若き日の若頭

 若頭ナイトウの企画で、中条省平さんのジャズ本を出すことになった。タイトルは、今のところ『正しいジャズ入門』。
 若頭が中条さんに会いにいったとき、タイトルはと訊かれ、はい、うちのシャチョーが『正しいジャズ入門』と言っちょりますと伝えたら、5秒間絶句したそうなので、ははは、中条さんが絶句するということは、『名刀中条スパパパパン!!!』の例もあり、わたしにとって最高の誉め言葉なので、これで行こうと考えている。
 さて、若頭、原稿を読みながら、くっくと笑ったり微笑んだりして、なんとも愉しそう。聞けば、音楽に関する文章が昔から好きなのだという。今でこそ新譜のCDはショップで試聴でき、古いものならパソコンで検索すればほとんど試聴可能。が、10年前ではそれは不可能だった。
 若き日の若頭、友達に尋ねようにも、若頭ほどに詳しい者が周りにいなかったらしく、仕方がないから、新聞や雑誌や本でせっせと音楽評を読んだ。若き日の若頭を想像し、こっちも、なんだか愉しくなった。
 二つのコンセプトが考えられると思うのですが、と、哲学的思考を得意とする若頭、いともシャープに意見を開陳してくれたので、うん、第2のコンセプトで行こう、ということになった。さらに、何度読んでも面白いピーター・バラカンの『ぼくが愛するロック名盤240』のような本にしてくれ、とも頼んだ。
 バラカンさんのあの本、取り上げているアルバムの、どこがどんな風に優れているかに終始していて気持ちがいい。つい聴いてみたくなるし、推薦盤を実際に買って聴いても、なるほどと思わされるものが多い。プライベートの見せ方も実にバランスよく、240枚に頬ずりしている感じが文章に滲み出ている。バラカンさんが一番多く持っているのがヴァン・モリソンというのも頷ける。
 若頭が好きで一番持っているのは、ジェフ・ベック、だったかな?

仕事への自信

 ほかの分野のことはいざ知らず、出版、とりわけ編集についていえば、仕事への自信、情熱、想像は、校正、校閲の作業抜きには考えられない。
 演出家の竹内敏晴さんから直接聞いた話で印象に残っているもののなかに、想像力は具体的なものに触れたときに初めて発動する、がある。なるほどと思った。なにも演劇の世界だけに限らないのだろう。
 たとえば授業。教育哲学者・林竹二の授業は徹底的に具体的なもので、恐るべき「人間について」の授業は、大学生相手の場合でも、小学四年生相手の場合でも、内容にほとんど変わりはなかった。具体的な話に刺激され、小学生も大学生も、おのずから豊かな想像力を沸き立たせた。授業記録や写真にその姿が残されている。
 小社から出ている『花と人の交響楽―スペシャルオリンピックスから共生自立の丘へ』に収録してある方で、九州佐賀で押花加工の薬品を開発販売しているクリエイトの豊増社長は、会社を始めた頃、花の特性を調べるのに、まず、花を “自分で食べてみた” と語っていた。唇が痺れたこともあったという。
 編集についていえば、具体性の接触場面が校正、校閲だ。編集者にとっての文章は、豊増社長にとっての花と同じ、と考えたい。
 一冊の本を仕上げるために必要な想像力、創造力、情熱の維持、きめの細かさ、迫力、なまなましさなど、すべてはそこから生まれてくると信じたい。
 そこを離れ、離れたところでいくら頭を悩まし考えてもダメなのだ。むしろ、編集していて悩み始めたら、何度でも目の前の文章に戻り、文章を追いかけ、文章に追われ追い詰められることが問題の解決につながるだろう。
 天才でもない人間が、人に見てもらえる仕事をするにはそれしかないと思うから、若い人には特にそのことを徹底して伝えたい。

永遠のパワー

 仕事の打ち合わせで久しぶりに新宿へ行ってきた。待ち合わせの時刻より早く着いたので、天気はいいし風は気持ちいいし、ホームのベンチに専務イシバシと並んで座り、しばし、ぽっけー。
 イシバシ曰く、先日明治学院大学に行った折、先生とゼミ生に加わり色々思い付くまま話していたら、イシバシさんて、なんだかパワフルで面白い面白いって、とても誉められた、そんなにわたしってパワフルかしらねえ…。
 ああ、そりゃもう、あなたはパワフルだよ。パワフルに尽きる。パワフルオーラが全身から放たれているもん。そうね、この辺でニックネーム変えるか。専務イシバシ改め、トルマリンゆきこっての、どう? リングネームみたいでよくない?
 「あははははは…」
 「な、いいだろ!」
 「いい、いい!」
 「よし、じゃあ、そうしよう。トルマリンゆきこ、話は決まり。あははははは…。さっそく明日のよもやま日記に書くとしよう」
 「でも…」
 「なに?」
 「ホルマリンと間違われないかしら」
 「なに言ってんの、ますますいいじゃねえか。絶対に腐らない!」
 「変じゃない?」
 「変じゃねーよ。トルマリンゆきこ、仮に聞き間違えられてもホルマリンゆきこ、永遠のパワー!」
 だはは、だはは、だはははは…
 と、そうこうしているうちに、時間が迫り、ふたり何事もなかったかのようにサッと立ち上がり中村屋へ向かった。

秋晴れ

 きのう、おとといと冷たい雨が降っていたのに、今朝はすっかり晴れ渡り、ぽっかり雲など浮いたりして、なんだか気持ちいい。
 パソコンに向かい、いつものように、さて今日は何を書こうかな、と、ひょいと窓の外を見たら、猫がいた。三毛猫。
 盆栽棚の上にある、オブジェにいいわいと思ってかつてどこかから拾ってきた錆びた鉄屑が、猫にはちょうどいいぐらいの寝床で、そこにすっぽり収まり、ベランダの下10メートルほどのところを歩いてゆく人間を、つまらなそうに見たり、大きなあくびをしたり。と書いているうちに、猫は、外への興味を失ったか、くるんと体を丸めて、ぺたりと寝てしまった。ときどき耳をピンと立てる。
 秋田の実家では、家畜も多かったが、猫もいた。代々黒で尻尾の丸いものと決まっていた。死んだ祖父トモジイが、二つの条件を満たす猫でなければダメと言ったからだ。あの頃のトモジイは威厳があったから、家のしきたりとして別に疑問に思わなかった。トモジイが鶏を好きなわけは晩年本人から聞けたが、猫が黒く尻尾の丸いものでなければダメの理由は聞けずじまいになってしまった。
 今ぼくが勝手に想像するのは、黒い毛並みが光を反射し銀に輝く姿を良しとしていたのではなかったか、ということ。しなやかで強い感じがするではないか。トモジイを思い出すと、自分と似ているところが多く見出せるから、黒い猫についても、感覚的な好みの問題だったような気がする。あるいは、トモジイは高級がとっても好きだったから、黒い猫が単にそう見える、ということだったのかもしれない。
 ところで、丸い尻尾というのは何なのか。ふむ。長い尻尾より丸いほうが可愛いとでもトモジイ思ったか、よく解らない。子どもの頃、近所の家や親戚の家に遊びに行って、長い尻尾の猫が出てくると、自分の家のと違うからギョッとしたものだ。
 ん、いつの間に下りたのだろう。三毛猫がどこかへ消えた。

カブトガニ

 15年前、ということは20世紀、に買ったエアコンを取り外し、ついに、21世紀型の新しいエアコンが設置された。(ご承知と思いますが、ぼくが設置したわけではありません。業者の方が設置してくれました。念のため)
 まず驚いたのは、音が静かであること。スイッチを入れると、ピ、スー…………で、灯りが点いていなければ、駆動しているのか怪しく思うぐらいに静か。この前までの、蝿が飛んでいるようなあの五月蝿さは何だったのか。
 それから、ぼくは、だいたいにおいて機械音痴なので、買う時に「色々な機能は要りませんから、なるべくシンプルで安くて頑丈なのにしてください。エアコンとしては、暖房と冷房と送風があればそれで結構です」と言った。にもかかわらず、設置されたエアコンを見たら、いま流行りのマイナスイオン発生装置が付いている。標準装備なのだろう。健康にいいとかなんだとか、テレビで見たことがあるし聞いたことがある。マニュアルを見ると、ここがマイナスイオン発生装置と矢印で示されていた。
 エアコンの傍に寄って仰ぎ見る。たしかにピョコッと小さな出っ張りがある。ははー、ここから出るわけね。どれ、じゃあ、そのマイナスイオンなるものを存分に浴びてみようじゃねえか。
 眼を閉じて、ブナ林の中ででも遊ぶ自分を想像してみる。スローモーションで走るおいらを恋人が亜麻色の長い髪をなびかせ、これまたスローモーションで追いかけて来る。きゃっきゃっきゃっ、うーん、青春!
 しばしの瞑想の後、貧困な想像から覚め、眼を開けてみたのだが、別に何らの変化も見られない。改めて全身の細胞をていねいに点検してみた。が、血圧が下がったとか、尿酸値が下がったとか、IQが上がったとか、そんな特別なことは何にも起きていないようだ。本当に体にいいのかコレ、と疑問に思ったけれど、頼んで付けてもらったわけでなし、ま、良しとした。
 さて、このエアコン、じっと見ていると、じっと見ていると、なぜか、カブトガニの甲羅を連想するんだな。スターウォーズに出てくる何とかという戦士の兜にも似ており、とても変な形だ。つい、見てしまう。

風景

 家の近くの古い木造家屋が火事で焼けてからひと月以上が過ぎ、毎日業者が来て後片付けに余念がない。
 丸焦げになっていた庭の植木は、あんなに黒く焼かれて焦げ臭かったのに、植物の生命力というのは大したもので、なかに死ななかったものもあるらしく、黒い枝のあちこちから緑の新芽が吹き出ている。
 先日、朝、出掛けにそこを通ったとき、全焼した家の老ご主人が、業者の人に向かって、わたし、ちょっと出掛けてきますから、後はよろしく、と言ってサッと手を上げた。火事が起きたとき対策本部のホワイトボードに、たしか世帯主72歳とあったけれど、50代ぐらいにしか見えないので、不思議な気がした。
 季節はようやく秋を迎え、真っ青の空はますます青く、丘の向こうのランドマークタワーが白くそそり立っていた。

マズっ

 イチローがとんでもない記録をつくって、なんだか気分爽快、スッキリしたので、いつもの床屋に行った。
 イチローをはじめ、中日ドラゴンズの優勝、日にちが重なっていたらイチローにスポーツ紙の第一面を食われていただろうこと、最近の日本プロ野球界の動向など、いわゆる床屋談義に興じているうちに、頭もさっぱりした。
 イチローで心が、床屋で頭が、さっぱりしたので、ラーメンを食うことにする。
 京浜急行井土ヶ谷駅近くの、これまで何度か行ったことのある店に歩いて行ったのだ。朝から何も食っていなかったから、少々腹が空き、キムチ味噌ラーメンと鮭ご飯を頼んだ。
 程なく頼んだものが出てきて箸をつけたら、ぶっ飛んだ。キムチが酸っぱくて食えねえ。まさか腐ってはないと思うが、こんなに酸っぱいキムチは初めてだ。アッタマにきたから、よっぽど店員を呼びつけて、おめえ、このキムチ食ってみろ、食えるもんなら食ってみやがれー!! と叫びたかったが、今日はそんなにテンションが高くないので、箸でキムチを丼の端に寄せ、食べるほうに来ないように注意しながら麺を啜った。でも、どうしてもキムチの酸っぱさをスープが引き寄せ、やっぱり酸っぱい。なので、今度は、まだ酸味に侵されていないであろう丼の底のほうから麺を掬い上げ、静かに食べた。二口ぐらいは普通の味だったが、やがて、どう足掻いても、もはや手遅れ。腐りかけのキムチに侵された味噌スープは泥水に酢をぶちまけたようなとんでもない液体に変貌。ぼくはすっかり意気消沈。イチローも中日もない。ははははははは… 情けなく、鮭ご飯を食べ、水で胃に流した。
 もう、セロニアス文句も言う気にならない。ははははは… セロニアス・モンクはジャズピアニスト、モンクと文句をかけたわけ。ははは… ダジャレです。むなしい。
 未練たらたら、ご馳走様でした、とだけ言って店を出た。