋田の我が家に遊びに来たことがある。あの頃はまだ祖父母も元気だった。ひょうきんな祖父は、朝、毛糸の帽子を被り飼っている鶏に餌をやりに行くのに、ゴム手袋をした手をサッと上げ、おどけて見せた。
 年をとるに連れ、時間が早く感じられるというのは本当だ。

編集者募集

 今いる者たちで相乗効果を図りつつ怒濤の年を乗り越えようとしているが、おかげさまで、次つぎ魅力的な原稿が寄せられ、さらに面白い仕事と会社をつくるべく編集者を募集する。
 詳細はホームページのトップ左上から入ってもらうことにして、わたしの気持ちとしてはこうだ。
 昨日たまたま書店営業を委託している業者の方が来社し、いろいろ話を聞かせてもらったが、どこの版元もますます苦しいらしい。在庫管理と取次への流通をお願いしている業者に尋ねても、それは同じ。インターネットが普及し、いよいよ空気みたいなものになり、機械音痴のわたしでもパソコンなしでは夜も日も明けぬようになっている現状を鑑みれば、推して知るべしで、本など売れるはずがない。
 そこで、馬鹿の一つ覚えで言うわけだが、小社としては、これからもとことん文章にこだわっていきたい。文章を読み、書き、することで人と会社を磨いていこうと思う。文章はおもしれえぞー! だれかにすがるわけにはゆかぬ。不安と危なさを孕みつつ行くしかないが、そうであれば余計、読んで書くしかない。人の文章を自分の文章として読み、自分の文章を他人の文章として読む。校正、校閲がますます重要になってくる。誤植は減らす。曖昧さを廃す。自己嫌悪に満足しない。人の話をよく聞く。ジャンルにこだわらない。好奇心旺盛でありつづける。
 どしどしご応募ください。

意気消沈

 若頭ナイトウが傑作短篇小説集『ヨコハマ ヨコスカ 幕末 パリ』の打ち合わせで飯島耕一さんに会った時、飯島さんが、「三浦君は声がでかいねえ」とおっしゃったそうだ。「はい」とナイトウ。すぐに「でも、いまはちょっと風邪をひいているようです」と付け加えるのを忘れなかった。すると飯島さん、「三浦君でも、風邪をひいたりすると少しは意気消沈するのかね」とおっしゃったとか。アハハハハ… 飯島さんがカラカラと笑う顔が目に浮かんだ。ありがたいことです。風邪ばかりでなく色々なことに触れては意気消沈し、笹船のごとくに揺られ通しなわたしです。にんげんだもの。アハハハハ…
 そうそう。おーい、中島さーん。ありましたありました。相田みつをのめくりと片岡鶴太郎の絵をダブルパンチで飾ってある店がありましたよ。ボクシングの元世界チャンピオンの人がやっているラーメン屋で、元チャンピオンだけあって、ワンツーアタックって感じでさ。アハハハハ… 驚きました。今度横浜に来たら一緒に行こうよ。
 後段については、本欄1月30日のコメントをご参照ください。

体は正直

 風邪もだいたい治ったろうということで、昼、勢いつけて太宗庵へ行き、肉うどんとご飯と温泉卵を頼んだ。
 ところが、半分も食わぬうちに体内から変な汗がどっと吹き出し、どうしても食べ切れず、大好物の肉うどんを初めて残した。お勘定の段になり女将さんにわけを話すと、女将さん「おやおや。そうですか。まだ本調子じゃないんですよ。気を付けてくださいよ」
 三日間寝てばっかりで小食だったのが、いきなり肉うどんとご飯と温泉卵では胃もびっくりということなのだろう。体は正直だ。
 紅葉坂を上り、教育会館に戻ったら、玄関のところで会館の事務長に会った。会うなり「風邪ですか」と訊いてきた。わたしの顔がよほど青白かったのだろう。「気を付けてくださいよ。事務所のS、知ってるでしょ。昼飯食ったら戻しましてね。そいつはいけねえってんで、そのまま医者に行かせましたよ。今年の風邪は長引くそうですから、用心に越したことはないです」
 夜、ちょいと一杯ひっかけたら、これが美味かった。理由ははっきりしている。三日間、酒を一滴も飲まなかったからだ。体は正直だ。