時子

 大河ドラマ「義経」第2回「我が父 清盛」を観た。
 敵の大将・源義朝の愛人だった常盤を、夫の清盛が世話しているのを知った時子の心中穏やかならず、家臣に命令し屋敷に常盤を呼び出させ、偶然を装い対面。外では不吉な鴉の鳴き声。時子が「この匂いは!」と叫ぶ。夫・清盛がつかう伽羅の香りを常盤がしていたことから、常盤が我が夫の子を宿していることに気付く。この辺のキャメラワーク、演出の冴えは見事というしかない。また、雅な舟遊びに興じる女たちの衣裳や、屏風絵を前に清盛が夢を語るその屏風絵に夕陽があたり黄金色に輝くシーンの美しさはどうだ。あげたら切りがない。人間の愛憎劇が映像の美しさと相俟っていよいよ陰影を帯びてくる。
 今回最も美しいと思ったシーンは、逡巡した後、結局、常盤を嫁がせ、生まれた赤子を引き取り、牛若を仏門に送ると冷たく言い放つ清盛に、ガバと身を伏せ、今しばらく牛若と一緒に居させてくれと泣いてすがる常盤をキャメラが上から映しだす場面。常盤の長い髪がはらりと地面にひろがり、清盛はすっくと立って常盤を見下ろしている…。唸った! オッケーッ!!
 さて、時子だ。悔し涙に歯を食いしばる時子、いいねえ。いいねいいねと思いながら、俺も年取ったなあと思った。20代のときなら絶対稲森いずみの常盤に眼がいくもんね。可愛いし、綺麗だし、若いし…。比べて時子。いいじゃねえか、清盛の正妻なんだし、ぐじゅぐじゅ嫉妬深いヤな女、ぐらいに思ったんじゃなかろうか。すけべえな男としては、そりゃあ今だって稲森いずみの常盤はいいさ。でも、プライベートでもいろいろあっただろう松坂演じる時子の滲み出る艶というのは、若い俳優さんには無理だろう。また、この松坂慶子という俳優、今回は時子という難しい役どころだが、どうしたってこの人の、なんというか可愛らしさ、いじらしさとでもいったものが醸し出される。演技の巧拙より、この人の持っている明るい温かみ、みたいなものじゃなかろうか。うん。惚れたよ!

おっしゃる通り

 昨日この欄に「事ほど左様に、個性というのはどの場面においても現れる。それを、なるべく封じないようにするのがわたしの務め」
と、書いたら、可愛いかつての教え子から、
「ぶふふふ。どっちかいうたら、春風社の皆さんが、みうらせんせーの個性を封じないようあたたかく見守ってくれているにちがいない」とのメールが届き、なるほどと合点がいき、また、教え子のやさしさに触れ感動したのでここに記す。有難いもんだねえ。
 2月3日から6日まで、この教え子の個展が東急東横線白楽駅下車1分のところにある「ANGLE21」で開催されるそうだから、何を措いても見に行かねば!

値引き交渉

 わが社の場合、担当編集者が本づくりの最初から最後までをやる。みずからの意図で装丁を誰々に頼むとか、写真を使いたいからこの人に頼むとか、そういうことはあるが、基本的に全部やる。
 本文や表紙の紙を選ぶのも、印刷所に見積りを依頼するのも担当編集者だ。
 相見積りを取り、見積り書のFAXをわたしが見、もう少し値段を下げて貰いなさいと指示する。編集者はそれぞれの個性で値引き交渉をする。武家屋敷は武家っぽく。若頭は若頭っぽく。たがおはたがおっぽく。
 たがおに、「これこれこうだから、この値段で、お・ね・が・い・し・ま・す!!」と言いなさいと指示すると、驚くほど忠実に、有無を言わさぬ勢いで「これこれこうだから、この値段で、お・ね・が・い・し・ま・す!!」と言う。凄い! おお、なんて断定的! そうか、そう言えと教えたのは俺か…。それを聞いて、横で若頭がくすくす笑っている。「言えねえ、言えねえ、俺には言えねえ」などと少々顔を赤らめている。家が商売をしている関係からか「こことここの値段を下げて、もう少し何とかなりませんかねえ。お願いしますよ」というのが若頭のスタイルだ。
 事ほど左様に、個性というのはどの場面においても現れる。それを、なるべく封じないようにするのがわたしの務め。

鈍重な編集者

 今年は怒濤の年との直感がはたらき、年賀状にもそのように書いたが、予想通り、次々に仕事が入ってきて嬉しい悲鳴をあげている。
 本を作るには、仕込みにどうしても一定期間を要する。クォリティーを下げるわけにはゆかぬ。出版も商売であることは百も承知。しかし、ウチならではの本づくりというものがある。先年他界した師匠ヤスケン譲りの編集者魂の看板を下ろすことはできない。
 ここで問題。限られた人数でクォリティーを下げずに本を作るにはどうするか。
 ?優秀な編集者を入れる。
 ?優秀な人を入れ、優秀な編集者に育てる。
 ?鈍重な人を入れ、ガンガンに叩き、優秀な編集者に化けるのを待つ。
 ?さらにいい本づくりを目指して、入ってくる仕事を選ぶ。
 ?刊行時期を少しずつ延ばし、月々平均的な刊行点数にする。
 以上、この五つぐらいが考えられるだろう。複合的にすすめるしかないとは思うが、人のことでいえば、「優秀な編集者」というものを、わたしはちょっと疑っている。師匠のヤスケンは、修飾語なしの編集者なのであって「優秀な編集者」ではない。なら、優秀じゃないのかと問われれば、そういうことでもないが…。
 きのう、帰宅途中、専務イシバシに「あなたは、ある人から垢抜けするなよといわれたそうだけど、それは最大の誉め言葉だよ」と言ったら、イシバシ急に押し黙り、雲行きが怪しくなったから、慌てて「お、おれ、おれだってカッペだもん。い、田舎者が本を作るのさ。田舎者っていうのは、体に自然が染みついている人のことをいうんだろ。な、そうだろ。そういう人じゃないと本はつくれんって、そういうことさ。な、な」ふー。危なかった。逆鱗に触れそなところ、なんとか切り抜けた。イシバシ、横目でわたしを疑わしそうに見ながら、今イチ納得できかねるといった顔をした。
 しかし、口からでまかせのような話ながら、まんざらデタラメでもないような気がしてきたのだ。ヤスケンは江戸っ子だったけど、あの人は天才的に体に自然を保持していた人だと思う。滑りのよいツルンとしたいわゆる優秀な人は、ウチには相応しくないかもしれない。
 となると、先の問題、?あたりが正解だろうか。天然自然、世間相場では一見鈍重と思われても、風通しがよく、土の匂いや潮の香りのする垢抜けない人こそ、わが社には相応しい…。
 だからって馬鹿では困る。「B4でコピーを取ってくれ」って頼んだら、何を思ったか部屋から出て行き、やがて帰ってきたかと見るや「あのう、この建物、地下は2階までしかないんですけど…」といった若者がいたそうだ。ヤスケンさんから聞いた話。いくらなんでも、こんなのはちょっと困るよ。

結論

 書店営業に力を入れるべく、販売代行を業とする「ことばの本ネットワーク」の二人を呼び、打ち合わせ。しばらく試験的に東京を中心とする関東近県の大型書店300店を順次回ってもらうことにした。
 特に『大河ドラマ「義経」が出来るまで』は、返品を恐れず、平積みしてもらえるよう一冊でも多く注文を取って欲しいと頼む。「義経」の第一回視聴率は歴代七位の記録だそうだが、ディレクターの黛さんの熱は半端じゃないし、ドラマがこれからますます面白くなることは、第一回の放送を見て確信した。冷静な計算は大事だが、冷めた計算内の仕事は、計算以上のことを生まぬ。以上のものが生まれるとしたら、それはそこに熱があるからだ、なんてことを講釈し、ではどうぞよろしく、と。
 いろいろ興味深い話もあったが、一番なるほどと思わされたのは、売れない本は、販売のプロがどんなに意を尽くしても売れない。それより、売れる本で、まだ十分に手を尽くしていない本に力を注ぐのが効率的だし合理的ではないのか、ということ。仰る通りだ。要するに、売れない本は逆立ちしても売れない。あはははは…。スッキリ。自虐の詩を歌うしかないのか。しかし、結論はそうでも、それならそれで、捩じれた自虐の念をバネに、また工夫のしがいがあろうというもの。
 保土ヶ谷にある本屋・第二日本堂の二代目ご主人から、以前、「社長のところの本は難しいからなあ」と言われたことがある。肝に銘じた。わかってますわかってます。奥邃先生、難しいもんなあ。思案のしどころ。
 販売会社の二人が興味を示した本は、これから出るものでは、『大河ドラマ「義経」が出来るまで』『ママには内緒だよ』『愛妻切紙四十八手』、既刊分では『東大全共闘・68-70』『恋愛科学的就職内定術』『待つしかない、か。』『現代日本語モンゴル語辞典』ふーん、なるほど。
 帯だ帯。『義経』は帯をもう少し工夫しよう。

そういう気分

 言うほどの意見、あるか、と、自分に問うてみる。
 気分。有頂天になったり落ちこんだりさ。記憶に結びついているような。刻印されていて。
 助詞が見つからず、切れ切れの単語しか浮かばない。自分のことでいっぱいになる。溢れる。なにか立派な思いつきでも浮かべばいいのだが、あまり、そういうことはない。嘘! ほとんど。いや、全然。
 ええ、きのうは、いつも通りしっかり仕事をしました。電話で話したり校正したり。Nさんが送ってくれた詩も読んだ。「蝙蝠」はよかった。それで、そういうことをいつも書いているし、日記だからそうしているのだけれど、たまに、こういう気分になることがある。「こういう」ってどういう? 厄介。
 それで、切れ切れな、電気がプチプチ、ショートしている時のほうがぼくの本来のような気がし、ずっと幼い頃の自分に触れていくような気もし、鉛筆の先をさっきから随分長い時間、見ていたようなのだ。
 こういうことは書いても仕方ない気もするけど、何を書いても上滑りだから、今日はこれを書いた。なんか、悪いことでもしたような気分。
                          飲み過ぎ? ただの。ふむー。

田中正造・新井奥邃

 熊本大学の小松裕さんから年賀状をいただき、そのなかに、岩波の『世界』2月号で新井について触れたと記されていたので、さっそく買って読む。「現在に生きる田中正造」がそのタイトル。
 田中正造が谷中村に入って100年目の昨2004年、岩波文庫版『田中正造文集』第1巻が出たが、小松さんはその編集者の一人。
 『世界』では、この期にあたり、70年代以降現在までの田中正造研究について概観し、その意義と今後の展望に触れている。最近の研究動向を説明するくだりで『新井奥邃著作集』について「晩年の田中正造と深い精神的交流を行ない、相互に認め合い、思想的影響を及ぼし合った新井奥邃の思想の全貌が、この著作集刊行によって明らかにされれば、田中正造研究にも大きな貢献をなすことは間違いない」と、最大級の誉め言葉で言及してくれている。有難し!
 また『著作集』のことだけでなく、田中正造研究を光源として見えてくる社会及び歴史像を鑑みる時、小社の営みが客観的に位置付けされたようで嬉しく、さっそくコピーをとり「必読!」と大書し全員に配った。やはり怒涛の年!