人間でいるという状態

 タワーレコードでもらってきたブルース曲を紹介するパンフレットに、マーティン・スコセッシ(ロバート・デニーロ主演『タクシー・ドライバー』の、あの監督)の言葉が載っていて、そこに、「人間でいるというのがどういうことか、人間でいるという“状態”がどういうものか――そうした問題の核心にいきなり行き着ける。それがブルースだ」とあって、へえ、面白いことを言うなと思った。
 喜怒哀楽という言葉があるように、人間にはいろいろな感情がある。三次元空間に喩えれば、前後左右に上下を加えた6方向の組み合わせみたいなものだろうか。感情に支配される、という言い方もあるから、感情は、必ずしも人間にとってあまり気持ちいいものではないかもしれない。その辺のところから歌にまで発展するのかな、と、ぼくは思ってきた。
 ところが、人間でいるという“状態”ということになれば、ん? と考えてしまう。なぜなら、人間でいるという“状態”を改めて考えてみれば、ほとんど無に近い気がするからだ。
 原因らしきものはあるにしても、喜怒哀楽というような起伏の激しいものではなく、なんとなくやる気がなかったり、なんとなく嬉しかったり、なんとなく悲しかったり、なんとなく穴が開いているみたいな、それこそ、なんとも輪郭の定まらぬ、夕陽をポケーと見たりする“状態”が、1日の、1週間のほとんどの時間と思うからだ。あとは眠っているとか。
 もし、そういう“状態”をもブルースが歌うとすれば、それは、面白いことだと思う。