ただ生きている

 保土ヶ谷でよく行く小料理千成の大将かっちゃんから聞いた話。
 イカはとにかく揺れに弱い。今は移動用として筒状の水槽が開発され、市場にも生きたイカが、あることはある。値が張るということもあるけれど、それよりも、酸素で無理やり生かされているイカと、獲れたてで七色に輝くイカとでは、同じイカでもイカが違う。だから、自分の店ではそういうイカは出さない。やはり産地で獲れたものをその場で食すのには敵わないからだ。
 料亭でも、老舗なら決して店に水槽は置かぬもの。店の水槽で泳いでいる鯵や鰯を取りだし刺身にして食べさせるところもあるが、仮にその刺身を二時間放置してみなさい、ベチャッとなってとても食えたものではなくなるから。生きがいいことと、無理やり生かされているのとでは意味が違う、云々。
 まだ見ぬ七色に輝くイカがますます神々しく思えてくる。

敗けない

 小社ホームページにコラム「腰振るアリゾナ」を書いてくれている旧友・久保田さん夫妻と、その友達で現在北京在住の堀さん来宅。たまにしか会えないわけだが、会ったとなれば、そこは昔からお互いを知った仲、すぐに意気投合。手料理のおでんで一杯やった。
 三人に会うといつも感じるのだが、とにかく若い。年齢に関係なく若さの秘密があるとしたら、それは、月並みだけれど、どんな状況になっても挫けず、腐らず、よっく見聞きし、人任せにせず自分で考え行動するということに尽きるだろう。三人にはそれがある。
 静かに話していても、聞いているうちに、うーんと唸ったり、さらさらと流れるせせらぎの音に耳を傾けるような、そんな気持ちにさせられるのだ。
 ロバート・フロストという詩人をぼくに教えてくれたのが堀さんだった。目の前に二つの道がある。片方は楽な道、他方は困難な道、でも、敢えて困難な道を選ぶことを書いた詩を、そのままでなく、堀さんが消化した(おそらくかつて感動して読んだのだろう)内容を静かに淡々と語ってくれた。十二年、いや、十三年も前のこと。ひどく落ち込んでいた時期だけに記憶も余計に鮮明だ。
 友達はいいものだ。