挨拶

 以前勤めていた出版社の社長は、挨拶励行を社員に促した。挨拶一つでお客さんから随分褒められる。挨拶はいくらしたってタダなのだから、挨拶しなさい挨拶しなさい。タダ、というのが少し気になったが、社長の言葉は概ね正しいと思ったから、資料整理や校正でどんなに忙しくても、お客さんが来たとなれば、泥の中からビョンと顔を出すムツゴロウのように立ち上がり、挨拶したものだ。
 今は、必要以上にデカい声で挨拶することはないが、挨拶は気になる。
 挨拶をして、きちんと返してもらえれば気持ちいいし、蚊の鳴くような声で返されると嫌われているのかしらと思ってしまう。挨拶しようと思った矢先に目を避けるような奴(いるんだ、そういう奴)がいたら、殴ってやろうかと思うぐらい朝から興奮している。
 最近よく挨拶するのは八百屋のオバちゃん。自宅近くの階段を降り、保土ヶ谷橋の交差点に向かう角にあるのだが、電車の時刻を気にしながらタタタと小走りに通りすぎる。「はよーござぃまーす」と声をかける。小走りだからしょうがない。するとオバちゃん、「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」と、一音一音区切って丁寧にお辞儀する。あまりに丁寧なのでこちらが恐縮し、時間がないのに、しばし立ち止まりもう一度ぺこりと頭を下げる。交差点の青信号が目に入り全速力で横断歩道に突っ込むことになる。
 小料理千成で、二、三度オバちゃんに会った。訊けば、山形出身だそうだ。そうか、工藤正三先生と同じ山形か。
 ところでこの「挨拶」の字、「挨」も「拶」も、挨拶以外で使われているのをあまり見たことがない。白川さんに訊いてみるしかない。説明を読んで驚いた。
 白川静の『字統』によれば、「挨」は、強く撲って後ろから押しのける意の字、「拶」は、押しのけて争そう意の字。禅家では一問一答して相手を試みることを「一挨一拶」といったそうで、もと相手を呵責する意であったのが、のち社交的な儀礼を指すようになった、云々。
 してみると、挨拶されて目を避ける人のこころを推し量れば、社交的な儀礼などとは程遠く、呵責されるという「挨拶」本来の意味に近く認知しているのかもしれない。
 おれが挨拶しようとすると、目を避けるあの女、おれから呵責されたとでも思っているのだろうか。いけ好かねー奴だなあと確かに思っているから、そのこころがムチとなってあの女を叩くのか。ふむ。なかなか深い。難しい。